アレキサンドは夜のない村だが、慣れない旅でカメリアとサラは疲れていた。村はずれに宿があり、彼女たちはそこでひと休みすることにした。アレクの宿と書かれた看板を目印に、朽ちた木の扉を開けた。カウンターには眼鏡を掛けた初老の男性がいた。いらっしゃい、とぶっきらぼうに顔を上げると、部屋はひとつしか空いてないよ、と言った。
「え!?こんな野蛮な男とカメリア様を一緒の部屋にだなんて!」
サラは宿の主人にもう一部屋ないかと詰め寄った。すると彼は、女だけで泊まる方が物騒だ。最近、オウルベアが悪さをするのさ、と鼻で笑った。
「ええ、それは怖い」
「良いじゃない、サラ。私、ヘンリーとも仲良くなりたいの」
カメリアがヘンリーの顔を覗き込むと、彼は顔を赤らめて横を向いた。
「チッ!」
「たくさんお話ししましょう?」
サラとアランは、素性の知れない男にすっかり心を許しているカメリアを不安げに見た。
「お嬢様、大丈夫ですかね」
「なにかあった時は、アラン、頼むわよ」
四人は二階の角部屋に案内された。階段はギシギシと軋み、今にも穴が空きそうだった。扉を開けるとランプがひとつ、窓の外はマーケットの大通りだった。賑やかな音楽や人のざわめきが漏れ聞こえた。なんて素敵なの!カメリアが窓を開けると、これまで耳にしたことがない楽器の演奏が部屋に流れ込んだ。ワルツしか知らない彼女にとって、アレキサンドの村はおもちゃ箱のようだった。その背後でヘンリーが悪態をついていた。
「ちっ!ランプに火がついてないじゃねぇか」
ヘンリーが宿の主人に文句を言おうと椅子から立ち上がった。するとその時、ランプの芯で炎がゆらりと揺れた。驚いた彼があたりを見回すと、サラが青い石を握り得意げにしていた。
「おまえ、属性魔法が使えるのか」
「これから役に立つわよ、水だって出せるわ」
「マジかよ」
カメリアは窓を閉めて振り返った。
「ほら、知らないことばかりでしょう?まずは自己紹介ね」
「下らねぇな」
ヘンリーはブロンドの髪を掻き上げると椅子に座り、太々しく脚を組んだ。その態度に腹を立てたサラが、その脚を降ろしなさい!と詰め寄ったが、彼は知らん振りで腕を組み仰け反った。
「で、あんたの名前は?なんて言うんだ」
「カメリアよ」
「ふーん、カメリアってんだ。花の名前だな」
アランはヘンリーの肩を掴むと、呼び捨てにするんじゃねぇと睨みを効かせた。ヘンリーは不思議そうな顔をした。
「そういや、あんたらこいつにやけに丁寧だな」
ヘンリーが脚をぶらつかせると、腰に刺した剣もゆらゆらと揺れた。
「お嬢様はな、伯爵家のカメリア様って言うんだ!」
「そうよ!軍人のあんたが口をきけるような人じゃないのよ!」
伯爵家と聞いたヘンリーの表情に翳りが見えた。
「あんた、伯爵家のお姫様なのか」
「そうよ。カメリアよ。ヘンリーよろしくね」
カメリアがヘンリーに手を差し出すと、彼はその手を握ることはなかった。カメリアは残念そうな顔をし、それを見たヘンリーは気不味い顔をした。次いで、サラがカメリアの侍女、アランが馬番であることを紹介した。
「それで?なんで俺があの酒場にいて、俺の名前まで知ってたんだ?」
「それはこれよ」
カメリアは胸元のネックレスを握った。そして、この赤い貴石の不思議な力で、ヘンリーがこの旅路の護衛をする姿が見えたのだと話した。初めは眉唾で聞いていたヘンリーだったが、彼が第二王子の騎士団員で、陣営を抜け出して来る姿が視えたと言われ、納得せざるを得なかった。ヘンリーは擦り切れた紋章を手で隠した。
「なにか辛いことがあったのね」
「うるせぇ」
その横柄な態度にアランは腹を立て殴りかかりそうになったが、サラに止められた。彼は振り上げた拳を収めると、肩で息をして怒りを沈めた。そこでヘンリーは、伯爵令嬢がどうしてそんな見窄らしい格好で旅に出たのかと問い返した。
「大切な人を探しているの」
「どこまで探しに行くんだ」
「分かんない」
「このでかいヴォーグループの、どこにいるか分からないって言うのか!?」
ヘンリーは付き合いきれないという顔で、金貨をカメリアに突き返した。けれどどうしても探したいと言い張って、カメリアはヘンリーの手に金貨を握らせた。
「で?どんな顔なんだ」
カメリアの表情は明るくなり、トランクから羊皮紙と魔法ペンを取り出した。そして”先見の明”で視た、藤 剣士と思われる人物の顔を描いた。そう、描いたつもりだった。それは縦長の丸に大きな目、一本線の鼻、キリッとした小さな唇、肩までの直毛の髪が描かれていた。これには、サラとアランも開いた口が塞がらなかった。
「なんだこれは、俺を馬鹿にしてんのか!」
「え、いやぁ。こんな感じだったの」
ヘンリーは羊皮紙を持つと怪訝な顔をした。
「なぁ、カメリア」
「なぁに?」
「こいつも御貴族様なのか?」
カメリアは、その男性の背後に映っていた立派な調度品や豪華な部屋の様子を思い出した。それはカメリアの屋敷よりも立派だった。
「多分そうよ、それがどうしたの?」
「御貴族様は大体、目や髪の色が同じなんだよ。あんたんとこも同じだろ?」
伯爵家に嫁いで来た母親は美しいシルバーグレーの髪と瞳をしていた。カメリアと瓜二つと言われる父親は、プラチナブロンドに金の瞳だ。
「そうね、同じだわ」
「なら、そいつの髪と目の色は何色なんだよ」
それは五月に花咲く濃淡の紫。藤の花によく似ていた。そう考えれば、藤 剣士の名前と共通点がある。その時、ネックレスの赤い貴石が熱を持ち、藤 剣士の、いつも一緒だよ、と言う声が聞こえたような気がした。
「薄い紫色だったわ」
カメリアの声は期待と緊張で震えた。薄紫と聞いたヘンリーは顔色を変え、椅子に座り直した。
「薄紫だって?」
「ええ、間違いないわ」
カメリアの手はワンピースを握り、両足は床を踏み締めた。
「そいつはウィステリア辺境伯だ」
「ウィステリア、藤、藤だわ!間違いない!その人が藤くんよ!」
「第二王子のな」
サラが、その紋章、反王家派の第二王子の軍のものですよね?と鋭く問うと、ヘンリーは目を逸らした。アランは、ウィステリアってどんな奴だ?と詰め寄った。
「ウィステリアは第二王子の軍隊のお偉いさんだ」
「そうなんだ・・・」
ヘンリーは、ウィステリアかよ、と呟き一瞬剣に手をやった。そして、アイツの軍じゃ自由なんてねぇ、と苦々しく吐き捨てた。
「俺はウィステリアの軍から逃げて来たんだ」
自分が探し求めている藤 剣士がウィステリア辺境伯だということがわかった。その時、赤い貴石が熱を持ち、藤くんの、大好きだよ、という声と共に、紫の髪が揺れる男が軍の陣営で剣を握る姿が浮かんだ。カメリアは喜びと同時に、胸に重い石が沈むのを感じた。