伯爵家の屋敷から遠く離れたカメリアたちは、馬に揺られ森の中をゆっくりと進んだ。まるで生き物のように揺れるクスノキの枝からは、小さな囁きが聞こえたような気がした。オウルベアが森の奥で鳴くたびに、カメリアは飛び上がって驚いた。
「カメリア様、やっぱりお屋敷に帰りますか?」
「帰らないもん!」
カメリアは頬を膨らませ口を尖らせた。
「もうすぐですぜ」
四頭の馬の蹄がカメリアたちをアレキサンドの村へと運ぶ。馬の膝あたりまであるマンドラゴラの薮が馬の足元で不気味に揺れ、カメリアは馬のたてがみにしがみ付いて怯えた。
オウルベアの鳴き声が途切れると、ポツポツと村の灯りが見えて来た。カメリアは安堵の溜め息をついた。村の入り口で門番らしき人物が、カメリアたちを凝視した。彼女が被っていたフードを脱ぐとプラチナブロンドの髪が流れ落ち、門番は顔を赤らめ、行ってよし、と槍を退けた。
「別嬪さんは徳ですなぁ、なんてな!」
と、アランは笑った。
「いやだ、そんなに褒めないで」
カメリアは頬を染めた。
「・・・・・・」
サラはそのやり取りを呆れ顔で見ていた。蹄の音が石畳に響いた。噴水がある広場は夜中でも煌々と明かりが灯っていた。マーケットでは人の騒めきが波のように押し寄せ、色鮮やかなフラッグが風にはためいていた。
「すごいわ!すごい!」
初めて見る光景に、カメリアは馬から身を乗り出して目を輝かせた。
「お祭りみたいですね」
「この村に夜はないでさぁ」
露天には、カメリアが見たことのない果物や食べ物が売られていた。とある店先では、店員が大きな塊肉をナイフで薄く削いでいた。甘酸っぱい匂いに鼻をひくつかせたカメリアは、程よい焦げ目の肉料理に釘付けになった。
「なんですか?食べたいんですか?」
「美味しそう・・・食べてみたいわ」
カメリアは布袋から金貨を取り出した。サラは慌ててそれを止めた。
「カメリア様!この村で金貨は必要ありませんから!」
「どうして?」
カメリアは不思議そうに金貨を布袋に戻した。
「みんな金貨なんて見たことありません!」
「そうなの」
「そうなんです!」
貴族と庶民では暮らしぶりが違う。このマーケットで金貨が扱われることはない。この村では物々交換が主流で、金貨は貴族のものとされていた。カメリアには驚くことばかりだった。アランが銅貨二枚で三人分の肉料理を買って来た。馬たちは噴水の水を飲み、夕食を食べていなかったカメリアたちは夢中で肉料理を頬張った。
「美味しいわ!アラン!こんな美味しいものがあるのね!」
ナイフやフォークしか使ったことのないカメリアの口の周りはソースでベタベタになった。はぁ、やれやれ、とサラはカバンからハンカチを取り出して、それを拭いた。カメリアは、次はあれが食べたい!と、油で揚げたジャガイモを指差した。はいはい、と布袋を持ち、立ち上がり掛けたサラは動きを止めた。
「ちょっと待って下さい?」
サラはカメリアの顔を見て眉間にシワを寄せた。
「カメリア様。この村には、なにをなさる為にいらしたのですか?」
「ん?護衛の男の人を探しに?」
カメリアは指に付いたソースを舐めながら微笑んだ。
「そうですよね!えーと・・・」
「ヘンリー」
「そう、ヘンリーを探しに来たんですよね!」
サラが声を大にした時、背後でガラスが割れる音と悲鳴が上がった。その騒ぎで馬たちも、後ろ脚を蹴り上げ、いなないた。驚いたカメリアとサラが振り返ると、そこには拳を振り上げたアランの姿があった。
「あ、アラン!」
「なんてことを!」
周囲に集まった人に聞けば、ゴミを捨てに行ったアランが酔っ払いに絡まれたと言った。腕っ節の強い力任せのアランのパンチにも相手は怯むことなく、背の高い男はキレのある動きで勢いよく掴み掛かった。アランが拳を振り上げると、彼は素早く身をかわし、カウンターで肩を叩きつけた。特段に体格のいい男二人の殴り合いの喧嘩で、酒瓶が割れ、ガラスの破片が飛び散った。愉しげだった酒場の店先は悲惨なことになっていた。
きゃー!
驚いた客やウェイトレスたちは我先にと店の外に逃げ出し、店主はカウンターの中で狼狽えていた。木のカウンターがひっくり返り、背の高い男がアランの襟を掴んで怒鳴った。その時、カメリアは目を見開いた。
「ヘンリー!ヘンリー会いたかったわ!」
思わず動きを止めた背の高い男はアランの最後のパンチを喰らい、木のテーブルと椅子の谷間にひっくり返った。
カメリアは店の修理に使って下さいと、サラが止める間もなく金貨を五枚、店の主人に手渡した。彼はその輝きに驚き、金貨なんて初めて見た!と、目を白黒させて何度も頭を下げた。サラは頭を掻いたが、これだけ暴れる用心棒が付いていればカメリアが襲われる心配はないだろう。
ヘンリーとアランは噴水にもたれ掛かりながら、ハンカチで腫れ上がった顔を冷やした。どちらかと言えば、アランの方が殴られた痕が多かった。ヘンリーは、ヴォーグループ国の紺色の軍服を着ていた。軍服には血の痕や、擦り切れた紋章が付いていた。紋章は第二王子の軍のものだった。
「あんた、なんで俺の名前を知ってんだ」
「それは運命なのよヘンリー、あなたは私と旅に出るの」
「はぁ!?」
ヘンリーはブロンドの髪を掻き上げながら、カメリアの顔を真顔で見た。
「あんた、頭は大丈夫か?」
「いいえ?どこも痛くはないわ」
サラは見ず知らずの野蛮な男に、馴れ馴れしく話し掛けるカメリアを不安に思った。カメリアはヘンリーの顔を覗き込むと、にっこりと微笑んだ。ヘンリーは思わず顔を赤らめて視線を逸らした。
「私、人を探しているの。でも初めての旅だからあなたに守ってもらいたいの」
「なんで俺が・・・・」
「運命だからよ。ヘンリーあなた、国の騎士団から逃げて来たんじゃないの?」
ヘンリーは目を見開くと、なんでそんなことまで、と目を伏せた。カメリアは布袋の中から金貨を取り出して、ヘンリーの手の上に置いた。
「私と一緒に、新しい人生を楽しみましょう?」
「人生を、楽しむ・・・」
「ええ、大変な旅になると思うけれど、きっと楽しいわよ!」
ヘンリーは金貨を握りしめ、過去の記憶がチラつくのを振り払うように首を横に振った。運命だ? ふん、笑わせるな、と吐き捨てつつ、ヘンリーはなぜかカメリアの笑顔から目が離せなかった。