午後は禁書の書棚にずっとこもっていたせいで体が埃っぽくなってしまった。
(湯浴みをしたいわ。用意してもらおう)
瑠璃が禁書の書棚から出てくると入り口で警護していた三国に告げる。
「体が埃っぽくなったから今日は会食の前に湯浴みをしたいの。お願いできる?」
「わかりました。本当ですね。頭に埃が」
三国は優しく頭を撫でるように埃を払ってくれる。瑠璃は三国に頭を撫でてもらうのが好きだった。
ずっと年上で、立場が違えば兄様と呼んで慕っていただろう。そんな彼からもらう温もりが心地いい。もっとこうして撫でていて欲しかったがあまりわがままは言えない。お互い立場があるのだ。今は誰もいないから二人は幼い懐かしい日に戻ったかのような錯覚を抱いていた。
「ふふ。なんだか子供の頃に戻ったみたい」
くすくす笑うと、三国は穏やかな口調で答えてくれた。
三国も同じことを思っていたようだった。
「幼い頃、瑠璃様はことあるごとに頭を撫でてほしいとねだられましたからね。とても甘えん坊で…」
その時だった。ドンと場所に似合わぬ音が聞こえて、驚きながらその音の元を見るとそこには南草が壁を殴ったところが見えた。
「お前達何をしている?三国…お前はただの従者だろう?なぜ星天公子の髪に触れている?」
「何を言っているの?三国は私の頭に積もった埃を払ってくれていただけよ」
南草がなぜ激昂しているのかわからず事実を冷静に伝える。だが納得していないようで南草はこちらにツカツカと歩いてきて三国の手を払った。
「南草!私の従者に何をするの!」
あまりのことに驚いて瑠璃は南草を責めるが、なぜか南草は泣きそうな顔をした。
だが瑠璃は南草の行動の意味がわからず困惑するばかりだった。
三国は何も言わずその場に片膝をつけて南草に傅く。
「宰相様に断りもなく星天公子様に触れたこと大変失礼しました」
謝る必要なんてない。三国はただ私を思ってしてくれたことなのに。
瑠璃はあまりの理不尽に腹を立てた。
「南草!いくらあなたでも三国に対して無礼を働くことは許しません。彼は私にとって従者であり、あらゆることを教えてくれた師でもある大切な従者です。あなたとは立場が違うのですよ」
瑠璃は本気で腹が立ったので強めにそう言うと、南草は苛立ったように瑠璃と三国を睨みつけてきた。
その瞳には憎悪の炎がちらついている。そんなに憎いならなぜあの夜逃げ出さなかったのかと瑠璃は困惑する。
「今は宰相というだけの立場だが1ヶ月後には星天公子の夫となるのだ。従者に文句を言える立場だ。お前達は距離が近すぎる。それでは不貞を疑われてもしょうがないぞ」
あまりの言葉に瑠璃は絶句する。三国は兄のような存在で、そういう目で見たことがなかったから驚いてしまった。物心着く頃には従者として側にいてくれたので、なおさらそういう気持ちが強かった。
だから不貞を疑われると、今まで築き上げてきた瑠璃と三国の関係が汚れていくようで非常に不快だった。
「口を慎みなさい!南草。あなたは確かに将来的には夫になる男ですが、たとえ夫となっても貴方はあくまでも私の臣下です。私の従者について今後意見を言うことを禁じます!」
怒りのあまりそう言うと南草はなぜか傷ついたような悲しい顔をして俯いた。
(これでは私が悪ことをしているみたい)
でももし私が失敗した時に、南草だけでも逃げられるように私は彼に憎まれなくてはならない。だからこれでいいんだとなんとか自分を納得させる。
三国は瑠璃と南草の邪魔にならないように沈黙していたが、懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
「星天公子様、貴族との会食のお時間が迫っております。お召替えを」
三国はそう言うと立ち上がり、瑠璃の後ろに付き従った。
「俺はその同伴役を頼まれてここに迎えにきたんだが?お前は俺より従者を選ぶのか?」
(南草!なんてひどい言い方をするの。三国は何も悪くないのに)
これは本気で腹を立てた瑠璃は当てつけのように三国の手をとり南草のよこをすり抜ける。
「そこまで不満があるのでしたら今日の会食は欠席なさい。私は三国を連れて参ります。あたなの席はないからくる必要はないわ」
「お前!」
まだ何か文句を言いたそうにしていたが瑠璃は南草を置き去りにして会食のための召替えに自室に戻っだ。
扉を閉めて三国と二人きりになると、三国は早速お小言を言い始める。
「瑠璃様。あのようなことをおっしゃってはいけません。南草どのが気の毒ですし、これからは南草殿と政務を頑張ると約束したではありませんか。これから南草殿に詫びを入れに行きますが、今晩の会食は必ず二人で出席するように!」
三国は厳しめに諭すとつい昨日刺繍が終わったハンカチを指さして言った。
「あれは南草様の紋様ですね。あれをお持ちしてお詫びしますのでお渡しください」
「でもあれは上手にさせなかったから捨てようと思っていたのよ」
ゴニョゴニョ言い訳をするので三国は痺れを切らして勝手に刺繍枠からハンカチを外すと綺麗に折りたたんで懐にしまってしまった。
これから南草に謝りに行って、その時ご機嫌とりに渡すのだろう。
「あんなもの…きっと受け取らないわ」
そう呟いたが三国はすでに部屋から出た後だった。
「私の刺したものなんて、すぐに捨てられるに決まっているもの。だから…意味なんてないいのに」
心中複雑な気持ちのまま、瑠璃は三国が去っていくのを見つめた。