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第3話

 その日の夜は、満月。

 吸血鬼が現われるとされる夜。リベルトは、禁忌の森へと足を踏み入れた。

 カソックの上からは白いストラをかけ、首からは銀の十字架をさげて。

 神の使いとしての使命を果たさんと村を出るリベルトを見送った村人たちは、彼が吸血鬼を討伐してくれると信じて祈ってくれた。

 村の者ではどうすることも出来なかった悪魔を、神聖なる力で打ち祓う。誰もがそう信じているのである。

 鬱蒼とした森の中を進むと、古びた洋館が一件建っていた。

 古びてはいるものの、立派だし、よく手入れがされていると見える。月明りに照らされ、前庭の薔薇が妖しく光っている。

「おや、こんなところまでよくおいでなさった」

 いつの間にか、リベルトの背後に誰かが立っていた。

「ご連絡もなしに訪問してしまい、失礼しました」

 音もなく背後を取られ、しかしリベルトは極めて冷静に答える。

 正体はわかっているのだから。

「何をしにきたのかな、そんな仰々しい恰好で」

 相手もわかっていて聞いている。カソックで十字架なんぞもってやってくる男なんて聖職者以外のなにものでもない。聖職者が吸血鬼の館へ来る理由なんてひとつだ。

「あなたを、救いに」

 振り向きながら、リベルトはそう言った。胸の十字架を握り、吸血鬼へと向ける。月の光を反して銀の十字架は神々しく輝いた。吸血鬼は、十字架を握るリベルトの手に自分の手をそっと重ねる。リベルトよりも一回り大きく、筋張った白い手は、リベルトの想像以上にたくましかった。

「救う? この十字架で?」

「……」

「永遠の命を持つ私に、終わりをもたらすことが救いと、そう言いたいのかな」

 吸血鬼のドレスシャツの胸元のジャボが風に揺れる。リベルトはそれを見ながら、頷いた。すると、リベルトより頭一つ分背が高い吸血鬼は笑いをこらえきれなくなって、ふ、と吹き出す。


「傲慢だな、神の使いを名乗る者らしい尊大な態度だ。いけ好かねえ」


 口調が唐突に荒くなった。吸血鬼は、しおらしい少女や控えめな男相手ならばあの紳士的な態度を貫いていたのかもしれないが、どうやらリベルトの対応に苛立ちを覚えたらしく本性を垣間見せたのである。

「そうですか、残念です」

「わかんねえこというやつだな……さて、俺に血を奪われたくなけりゃさっさと帰りな。今なら見逃してやる」

 こんなやつを相手にしていないで、また村の娘がやってくるのを待つ方が建設的と思ったのだろう、わざとらしくおおきなため息をついてみせる。

「帰る? まさか」

「そんなオモチャじゃ俺は殺せないぜ、銀の十字架に弱い吸血鬼なんて、一体何世紀前の話だ」

 リベルトはガラスの小瓶をショルダーバッグから取り出すと、コルクの蓋を引っ張って開けた。それから、その中身を吸血鬼の手にかける。

「バカにしてるのか?」

「聖水もだめ、ですか」

 うーん、と小首を傾げるリベルトを、吸血鬼は嘲笑う。

「なあ、教会ってのはみんなお前みたいなバカばっかりなのか?」

「そうかもしれませんね、これで吸血鬼を倒せるはず、と持たされたのですが……」

 ニンニクも違いますか? とバッグの中から乾燥にんにくを取り出す。

「それも違うな」

「あれ、おかしいですねえ……」

 あれでもない、これでもない、とバッグの中をあさるリベルトを見下ろして、吸血鬼は逆に不安になってくる。こんな能天気で馬鹿な奴に吸血鬼討伐を任せた教会は揃いも揃ってバカしかいないのか。吸血鬼の居城にこんな間抜けを単騎で送り込むなんて……。

 頭痛がする。

 少しだけ可哀想になってきた。

 はあ、と深くため息をつき、吸血鬼はリベルトの頬にするりと手を添えた。

「まあ、いい。気が変わった。帰らないっていうなら、食事の方からこちらへ来てくれたんだ。ありがたく頂こうか」

「食事?」

「そう、お前の血は悪くなさそうだ。年齢的にも、条件的にも」

 条件、と反復したリベルトに、吸血鬼は低く笑った。

「おまえ、どうせ孤児院からそのまま聖職者になった口だろ? 匂いでわかる。処女と同じだ」

 見つめてくる吸血鬼を、リベルトは黙って見つめ返した。その目には、肯定も否定もない。

「さぞ旨いだろうな。女を知らない聖職者の血は、何十年ぶりかな」

 抵抗しないリベルトに、吸血鬼は眉を顰める。どうして逃げ出さないのか。あるいは、もがいたり暴れたりしてもおかしくはないのに。吸血鬼の表情から言わんとすることを汲み取り、リベルトは笑った。

「抵抗しても無駄、でしょう?」

「……なかなか肝が据わっているじゃないか、どうする? ひと思いに殺してほしいか、俺の眷属になるか」

「お好きなようにどうぞ」

 どこまでもいけ好かない奴だ。

 恐怖や快楽で心を乱す方が、火照らされた皮膚の下の血の味を芳醇にするというのに。その心には波風一つ立っていない。

 まあ、いい。いつものようにさっと血をいただいて、それで枯らしてしまえばいい。

 安定供給してくれる女は村にいるのだから、それで。

 そう考えて、吸血鬼はリベルトの左首すじに犬歯を突き立てた。


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