「あっはは、上手におねだりできましたね」
リベルトの方も先ほどまでとは打って変わった態度だった。吸血鬼は悔しくてリベルトの整った顔を睨みつける。睨んだところで、頬は薔薇色に上気しているうえにボルドーの瞳は潤んでいるので怖くもなんともないのが悲しいところだ。
「おい、言ってないで、早く」
「リベルト」
「は?」
「僕の名前です。呼んで」
こんな時に何を言い出すのか。お前の名前を教えろと言ったわけではない。なのに。
「いいから、呼んで」
「っ、リベ……ルト」
かすれた吸血鬼の声を聞いて、リベルトは恍惚とした表情を浮かべる。何をやってるんだこいつは。それ以上に俺は何をやっているんだ? と、吸血鬼は奥歯を強く噛む。
「よくできました、じゃあ、次はあなたのお名前を」
「くそ、遊んでやがるな……!」
「いいえ、その火照りを鎮めるための条件の一つですよ。さあ、教えて」
わざと血の匂いを嗅がせるように、リベルトは己の首筋と耳を吸血鬼の鼻先へ近づける。ふっ、ふっ、と短く堪えるような息遣いが耳にかかった。
「っ、……ヴァル」
短く答えたその名前に、リベルトは小さくため息をつく。
「それは愛称でしょう? ちゃんと、お名前を言えますか?」
まるで小さな子供に言い聞かせるようにリベルトは囁く。
「~~ッ! ヴァレ、リ、オ!!」
荒い呼吸の中なんとか伝えると、リベルトがほくそ笑むのが分かった。
どこまでもコケにしてくる。
「ヴァレリオ。ふふ、ヴァレリオですね。わかりました」
「なん、ども呼ぶな!」
名前を呼ばれるたび、血管の中を血が逆流するような感覚に襲われる。触れられるたびに、肌が粟立つ。
(気持ち悪い……)
その血にどういった作用があるのか、話す約束だったろうと涙目で睨みつけてきたヴァレリオに、リベルトはにっこりと笑った。
「僕の血にはね、吸血鬼を屈服させるためだけに、呪いをかけてあるんです」
「ッ……は?」
耳を疑った。ヴァレリオは素っ頓狂な声を出してしまい、慌てて自分の唇を手の甲で塞ぐ。
「失敬、祈りの間違いでした」
祈りも呪いも変わらない。こうして体中にぞわぞわと虫が這っているようなおぞましい感覚、熱、焦燥感があること、それだけが事実だった。
「鎮めて、くれ、るんじゃ、ないのか、よ」
「ふふ」
偉そうに月夜の支配者を気取っていた男が縋ってくるのがたまらなくて、リベルトは笑ってしまう。
「……リベルト!」
焦れたように名前を呼ばれ、背にぞくぞくと快感が走るのを覚えた。
(かわいい)
「おい、殺すならさっさと……」
死ぬに死ねない、気が狂いそうな熱さに晒され続けるならば滅びとやらで救っていただいた方がいい。
「教会からは殺せと言われていますけどね……できないなぁ」
「何を、言って……!?」
ヴァレリオの震えている唇に、リベルトは己のそれを重ねた。ヴァレリオは、美しい男の血液をいただくことに関しては大歓迎だが、男色の趣味はない。身の毛がよだち、目を見開いたまま固まってしまった。ややあって、しっとりとしたリベルトの唇が離れる。
「こんなに
この場に似合わない笑顔だった。新しい玩具を手に入れた子供のような。
「ふざけるな!」
「ああ、落ち着いて、ほら、少し良くなってる」
「……?」
言われてみれば、キスされてから体の震えがおさまった。
一体どういうことか。ヴァレリオは問いただす。
「火照りを鎮める条件の二つ目です。……これよりも、もっと効果が高い方法もあるんですけど」
震えこそ止まったが、まだ高熱は収まらない。どこまでコケにして、どこまで焦らせば気が済むのか、とヴァレリオはたまらずリベルトの胸倉を掴む。
「教えろ」
「……ヴァレリオ。お願いする態度ですか? それ」
名を呼ばれ、先刻までの甘ったるい声とは真逆の、氷柱のように突き刺さるような声で告げられて、ヴァレリオはリベルトの服から手を離した。
これは後から気づいたことだが、彼に名を呼ばれると逆らえなくなっていた。
「教えてください……」
「あなたの屋敷へ招いてくれるのなら」
正常な判断力が残っていれば、こんなイカレた男を屋敷の中になぞ上げるわけがなかった。しかし、今のヴァレリオには正常な思考能力も、逆らう気力も残ってはおらず、力なく頷くしかできなかった。
また、震えが戻ってくる。キスで震えがおさまったというのも遺憾だが、どうやらあれだけでは本質的な解決にはなっていないようだった。リベルトのいう更に効果の高い方法をとらねば、きっと何度でも再発するのだろう。ヴァレリオはついに生まれたての小鹿のように足を震わせ、その場に膝を着く。
「ああ、かわいそうに」
(可哀想ならば、初めから最善の方法をとればいいだろうが……!)
無言で睨みつけるしかできない哀れなヴァレリオを、リベルトは軽々と抱き上げる。
「お、おい……!」
「こうしないと、移動できないでしょう? 行きましょう。ほら、案内して」
「……」
完全にペースに飲まれていることに歯噛みしながら、ヴァレリオはついにこの胡散臭い聖職者が屋敷へ足を踏み入れることを許してしまった。