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第4話 佐々木家の若様


「まさか…」美咲は首を傾げた。

「彼、落ち着いてるし無愛想だし。ホストって口達者なイメージだけど」


さっき茉莉が呼んだ十数人のホスト軍団を思い出し、鳥肌が立った。


「お姉さん!」と揃って媚びる油っぽい挨拶。

追い払うのに必死だったあの光景とは、ヤニスの雰囲気は明らかに違う。


似たような服装でも、彼の服はランクが上に見える。

背が高く、190cmはあるだろう。その体が服のシルエットを引き立てている。


茉莉の言う通り、ヤニスの顔は芸能界のトップアイドル級だ。


顔だけでなく、スタイルも圧倒的だった。


肩幅が広く腰は細く、長身で見惚れてしまうほど。


だがなぜか近寄りがたい威圧感を放ち、普通のホストのような気さくさは微塵もない。


「もし本当にホストなら売れないわ。奥様方は従順で活発な年下男子が好みだから。彼みたいな人を隣に置いたら、雰囲気が冷たくなりそう…」


茉莉が耳元で叫んだ。「何ブツブツ言ってるの?音楽うるさくて聞こえないよ!」


我に返った美咲は言った。「なんでもない。疲れたから帰ろう」


まだ遊び足りない茉莉は、美咲が俊彦のことで塞いでいるのだと思った。

親友が最低なあの男に傷つけられたと思うと、腹が立って仕方なかった。


怒りが頂点に達すると、つい毒舌が出る。


「あんたがイギリスでホテル暮らしって話になるといつもムカつくわ!田中俊彦、現地に家があるくせに泊めずにホテル行かせて、しかも小野寺彩乃と同棲してるなんて本当に最低。」


小野寺彩乃は俊彦の留学仲間。後に美咲は、二人がイギリスで既に同棲していたと知る。


当時の美咲は俊彦の「ゆっくりできるよう高級ホテルを手配した」という嘘を信じ切っていた。


茉莉に掘り返される度、自分の愚かさを責められるようで胸の奥がジーンと疼いた。


あの頃、俊彦にとって自分は単なる迷惑だったのだろう。


「茉莉、本当に疲れてるの。帰ろう」


茉莉はまだ言いたいことが山ほどあったが、美咲の暗い表情を見て止まった。


「わかった。別れたばかりで辛いのは分かるけど、長い目で見れば幸運よ」


「佐々木家の若様が海外から帰国したって聞いたわ。歓迎パーティーを開催するらしく、大物ぞろいよ」


茉莉は美咲の手を握りしめた。

「きっとイケメンだらけよ!招待状を何とか入手するから、そこで田中なんかが比べ物にならないほど、最高にイケてて大金持ちな人を探そう!」


茉莉は本気で美咲を立ち直らせたかった。

俊彦ごときのためになんて嘆いている場合じゃない。


佐々木家に取り入る気など毛頭なかったが、美咲のためなら手段を選ばないつもりだった。


美咲自身は佐々木家の若様に興味がなく、この話を全く気に留めなかった。


---


個室に戻った健太を、淳史が呆れたように言った。

「こっそり帰ったかと思ったぜ。酒を注がれるのが怖いのか?」


「違う」健太はさっきの席に戻った。

「少し息が詰まったから外で空気を吸っていた」


淳史は疑わしげに健太を数度見たが、同席者がいることを慮り、深追いはしなかった。


「さ、飲め」


健太はグラスを傾けて一口含んだ。

寡黙な彼は、主に他者の会話を聞いていた。


しばらくして、ふと彼が口を開いた。


「田中俊彦が結婚するそうだな」


室内が一瞬静まり返り、誰かが答えた。

「ああ、来月8日だ。招待状が届いたよ」


東京で名の知れた田中グループ。近年業績を伸ばす同社の御曹司を、個室の面々は皆知っていた。


「相手は佐藤家の美咲さんだ。今は落ちぶれたけど、両親さえいなくならなければ、田中グループなんかに……」


「まさに。田中家が佐藤さんを見下すとはな」


「結婚前から愛人を囲うなんて、業界では公然の秘密だ」


「佐藤さんに後ろ盾がないから、あれほどの屈辱に耐えているのだろう」


「はっきり言って彼女は甘すぎだ。学生時代から俊彦の後ろを付いて回っていたのは周知の事実だ…」


口々に田中俊彦への軽蔑が滲む。俊彦より年長で別格の彼らは、田家の商売も人間性も眼中になかった。


噂話が尽きると、話題はすぐに移った。


淳史が近づいて尋ねた。「健太、どうして田中俊彦を知っている?」


「イギリスで数度会ったことがある」


「田中グループに興味が?」


健太は流れるように頷いた。

「最近新規プロジェクトを始めたと聞いた。同社と俊彦の動向は…どちらも気になる」


淳史は納得した。「了解だ。何か動きがあれば連絡する」


健太が田中グループの買収を考えていると早合点し、深くは詮索しなかった。


---


ホテルに戻った美咲の携帯が鳴った。


画面には「伊藤智子」の文字。


従兄弟・伊藤奏太の就職を頼む電話だろうと踏んだ彼女は出なかった。


しかし智子は諦めず、一通、二通、三通と執拗に呼び出しを繰り返す。


仕方なく受話器を取ると、早速大声で耳が痛くなった。


「どうして出ないの!心配しちゃったわよ!」


美咲は辛抱強く言った。

「さっきシャワー中で聞こえなかったの。何か用?」


意外にも智子は奏太の話を切り出さなかった。


「ずっと実家に帰ってないでしょ?明日は帰って食事をしなさい」


美咲は答えた。

「今仕事が忙しいの。落ち着いたら…用事がなければ切るわ」


その冷淡な対応に智子は声を荒げた。

「待ちなさい!大事な話があるの」


「昨日家政婦が物置を片付けていたら、あんたの両親の写真が出てきたのよ。いつ時間が…」


最後まで聞かず、美咲は即座に叫んだ。「明日すぐに帰る!」



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