美咲が足を止め、ゆっくりと振り返った。
伊藤優香にまともな用事があるとは思えなかったが、彼女がまた何を仕掛けるつもりなのか、聞いてみたくなった。
優香の態度は少し和らいでいたものの、相変わらず美咲に良い顔を見せる気はないようだ。
彼女は顎を上げて言った。
「佐々木家のパーティーに行きたいから、招待状を手に入れてよ」
「佐々木家?」美咲は少し考え込み、昨日、茉莉が佐々木家がパーティーを開催すると話していたことを思い出した。
即座に断らない彼女を見て、伊藤智子が慌てて口を挟んだ。
「何せ今回は佐々木健太が初めて公の場に姿を見せるのよ。彼も三十歳だし、そろそろの年頃。もしパーティーで誰か気に入る人がいれば……」
智子はそう言いながら、優香を満足そうに見つめた。まるで彼女がパーティーに行きさえすれば、佐々木健太に選ばれてお金持ちの奥様になれるかのように。
美咲は心の中で、彼らは本当に白昼夢を見ていると思った。
佐々木健太に会ったことがなくとも、彼が伊藤優香のような人間を相手にするはずがないと分かっていた。
「招待状なんて無理だわ」
伊藤優香は瞬時に烈火のごとく怒った。
「田中家なら絶対に招待状を手に入れられるはずよ!田中さんに一言頼めば、私だって行けるんだから!」
「それぐらいの頼みも聞いてくれないなんて、本当に私たちの恩を忘れているんじゃないの!?」
美咲は繰り返した。「私はもう田中俊彦と別れたの」
伊藤優香は美咲が田中俊彦と別れるはずがないと思い込み、二人は喧嘩しているだけだと解釈し、今は美咲が彼に物を頼める立場ではないと決めつけた。
「じゃあ、親友の鈴木茉莉はどうなの?鈴木家も東京では名の通った家柄だろう?彼女に招待状を用意してもらってよ!」
美咲の声は氷のように冷たかった。「
できっこないわ」
茉莉にとって、招待状一枚追加するのは難しいことではないが、美咲はあえて助けたくなかった。
伊藤家の家族全員が焦り始めた。
彼らの身分では、佐々木家の招待状を手に入れることは絶対に不可能だ。
唯一の方法は美咲を頼ることだけだった。
美咲が拒めば、伊藤優香が佐々木家のパーティーに参加するのは、至難の業となる。
伊藤智子は今、佐藤美咲を怒らせてはいけないと悟り、慌てて彼女の手を握った。
「美咲、妹があんなに美人なんだから、佐々木健太の前でちゃんと振る舞えば、将来佐々木家の奥様になれるかもしれない。あなたにとってもいいことでしょう?」
美咲は思わず嘲笑した。
「佐々木家の御曹司が誰でもいいと本気で思ってるの?」
「あんたは!」伊藤優香は怒りで足を踏み鳴らした。
「お前は大したことないくせに、親友も役立たずで、招待状一枚すら用意できないなんて!」
こんな挑発は美咲には通じなかった。
彼女はわざと優香の言葉に乗るように言った。
「ええ、私も茉莉も大したことない人間よ。招待状なんて用意できないし、他を当たってちょうだい」
彼女が立ち去ろうとしたその時、伊藤健一がソファから立ち上がった。
「招待状一枚ぐらいで、そんなに何人も頼る必要があるのか?お前の父親が生きていた頃、佐々木家と親しかったじゃないか。招待状どころか、何だってできただろうに?」
父親の話になると、美咲の顔色は次第に曇っていった。
「さっきまで自分たちで『佐藤家は没落した』『誰も私をまともに見ていない』って言ってたくせに、今さら父親の顔を思い出したの?」
「そ、それは……」伊藤健一は言葉に詰まった。
美咲はそっと首を振った。
「もう十分過ぎるほど助けてきた。今回ばかりは無理だわ」
また去ろうとする彼女に、伊藤優香が焦って叫んだ。
「何を助けてきたっていうの!?長年ただ飯食わせてもらってたくせに、いざ頼んだら小さなことすら助けようとしないなんて、この恩知らず!」
美咲はこれ以上絡むつもりはなかったが、伊藤優香と伊藤智子が繰り返し「育ての恩」を持ち出すので、彼女も黙って耐える性格ではなかった。
彼女は大股で中へ歩き、ソファの真ん中にどっかと腰を下ろした。
「何度も『育ての恩』って言うなら、今日はちゃんと清算させてもらうわ」
「去年、伊藤家の会社が倒産しかけた時、私が俊彦に助けを求めたおかげで、この家が競売にかけられることはなかったはずよ」
美咲はそう言いながら、頭上にある数百万もするシャンデリアを見上げた。
もし彼女がいなければ、伊藤家の連中がこんな高価な家に住むことなどできただろうか?
「それに、先月、伊藤奏太の彼女は私のコネで私の仕事場に就職したばかりなのに、社長室の十数万円もする花瓶を壊して、同僚たちに暴言まで吐いて、私がひたすら謝り回る羽目になった。そのことも忘れたの?」
「こんなことは数え切れないほどあって、ここ数年、もう十分過ぎるほど助けてきたわ」
今、美咲がソファに座り、他の数人は彼女の前に立っている。
まるで彼女がどこの会社の社長で、目の前に立っているのは叱責を受ける社員たちのように。
伊藤家の面々は、顔に泥を塗られたと感じていた。
佐藤美咲の言うことが正しいのは分かっていても、彼女の高飛車な態度が我慢ならなかった。
ずっと黙っていた伊藤奏太がブツブツ呟いた。
「これくらい当然のことだろうが……」
佐藤美咲の鋭い視線が一瞬にして彼に向けられ、伊藤奏太は思わず首をすくめた。
だが彼はわざと一歩前に出て、顎を上げ、美咲を睨みつけた。
「俺に何ができるっていうんだ?」という態度で。
美咲はゆっくりと目を閉じ、再び開けた時には怒りで声が詰まりかけていた。
「両親が亡くなる前、佐藤家の財産は東京中でもトップクラスで、田中家よりも権勢があったの」
「私は両親の唯一の相続人。でも当時はまだ八歳の子供だった。あなたたちが私を養子にしたのは、同時に会社も丸ごと受け継ぐためだったんでしょう?」
美咲の両親が事故死した後、伊藤健一はすぐに佐藤家の会社を引き継いだ。
しかし彼に経営の才はなく、彼の経営のもと、佐藤社は次第に衰退し、数年も経たないうちに倒産寸前にまで追い込まれた。
結局、やむなく会社を外国人に売却した。
伊藤健一はその金を手に、小さな会社を起ち上げ、今はその会社を経営している。
こうして美咲の両親が残した遺産はすっかり消え去ってしまったのだった。
美咲は胸の高鳴りを必死に抑えた。
「あの頃、私はまだ小さかったから、あなたたちは『会社が倒産して、たった数十万で売れたけど、その金すら私を育てるのにかかった費用に足りない』って嘘をついた」
「でも、私がバカだと思ってるの?佐藤家の会社を、狙っていた人たちがたくさんいたのに、たった数十万円で売れるわけないでしょう?」
「ここ数年、あなたたちの財産も、贅沢三昧の生活も、一体何のおかげか、本当に分かっていないの?」
美咲は一呼吸置き、怒りが頂点に達してかえって笑みが漏れた。
「私が『育ての恩』を感じるどころか、むしろ私があなたたちを養ってきたようなものね」
「今でもまだ口先だけの『育ての恩』を気にかけているから、ここまで縁を切らなかっただけ。もしあなたたちが面子を気にしないなら、私だって自分のものを取り戻す方法はあるのよ!」
美咲の一言一言が重く響き渡り、彼女が口を閉ざすと、別荘内は恐ろしいほどの静寂に包まれた。
さっきまで威圧的だった伊藤家の連中は、もう一言も発することができなかった。
美咲の視線が四人の顔を順に移り、彼らが呆然と驚いた目を見据える中、彼女は立ち上がり、玄関へと歩み出した。
伊藤家を、一瞬たりとも足を止めずに後にした。