「このネックレスはもう完売品よ。知る限りではあなたは購入したことないはず。首にかけているのは初版のプロトタイプで、今は鈴木ジュエリー工房のショーケースに保管されているはずよ」
美咲が嘲笑った「盗みの腕はなかなかだわね」
周囲が一瞬静まり返り、続けて茉莉が笑い出した。
「まさかネックレスまで盗品だったなんて。中村家って倒産寸前なの?アクセサリーすら買えないの?警備はどうして泥棒を入れたのよ?」
中村若子は恥ずかしさと悔しさで穴があったら入りたい気持ちになり、首筋を覆うネックレスが肌をじりじりと焼くように感じた。
こっそり逃げ出そうとしたその時、宴会场の入口で突然ざわめきが起こった。
田中俊彦と小野寺彩乃が到着したのだ。
田中俊彦はシックなスーツ、小野寺彩乃はピンクのドレス姿。
二人は手こそつないでいなかったが、並んで歩く距離は極めて近く、腕が触れ合うほどだった。
周囲でささやく声が聞こえた「本当にお似合いのカップルだわ」
「前から田中俊彦は佐藤美咲を好きじゃないって噂だったけど、そばにいる方が本命なんだって」
先ほどまで口元を緩めていた美咲の笑みが徐々に消えていった。
ここで田中俊彦と小野寺彩乃を見かけて平静でいられるわけがない。
並び立つ二人を見つめ、ある種の皮肉な感情が込み上げてきた。
初めて小野寺彩乃を見た日のことを思い出した。
友人の誕生パーティーで、田中俊彦はちょうど今のように小野寺彩乃を連れて現れたのだった。
周囲の失笑の中で、美咲は遅ればせながら気づいた――どうやら彼女だけが小野寺彩乃の存在を知らされていなかったらしい。
田中俊彦がもう自分を愛していないことを、最後に知らされたのは自分だった。
あの事件後、田中俊彦は自ら小野寺彩乃との関係を明かした。
婚約破棄はしないが、美咲が求める愛は与えられないと言われた。
あの時の屈辱と無力感が、今でもまざまざと蘇る。
だが今の佐藤美咲は、もう傷ついたりしない。
たとえ目頭が熱くなっても、瞼を閉じて開ければそれでいい。
視線をそらし、茉莉の腕を引いて脇へ移動しようとした。
茉莉が田中俊彦を鋭く睨みつけ、わざと聞こえるように言った
「愛人を公然と連れ回すなんて、図々しいにも程があるわね」
ただの愚痴のつもりだったが、小野寺彩乃が突然歩み寄り、美咲の行く手を遮った。
「今日あなたが来るなんて知りませんでした。さっき俊彦と打ち合わせに行ったところ、パートナーがいないと言うので、つい…」
「たまたま連れてきただけ?だったらこのドレスは何のため?これも打ち合わせでもしたの?」
小野寺彩乃が呆気に取られた。
美咲がこれほどまでに攻撃的になるとは思っていなかった。
以前の彼女は田中俊彦の機嫌を取るためなら何でも我慢し、追い詰められてようやく牙をむく程度だった。
ところが今日は小野寺彩乃が仕掛ける前に、先に反撃してきたのだ。
小野寺彩乃が拳を握りしめると、すぐに目尻を赤らめた。
「全部私が悪いんです…俊彦をここに連れてくるべきじゃなかった…お怒りにならないでください…」
遅れて到着した田中俊彦は、小野寺彩乃の今にも泣きそうな様子を見て、彼女が不当な扱いを受けたと悟った。
美咲を見た目に一瞬、かすかな驚きが走ったが、すぐに表情を押し殺した。
「美咲、今日は騒ぎを起こすな。俺が連れてきたんだ。お前が電話に出なかったせいだろ!」
美咲は呆れたように言った。
「私が騒いでなんかいない。彼女が泣き真似しただけよ」
田中俊彦は信じようとせず、美咲を強く睨みつけると小野寺彩乃の手を引いた。
「相手にするな。今日は大事な日なんだ」
実は田中俊彦は佐々木家との商談目的でこのパーティーに出席していた。
来る前に父・田中正雄から言われていた。佐々木家から投資を引き出し、プロジェクトに佐々木グループの名を冠せれば、田中グループはさらに飛躍できると。
佐々木健太は自分より数歳上とはいえ同世代。きっと話が通じる相手だと確信していた。
佐々木健太がまだ現れていないのを確認すると、知り合いと雑談を始めた。
残された小野寺彩乃の視線が、美咲に向けられている。
今日田中俊彦が佐々木家に良い印象を与えようとしていることを知っていた。しかし、もし婚約者がパーティーで騒ぎを起こし、彼の努力を無駄にしたら――田中俊彦は間違いなく佐藤美咲を憎むだろう。
結婚式が迫っている今、小野寺彩乃はもう待てない。
後ろに控える人物に合図すると、佐藤美咲が立つロングテーブルへゆっくり歩いていった。
付いてきたのは伊藤優香だった。
佐藤美咲はさっきから彼女の存在に気づいていた。
小野寺彩乃が招待状を手配したらしい。いつから二人がそんなに親しくなったのか。
伊藤優香は得意げに言い放った。
「どうしたの?あなたがいなくたって、私は佐々木家に来られるんだから!」
美咲が彼女を上から下まで見ると、突然笑い出した。
小野寺彩乃の方へ向き直って言った。「知ってる?この従妹、学生時代から田中俊彦に片思いしてたのよ。彼女と友達になるなんて、足元をすくわれるわよ」
小野寺彩乃の表情が一瞬で硬化し、伊藤優香へ鋭い視線を向けた。
伊藤優香が顔を真っ赤にして叫んだ。
「嘘つかないで!彼女は世界中の女が田中俊彦に惚れてると思ってるんだから!」
今や彼女のターゲットは佐々木健太に変わっており、田中俊彦など眼中になかった。小野寺彩乃の恋人を奪うつもりなど毛頭ない。
小野寺彩乃は疑念を抑え込み、佐藤美咲が離間工作をしているのだと判断した。
佐藤美咲が振り返った瞬間を狙い、小野寺彩乃はわざと彼女のかかとを踏んだ。
美咲はバランスを崩し、あやうく転びそうになった。
ようやく体勢を立て直したその時、小野寺彩乃がロングテーブルのクロスを勢いよく引っ張った!
テーブル上のケーキや飲み物がざあっと床に散乱した。
大きな物音に宴会场の全員が一斉に振り返った。
その瞬間、伊藤優香が叫んだ。
「あら!美咲がテーブルをひっくり返した!佐々木家のパーティーを台無しにするつもりよ!」
その直後、なんと隣の小野寺彩乃の頬に平手打ちが炸裂した。
佐藤美咲が痛む手を振りながら言い放った。
「自分でクロスを引き剥がしておいて、伊藤に濡れ衣を着せようだなんて?私の目は節穴だと思ってるの?」
小野寺彩乃は頬を押さえ声を詰まらせた。
「あなたが誤って引っ張ったんでしょ…私のせいじゃない…」
茉莉も状況を飲み込み、伊藤優香に向かって掌を振るった。
「こんな幼稚な手口、よく考えついたわね。みんながバカだと思ってるの?」
「なんで私を殴るのよ!」伊藤優香が逆上した。「私ははっきり見てたわ!佐藤美咲がわざとやったのよ!」
テーブル上のワイングラスを掴むと、茉莉の顔へぶちまけようとした。
脇にいた美咲が咄嗟に手を出したが、酒の一部は茉莉の肩にかかり、ドレスの上半分を濡らした。
美咲の堪忍袋の緒が切れた。ぐいっと伊藤優香の髪を掴むと叫んだ。
「もう一度かけてみなさいよ!」
伊藤優香は髪を引っ張られる痛みに悲鳴を上げ、小野寺彩乃が助けに入ろうとしたが茉莉に阻まれた。
「騒ぎたい?今日は徹底的につきあってやるわ!」
階上の貴賓室で、佐々木健太が国際電話を切ったところだった。
スーツの裾を整え、階下へ向かおうとした時、高橋が入ってきた。
佐々木健太が尋ねた。「彼女は来ているか?」
高橋は当然「彼女」が誰を指すか理解していた。
「佐藤様はすでに到着しております」
「ただし、宴会场で方々と乱闘騒ぎを起こしておられるようです」