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第16話 俺についてこい


佐々木健太は顔を曇らせ、整った眉をきつくひそめた。


高橋をよけ、階段へと大股で歩き出す。


丁度その時、渡辺淳史が睡魔をこすりながら駆け寄ってきた。

「どうしたんだ?下の方で騒がしいぞ?」


彼も佐々木健太に続いて階段へ向かったが、健太が足を止めたため、ぶつかりそうになった。


淳史も佐々木の視線を追って階下を見下ろすと、目を徐々に見開いていった。


「うわっ、すげえことになってる!」


乱れに乱れた宴会場で、人々が四方へ退き、中央に数人のための空間を作っていた。


茉莉が叫んだ直後、小野寺彩乃の腹へ蹴りを入れたのだ。


ドレスの裾が邪魔で急所は外れたが、伊藤優香を助けようとする小野寺の動きを阻むには十分だった。


小野寺彩乃はその一蹴りをきっかけに、涙をぽろぽろとこぼし始めた。


「美咲さんはテーブルクロスを引っ張るなんて、きっとわざとじゃないんです!こんな場で騒ぐはずがありませんよ?佐々木家を舐めてるとでも言うんですか?」


彼女は事を大きくすることを厭わなかった。どうせ最後には田中俊彦が自分を信じてくれると知っているからだ。


美咲と茉莉に一泡吹かせてやる絶好の機会でもあった。


宴に来た客の中には彼女の友人も数人いた。小野寺はすぐに目配せし、加勢に来るよう促した。


彼女たちは意図を理解すると、駆け寄って美咲と茉莉を一斉に取り囲んだ。


「人を殴るなんて何様のつもり?」


「非があるくせに暴力なんて、ここはどこだと知っているのかしら?」


茉莉が押され気味になったその時、美咲が前に出ると小野寺彩乃の髪を掴み、ぐいっと上体を押し下げた。


「小野寺彩乃、どんな手を使ってるか分かってるんだからね。周りの連中もお前が仕組んだんだろう?」


美咲は思い切り力を込め、小野寺の頭皮が剥がれそうなほど引っ張った。


だがもう一方の手も緩めず、依然として伊藤優香を掴んだままだった。


階下では悲鳴と怒号が入り乱れ、客は総じて慌てふためいていた。しかし佐々木健太の目には、ただ美咲の姿しか映っていなかった。


階段を下りた時目に飛び込んだのは、佐藤美咲が両手に一人ずつ掴み、二人を地面に跪かせんばかりに押さえつけている光景だった。


彼女の腕は細いが、驚くほどの力強さで、二人は頭さえ上げられずにいる。


他人の頭を押さえつけながらも、背筋はピンと伸びていた。


喧嘩をしているのに、動作は少しも下品ではない。


両手で頭を掴んでいる様は、まるで鞄を二つ提げているかのように軽やかだった。


すらりとした首筋をわずかに反らせると、ダイヤのネックレスがきらきらと微かに光る。


そこには優雅ささえ感じられた。


混乱の中、茉莉も決して不利ではなかった。囲みに来た者たちは全員彼女の蹴りを喰らい、一人は蹴り飛ばされて転んだ。


「あたしのダンスは習いっぱなしじゃないんだからね!人を蹴るのってほんと便利!」


かくして宴会場全体では、美咲と茉莉の二人が多勢を相手に優勢に戦っている有様だった。


その時、トイレに立っていた田中俊彦がようやく遅れて現れた。


一目見るなり、彼の目つきは嵐のような激しい怒りに染まった。


「佐藤美咲!腹の虫の居所が悪いなら俺に当たれ!彩乃に手を出すな!ここがどんな場所か分かっているのか!?」


彼は美咲の手首を掴み、小野寺の髪から引き離そうとした。


だが美咲は微動だにしなかった。


「田中俊彦、これで何度目?お前はいつも何もかも俺のせいにするんだな?」


「今お前は彩乃の髪を掴んでいる!俺の目が狂ってるとでも?」


田中俊彦はほとんど叫んでいた。


二十数年生きてきて、これほど恥をかいたことはなかった。


今日集まっているのは東京の上流階級、多くはこれまで縁のなかった面々だ。彼の面目は完全に丸潰れだ。


怒りを美咲にぶつけ、彼は彼女の手首を強く引っ張り、赤い痕をつけた。


引き離そうとしたその時、突然誰かに手首を押さえつけられた。


押さえつけたその手は強く、一瞬で田中は腕が痺れた。


大股で近づいた佐々木健太は田中を払いのけると、もう一方の手で美咲の手首を取った。


「俺についてこい」


田中俊彦が現れて美咲の手首を掴んだ瞬間、健太の平静は怒りに変わった。


田中俊彦の手を切り落としてやりたいほどだった。


美咲の細く白い手首に、無用な赤い痕が浮かび上がっている。それが実に痛々しい。


佐々木健太は細目にすると、凄まじい眼光を向けた。

それは田中俊彦の背中に冷や汗を走らせた。


上に立つ者特有の威圧感に満ちた眼差しだった。


彼は呆然と立ち尽くし、我に返った時には、美咲はもう佐々木健太と共に二階へと向かっていた。


健太が階下へ降りると同時に、淳史も続いて降り、警備員を呼んで茉莉を取り囲んでいた連中を引き離させていた。


彼は茉莉の手を取ると、同じく二階へと向かった。


「お前の兄貴は来てないんだぞ?ここで喧嘩するなんて何様のつもりだ?お嬢様としての自覚はあるのか?」


茉莉は渡辺淳史に引っ張られながらも叫んだ。

「皆見てたわよ!田中俊彦が浮気して、その女と一緒に美咲をいじめてたんだから!」


「この結婚は取りやめよ。美咲が約束を破ったんじゃない、田中俊彦に無理強いされたのよ!」


淳史は彼女の口を押さえた。「もういい、これ以上混乱を大きくするな」


彼は鈴木茉莉の兄・鈴木波留の友人だ。このお嬢様がいかに手強いか知っている。放っておけば間違いなく田中俊彦に殴りかかるだろう。


今日は鈴木波留が来ていない。淳史には友人代わって妹をしつける義務があると感じていた。


彼は茉莉を引きずるようにして佐々木健太に追いつくと、彼女も二階の控え室に連れ込んだ。


入室した時、淳史は美咲がこう言うのを耳にした。

「ヤニス?どうしてここに?」


「ヤニス?」淳史は健太に詰め寄った。「何だそりゃ?お前いつそんな名前なんかつけたんだ?」


健太は低い声で言った。「余計な口を出すな」


淳史は面食らった。健太が美咲とどう繋がっているのか全く理解できなかった。


考えても分からないので、まずは茉莉をソファーに押し付けた。


「さあ、どういうことだ?」


茉莉は赤いドレスの裾に掛かったワインを拭いながら、先ほどの出来事を説明した。


彼女が話している間、健太は美咲の手首を握り、薬を塗ってやっていた。


ヨードチンキが刺すような痛みを美咲に与えた。


だがそれ以上に、健太との距離の近さだった。


健太は彼女の前にしゃがみ込み、吐息が彼女の手首にかかっていた。痛みの中に、じんじんと肌の熱さを感じさせる。


美咲は手を引っ込めた。

「ボクシングを習ってるから、本気でやれば相手にならない。まずは茉莉に怪我がないか見てくれ」


宴会場で喧嘩をした中で、唯一無傷だったのは美咲だった。


体にワインの一滴すら掛かっていない。


髪型も乱れず、ドレスも一切皺にならず、まるで化粧室から出てきたばかりのように見えた。


健太は彼女をじっくり見つめると、ゆっくりと立ち上がった。


彼はスマホを取り出すと、高橋にメッセージを送った。

「一階の監視カメラの映像を出せ」



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