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──魔王と診療所
「魔王か。まあそういうことを夢見る年頃だな」
「夢ではないの。レヴィアは正真正銘の魔王なの!」
「そうか、そうか」
久隆はまだ背中の子供は人間の子供だと思っていた。角も尻尾も最新のコスプレ技術だろうと。そう思わなければ、気がどうにかなりそうだ。
「証明してやるの! 『降り注げ、氷の槍!』」
レヴィアがそう呪文のように唱えると、山を覆う広葉樹林の木々の枝葉を貫いてつららのように尖った氷の槍が辺り一面に降り注いだ。今は7月で、そもそも熊本でも久隆が住んでいる付近はつららができるような環境ではない。
久隆は唖然としていた。
「どうなの? これで分かったの? これこそが魔王の力なの!」
「あ、ああ。そうらしいな……」
ダンジョンもゲームだったが、これは魔法だ。魔法なんてゲームの存在だと思っていた。そういうことに熱心な戦友が今も生きていたら喜んでいただろうが、久隆は動揺の方が大きく、心を鎮めて冷静な判断を下すまでに時間がかかった。
「こいつは知られたら不味いことになりそうだな……」
日本海軍にいた久隆だからこそ分かる。今の日本の軍部は強い。
政治的な発言力を有するし、削減されていても莫大な予算を有するし、それでいて日本情報軍などは軍部に批判的な政治家やマスコミ関係者の醜聞を掴み、それをネタにして脅迫しているという。
もし、レヴィアのこの力が政府に知られたら?
軍部は間違いなく顔を突っ込んでくるだろう。解剖とは言わずとも、研究室に監禁されるぐらいのことは余裕であり得る。
レヴィアは帰りを待っている人間がいるという。そういうものたちがいるレヴィアを研究所に監禁させるわけにはいかない。
被害妄想だと思うかもしれないが、日本海軍は新型の軍用ナノマシンをいくつかの手続きを省いて兵士に投与している。そのことは久隆も知っている。比較的オープンな日本海軍ですらそうなのだ。日本情報軍のような閉鎖的な組織ならなおさら。
しかしながら、参ったことにこのレヴィアの角と尻尾は隠せそうにない。
「どうにかするしかない」
レヴィアは別の入り口からあの洞窟に入ったようだ。ならば、迎えも別の入り口からやってくるだろう。その時まではレヴィアを匿っておくしかない。彼女が故郷に帰れるように最善を尽くすのが義務というものだ。
久隆はどこか高揚した気分になっていた。
ああ。そうか。俺は任務を見つけたのかと久隆は思った。
「とりあえずは俺の家に向かう。大人しくしておいてくれ。それからその角と尻尾について尋ねられたら『これはコスプレ』と答えておいてくれ」
「むー! これは誇り高い魔族の証なの! こすぷれ? とかいうよく分からないものじゃないの! 断固拒否なの!」
「じゃあ、足を治してやらない」
「……分かったの」
子供というのは本当に手の焼けるものだと久隆は思った。
付き合っていた彼女が久隆と別れたのは久隆が国外に頻繁に出張していたことだけではないだろう。彼女は子供を望んでいたのだ。
「ここだ。待っていてくれ。この田舎でその格好は酷く目立つ」
「待つの」
久隆の家は伝統的な日本家屋だった。とは言っても別に歴史あるものではなく、祖父母が老後になって昔を懐かしむために依頼した築9年の物件だ。しっかりとした作りで、耐震性もあるし、何より広い。空き部屋はいくつもある。
久隆はそのうち自分が使っている部屋に向かい、衣装箪笥からパーカーを取り出した。地味な灰色で、無地のパーカーだ。久隆自身が190センチ近い身長があるので、サイズは大きいが、しっかりとフードも付いているし、これだけ大きければレヴィアをすっぽり覆い隠せる。
「待たせた」
久隆はそのパーカーを持ってレヴィアの下に戻って来た。
「これを着てくれ。そうしたら医者の所に連れていく」
「変わった服なの」
レヴィアはそう言いながらすっぽりと、そのままXLサイズのパーカーに頭を突っ込み、袖を通した。完全にぶかぶかだが、フードを被せると目立つ角がしっかりと隠れる。田舎では目立つゴシックロリータファッションも同じように隠れる。
「これでよし。診療所にいこう。まだ足は痛むか?」
「我慢できるの、魔王だから!」
「そうか。では、行こう」
久隆は再びレヴィアを背負うと、自分の自動車まで向かった。
国産のSUVで、値段はそれなりにしたがタフな車だ。電気自動車が一般化した2040年代では田舎でも充電スタンドが各地に設置されている。久隆の家にも充電用の設備が整っていた。いざという時に自動車という足がないと、田舎は酷く辛い環境に変わるのだ。
「これ、何なの?」
「これが自動車だ。自動車を知らなかったか?」
「ふうむ。興味深いの」
久隆はそっとレヴィアを助手席に座らせると、自身は運転席に座った。
「シートベルトを締めてくれ」
「しーとべると?」
「その、横にあるやつを右の方にあるのにカチッとやるんだ」
「むむ? これでいいの? 座るだけなのにこんなのつけるなんて変なの」
「それでいい。安全第一だ」
久隆はエンジンをかけて、自動車をゆっくりと発車させる。
「な、何なの!? 魔法で動いているの!?」
「いや。あんな奇抜なものじゃ動いてない。普通に電力とモーターで動いている。リチウムイオン電池に蓄えられた電力だ」
「むー……。これ、レヴィアにくれない?」
「あげない」
そもそも運転免許がないだろうと久隆は思った。
そんな会話をしつつ、レヴィアがあれこれ車のダッシュボードを弄りながら、久隆たちは診療所に到着した。駐車場がガラガラということは年寄りの集会は終わったようだと久隆は察した。どうにも田舎の年寄りたちは病院に集まる。
「さ、行くぞ。痛み止めをもらえるだろう。折れているかどうかも調べてもらえるはずだ。もう少しの辛抱だからな」
「分かったの」
久隆は再びレヴィアを背負うと診療所に入った。
消毒用アルコールの臭いがする病院内で、顔見知りの看護師が久隆に気づく。
「球磨さん。どうなさったんですか?」
「ああ。ちょっと親戚の子供が遊びに来ていたんだが、足を痛めたみたいで。折れているかもしれないし、痛がっているから診てもらいたい」
「分かりました。では、保険証を」
「あ。ちょっとそれは忘れててな。今日は全額支払うよ」
「そうですか? 後日、申請されると返ってきますので。手続きの方法を後でお教えしておきますね。簡単ですよ。ネットでできます」
「ありがとう」
小さな診療所なので受付業務は看護師がやっている。今は医療事務もAIがほとんどやってくれるので、医療にかかる人件費は削減される方向にある。
だが、それでも医者と看護師は必要だ。
「それでは診察室にどうぞ」
久隆とレヴィアは看護師に言われて診察室に入った。
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