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──二度目のダンジョンへ
「まだ足、痛むか?」
「少し大丈夫になったの。魔王だから!」
「そうか。だが、今日は山歩きだ。きつかったらすぐに言えよ?」
「お前、本当に人間なの?」
「今の発言に人間性を疑われるような要素があったか?」
今日は再びあのダンジョンを目指す日がやってきた。
久隆自身はまだゲームのようにダンジョンと呼ぶことを躊躇っているが、レヴィアの力は見たし、あんな奇妙な空間があることはおかしい。世界が狂っているなら、一緒に狂っておいた方がいいだろう。
「人間は魔族を嫌うの。心配したりなんてしないの」
「そうか。それは向こうの人間の話だろう。ここは別だ」
「そうなの? 同盟国になってくれるの?」
「いや。それはない」
別に久隆は日本政府の代表者ではないのだ。
ただ、たまたまその場に居合わせた一般市民に過ぎないのだ。
「化け物が出るんだったな?」
「魔物が出るの。もうダンジョンが形成されてから1日が経っているから間違いなく1階層にも存在しているの。でも、安心するの! 魔王であるレヴィアがいれば心配することなど何ひとつないの! 魔王だから!」
「そうか、そうか」
久隆は空返事を返しながら装備を確認する。
イノシシが出てきても頭を叩き割れる斧。海軍時代から愛用していて、今も手入れを欠かさない軍用ナイフと山刀。
山刀は正直、柴を刈るのにはいいが、化け物を殺すのには向いてないだろう。あくまで最後の手段だ。猟銃が使えない以上、武器となりえるものは多く身に着けておきたい。それに全ての装備を身に着けても海軍時代のような重さは感じない。海軍時代は強化外骨格(エグゾ)を身に着けていても、のしかかるような重さの武器弾薬を運んだものだ。
それからもし、ダンジョン内を探索することになった場合に備えて弁当を持参。おにぎりとたくあん、卵焼きとウィンナーを焼いたものをタッパーにふたり分入れてある。もちろん、水分補給のことも忘れず水筒には麦茶が入れてある。
だが、ダンジョンにはなるべく長居したくはなかった。
化け物が出る上に、地下構造物とくればリスクは大きい。ダンジョンが絶対に崩れないという保証があったとしても、遭難や化け物に殺されるなどのリスクはある。
今日やるのはダンジョンにレヴィアの迎えが来ていないのかの確認と、軽くダンジョンを見て回る。それぐらいの予定であった。
迎えが来ていたらハッピーエンドだ。もっとも、その迎えが異世界に帰る手段をちゃんと確保していれば、の話だが。
異世界遭難者がふたりに増えたなどということにならないことを久隆は祈った。
「じゃあ、行くか。準備はいいな?」
「何も準備することないの」
「それもそうだ」
準備は全て久隆がやったのだ。
山歩きにヒールのついたエナメルの靴は歩きにくいだろうが、久隆の家に子供用の靴などないので我慢してもらうしかない。
久隆の家からダンジョンの入り口まではそう離れていない。
20分も歩けば到着だ。
「誰もいないな」
「……きっとみんなダンジョンの中にいるの」
寂しそうにレヴィアが呟いた。
「やっぱりダンジョンの中は危険なのか?」
「うん。パーティをちゃんと組んでいれば大丈夫だけど、ひとりだととても危険なの。そして、みんなダンジョンコアの暴走であちこちに飛ばされたと思うから、とっても危険なの……。でも、レヴィアが助けに行けばみんな助かるの!」
「昨日、捻挫して泣いてただろう」
「う……。でも、でもね、今は万全なの。きっと助けられるの!」
「だが、夕食までにってわけにはいかないんだろう?」
「……多分、1週間。いや、1か月以上はかかるの」
「そいつはちょっときついな」
食料の問題。武器の手入れの問題。
軍の戦闘力は何も大砲を揃えれば発揮されるものではない。大砲の弾を迅速に後方から運び、砲兵の食料を届け、火砲そのものを戦場に運んでこそその威力が発揮されるのだ。つまりは兵站線の維持が重要なのである。
ダンジョンは20階層以上という。現代の20階層以上のビルを連想して、そのフロアを全て調べていく時間を考えれば、到底夕食までに帰れる話だとは思えない。まして、化け物が出没するのだ。ただ、調べるだけではない。
「まあ、とりあえずは、だ。いつ、ここに迎えが来てもいいようにメモを残しておこう。このメモに俺の家の位置を書いておいて、そこにいると伝えられれば、いつここに迎えが来ても大丈夫だろう? そして、そいつをこのファイルに入れておけば水でしわくちゃになる心配もない」
「ここまで来れるか心配なの……」
「護衛とか、そういう奴らじゃないのか?」
「アガレスは近衛騎士団長なの。けど、べリアは宮廷魔術師長なの。一緒に行動してないと、どっちかだけじゃ危ないの」
「よく分からないが、メモは残そう。書いてくれ。俺は俺の家の位置を記しておく」
ジッパー付きのファイルを下敷きに久隆はこのダンジョン入り口から自分の家までの道筋を記しておく。簡単な地図だが、迷いはしないだろう。地図の作成も軍人の仕事だ。
「ここに今ここにいるって書いておいてくれ」
「分かったの」
レヴィアは久隆からポールペンを借りると、すらすらと奇妙な文字を記していった。
「……そういえば、どうしてお前と俺で言葉が通じるんだろうな?」
「言語魔法を使っているからに決まっているの。この世界ではそうではないの?」
「あいにく、そんな便利なものはない」
ますます注目すべき能力だと久隆は思う。
「じゃあ、これはここに釘で張り付けておこう。気づいてくれるといいが」
「心配なの」
そして、久隆とレヴィアがダンジョンの入り口から奥を眺める。
外からは真っ暗だが、中に入ると明かりが点灯する。
「夕食まで調べてみよう。やばい化け物が出ない限りだが」
「レヴィアも力になるの」
「危ないから今は下がっていろ」
「レヴィアは魔王なの!」
「分かってる。いざという時は頼む」
「任せるの!」
いざという時はレヴィアを抱えて大急ぎで逃げ出すつもりの久隆だった。
「さて、用心して進まないとな……」
化け物と言われてもどんなものが出るのか分からない。正直、レヴィアがあのような魔法を使うのだから、常識が通じるような相手だとも思えない。そう思うと手に握る斧では少しばかり不安になってくる。
「止まれ」
ダンジョンの少し奥の方に進んだとき、久隆が声を上げた。
「何なの?」
「足音がする。呼びかけてみてくれ。お仲間の頭に斧を振り下ろすような真似はしたくない。確認してほしい」
「分かったの。アガレス! べリア! 誰かいるの!?」
久隆の作業着の右ポケットにはライトが挟んである。L字型の手を使わずに前方を照らせる便利な道具だ。その光の先を久隆は注視していた。
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