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──ダンジョン内の情勢
「レヴィアもお弁当を食べるの」
レヴィアも椅子にちょいと座ると、バックパックから取り出した弁当箱を広げる。
「おーい。手を洗ってからにしろ」
「むー。分かったの」
レヴィアはトトトと流しに向かうと水道の蛇口をひねり、水を出して手に石鹸をつけて泡立てながら手を洗った。これは昨日、風呂に入るときに教えておいてもらったことだ。水を水圧で放出しているときいて、これも魔法ではないと心底レヴィアは感心した。
「み、水が勝手に出るのですか?」
「そうなの。全ての家庭にこういう装置があるそうなの。お風呂もあるの。後で一緒に入るの! 宮殿のように広くはないけれど、清潔なお風呂なの!」
「へ、陛下と一緒に湯浴びなど恐れ多いです!」
「気にしないの。ここはヴェンディダードでも、宮殿でもないの。異世界なの」
そう告げてコップに麦茶を注ぐと、レヴィアはそれを持ってまた椅子に座り、弁当箱を広げた。中身は大して変わりはない。おにぎりふたつとミートボール、プチトマトを添えたポテサラ、卵焼きだ。
「ほら。できたぞ。卵がゆだ。熱いから気を付けて食べろ。それからこっちがおしぼりな。一応手は拭いておけ」
コンビニなどに付いてくる紙おしぼりを添えて、器に入ったレトルトの卵がゆを久隆がフルフルの前に置く。
「ちょ、ちょっと待ってください! 陛下が食事されているのに、同じテーブルで食事したらダメじゃないですか! わ、私は床で食べますので……」
「フルフル。ダメなの。さっきも言ったの。ここはヴェンディダードでもないし、宮殿でもないの。今は身分のことは気にしなくていいの。今は生き延びて、元の世界に帰ることだけを考えるの。そのためにはまず体力を取り戻すの!」
「よ、よろしいのですか、陛下……?」
「レヴィアはひとりの食卓よりみんなで食べる食卓が好きなの」
そうこう言っているうちに久隆も椅子に腰かけてきた。
「冷めないうちに食った方がいいぞ。レトルトだからな」
「れとると……? あ、新しい毒の名前ですか!? そうなんですね!?」
「違う」
久隆は自分で握ったおにぎりをほおばり、首を横振った。
「むう……。え、ええい。毒食らわば皿まで!」
微妙に間違ったことわざを言いながらフルフルはスプーンで卵がゆを掬って、ふーふーと冷ましてから口に運んだ。
「わあ。おかゆなのに美味しい……」
「最近のレトルトは素人が下手に作るよりよくできてる」
久隆も風邪を引いたりしたときのために、レトルトのおかゆをストックしていた。毎日食べるのには飽きるが、たまに食べると美味しく感じられる。特に体が弱っているときは、消化器官に優しいおかゆは染み入る。
レヴィアたちの世界ではもっぱら麦がゆが食されていた。地球で言うポリッジというものだ。それも悪くはないのだが、そこら辺は現代の会社がしのぎを削って味を追求したレトルト食品との勝負だ。勝敗がどちらに上がるかは言わずもがな。
「あんまりがっついて食べるなよ。空腹の期間が長いと消化器官が弱っている。腹を壊したりする。流石に鳥取の飢え殺しやガダルカナル島のように胃痙攣を起こして死ぬようなことはないだろうが」
「そうですね! 美味しいです!」
「だから、がっつくなと。よく噛んで食え」
がっがっとスプーンで口に卵がゆを運ぶフルフル。先ほどまでの野生に満ちた野良猫のような警戒心はどこへやら。
「それでダンジョン内の状況について詳しく教えてくれ」
「に、人間に話すことなどありません!」
「その人間の食い物を綺麗に食べたのはどこの誰だ」
フルフルの卵がゆを入れた器は空になっていた。
「フルフル。ダンジョンの中はどうなっているの? アガレスはどこら辺にいるの? ダンジョンは実際のところ、何階層ほどなの?」
「え、ええっと。アガレス閣下が陣地を構えていらっしゃるのは地下15階層ほどです。今は魔法で食料の自給自足を始めています。陣地には近衛騎士や宮廷魔術師たちがおり、守りは万全です。ただ、皆、疲弊してきています……」
「そうなの……。やっぱりダンジョンでは生きられないのね……」
あの薄暗闇の中で、危険な魔物の襲撃を度々受けながら拠点を守るというのは、相当な心的ストレスになるだろう。それもどこが出口かすら分からず、終わりのない攻防戦を繰り広げる羽目に陥っているのでは。
「べリア様はもっと深い階層におられると思います。というのも、私は斥候として地上に行って出口を探してくるようにと命じられたのですが、その途中で仲間はひとりも見かけませんでしたから。地下にも斥候を出しているのですが、25階層までにべリア様のお姿はないということが確認されています……」
「うう。心配なの……」
レヴィアとフルフルは悲痛な空気に包まれていた。
「あれが地下25階もあるのか……。これは長丁場になりそうだな……」
フルフルは恐らく魔物との交戦は避けて、とにかく出口を探して昇ってきたのだろう。それでも地下15階層まで3、4日はかかる。そのさらに下の25階層以下になれば、レヴィアの言葉通りに魔物も強力なものになり、探索はますます難しくなる。
そうこうしている間にもダンジョン内のレヴィアの仲間は疲弊しているのだ。
「だが、物資は2日後にしか届かん。それに頼んだ物資の数で足りるのかも問題だ。俺と道案内のフルフルと言ったか、だけで突破すれば3、4日で地下15階層に辿り着き、そこにいる仲間たちを上層に引き上げられるだろうが」
「ダメです! アガレス閣下はべリア様の救出拠点としても陣地を機能させておられます。べリア様のお力があればダンジョンコアをコントロールし、我々全員を最上層に、いや元の世界に戻すことも不可能ではないはずなので!」
「そういうことか。なら、物資を届けるってことをまずは行った方がいいな。要は登山におけるベースキャンプのようなものだろう。最下層に下るための前進拠点。そこを拠点にしつつ、最上層との物資のやり取りも欠かさない。そして、地下深くに潜り、べリアってのを救出して、ダンジョンコアを探し出す」
久隆の脳はエベレストなどの険しい山を例にダンジョン攻略の道筋を立て始めていた。兵站を維持し、ダンジョン内の偵察を続け、べリアとダンジョンコアを探し出す。
「可能なの?」
「今の調子でもそれなりに探索はできている。今の武器が通用しない相手が出てくるとちとばかり問題になってくるが……」
久隆がそう話した途端、フルフルが顔を青ざめさせた。
「た、大変かもしれません……」
「どうしたの? 何か不味いことでもあったの?」
「エ、エリアボスが10階層付近にいます……。私が確認した限り、あれはマンティコアの類でした……。とてもではないですが斧だけでは……」
「マンティコアまでいるの!?」
この話についていけないのは久隆だ。
「マンティコアってのはどうヤバイんだ?」
「とっても強い毒を持っていて、ライオンのように俊敏なの。毒を食らったらどんな生き物でも即死すると言われているぐらいなの。エリアボスの存在があるなんて流石は超深度ダンジョンなの……」
「ふむ。流石に抗生物質や血清でどうにかなる相手じゃなそうだな」
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