ガタンゴトン――。
平日の朝。
車輪の揺れに合わせて、窓の外をコンクリートの街並みが流れていく。
混み合う通勤ラッシュの車内に、俺は立ったまま揺られていた。
家から出勤なんて、何ヶ月ぶりだろう。
つり革にぶら下がりながら、ぼんやりと考える。
この数年、俺は一日十五時間勤務。
清々しいほどのブラック労働で、職場での寝泊まりが当たり前になっていた。
寝床が布団だと、逆に身体が痛い。
疲労が抜けきらない身体を無理やり引きずって、今朝は珍しく出勤してきたというわけだ。
俺は軽く伸びをしながら、吊り広告に目をやる。
――と、そのとき。
「……ねえ、あれじゃない?」
「うそ、マジで?」
すぐ近くの座席に座っていた女子高生ふたりが、小声で話しているのが耳に入った。
視線を向ければ、どちらもスマホを手に持ち、こちらをチラチラ見ている。
気のせいかと思ったが、周囲を見渡すと、他の乗客も妙に視線を送ってくる。
中年男性、OL、学生……立っているだけで、なんとなく場の空気がざわついていた。
なんだ、これ……?
俺、なんかやらかしたか?
胸元を見ても、パスケースもネームプレートもつけていない。
まさか寝癖……いや、さすがに外に出るからと、ちゃんと直したはず。
耐え切れなくなって、俺は女子高生たちの方へ身体を向けた。
「……何か?」
女子高生ふたりがビクッと肩をすくめた。
そして、恐る恐るといった様子で、片方がスマホの画面をこちらに差し出す。
「あ、あのっ……
スマホの画面には、SNSの投稿が表示されていた。
『神カメラマン特定したwwwww』という文面と共に貼られていたのは――
――三年前、AIDAの開発チームとして受けた、小さなネットメディアのインタビュー記事。
薄暗い研究室で撮られた、俺の若き日の写真。
メガネをかけ、真面目そうな顔で受け答えしている。
「……は?」
思わず、素っ頓狂な声をあげる。
脳がバグる感覚。
あれは確か、一部のコアなガジェットヲタクが見る、小さな技術記事だったはずだ。
まさか、そんなものが今さら掘り出されて……?
スマホを取り出し、自分でも検索をかける。
“#神カメラマン”のタグをタップ。
すると出てくる、出てくる。
昨日の配信の切り抜き動画。
戦闘中のスロー再生。
視線誘導の構図まとめ。
さらには「読みが人間の域を超えてる」とか「実は元プロじゃ?」なんて考察スレまで立っていた。
「う、そ……だろ」
呟いた声が、喉から勝手に漏れた。
気づけば視線が集まっていた。
JKたちが身を寄せ合って、上目遣いで言葉を発する。
「あの……写真、撮ってもいいですか?」
「いや、ちょっと」
それを合図に、周囲の客たちが控えめにスマホを構えたのを確認する。
パシャッ。
パシャ、パシャパシャ……。
鳴り響くのは無機質なシャッター音。
許可してないけど!
完全にバレた。
じわじわと汗が滲む。
逃げ場がない。
俺はスマホをポケットに突っ込み、次の駅のホームに止まろうとしている車両のドアを睨んだ。
扉が開くと同時に、一歩先へ飛び出すために。
この地獄から、少しでも早く抜け出すために。
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「――通して! どいてください!」
俺は怒鳴りながら、
次から次へと突き出されるマイク。
シャッター音とフラッシュが視界を埋め、足元ではコードが絡まりそうになっている。
カメラのレンズが顔スレスレまで迫り、リポーターらしき面々が叫んだ。
「神カメラマンさん! SNSでは“AIの読みを人間が超えた”と話題になっています! 本人の自覚はありますか!?」
「噂によると世界各国のトップストリーマーがあなたに注目しているそうです! この状況、どう受け止めてますか!? 一言――!」
うるさい! 近い! 下がれ!
とにかく門を越えて研究所に入れば、こいつらを撒ける。
こんなオンボロ研究所でも、一応のセキュリティはあるんだ。
通門証をスキャンすれば、自動ドアが開く。
あとは一気に入って……!
肩をぶつけながら最後の記者を押しのけ、なんとかゲート前にたどり着いた。
その瞬間、ウィンと低く響く駆動音。
目の前の扉が、まるでタイミングを見計らったようにスッと開く。
中から現れたのは――
「――いや~もう、ほんっと大盛況じゃーん! あ、どうもどうも!
私、この首都魔力技術研究所――通称“首都研”の所長、滝沢美穂でぇ~っすぅ」
ド派手なスーツに身を包み、もりっもりくるっくるの髪と光沢パンプス。
どこぞの司会者かと思うほど華やかに決めた所長、滝沢美帆だった。
「うわあ……」
思わず声が漏れた。
いつも白衣にすっぴんで研究室へ来るのに……。
どこからどう見ても“表に出る気満々”の格好をしている。
「滝沢所長! 戦闘補助AI『
「“神カメラマン”風間氏はどういった社員なのでしょうか!」
「彼が今後、配信界に参入する可能性は!」
当然のように記者たちが群がる。
所長はニコニコしながら受け答えを始めた。
「いや~彼はほんっと優秀なんですよ~。うちの天才です天才!
カメラセンス? あれはもう、才能としか言いようがないですねぇ。
あ、実はですねぇ……今回の任を命じたのは、何を隠そうワ・タ・シ。
自分で言うのも何ですけど、人を見る目には自信あるって言うかぁ」
うわああああ!
じ、地獄だ……!