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第6話 神の読みが生まれた理由

 ようやく、静かになった。

 数時間前まで報道陣の波に飲まれていた首都研のロビーには、今や人の気配もまばらだ。

 受付前の椅子に腰を下ろし、香奈がふぅっと大きく息を吐いた。


「なんか、すごいことになっちゃったね……」


 俺は隣で缶コーヒーを開けながら、無言でうなずいた。

 神カメラマン。

 SNSでの大バズリ。

 現場は、見事なまでにとんでもない騒ぎになった。


「でも、やっぱりさ……配信って、すごいね」


 香奈が小さくつぶやく。

 俺は何も答えず、苦いコーヒーを飲み下した。


「先輩~~~っ!!」


 元気すぎる声とともに、駆け足でこちらに向かってくる人影があった。

 茶髪の、ひょろっとした体格の青年。


「安藤……」


 彼は息を切らしながら駆け寄ってくる。

 片手にはスマホ。

 画面には、さっきの会見の様子がニュースで流れていた。


「見ましたよ見ましたよ! もう今、ネットでもテレビでも全部それっす!

 “神カメラマン、研究員だった!”とか“AI開発者は超人!?”とか……。

 もはやヒーロー扱いじゃないっすか!」


「見事なまでに盛られてるな……俺はただの研究員だよ」


 うんざりしながら言うと、安藤はニヤニヤしながら前のめりになってくる。


「いやいやいや、あれはもう、ただの研究員なんてもんじゃないっす!

 カメラ、完全に先回りしてモンスターの動き捉えてたっすよね!?

 普通は追いかけるだけで精いっぱいなんすよ。それが先輩は――」


 彼は大げさなジェスチャーを交えて、言った。


っすよ!」


 その言葉に、缶を持つ指が一瞬だけ止まった。


「……読んでた、か」


「そうっす! 敵の挙動を予測して、一瞬早くカメラを向けてた。

 動きも位置も展開も、全部! あんなの偶然でできるもんじゃない。

 毎日毎日、戦闘ログに向き合ってた先輩だからできたことっすよ!」


 俺は言葉を返さず、ただ黙って考えていた。


 昨日の戦闘。

 敵がどう避けるか、どのタイミングで技を使うか、味方の誰が狙われるか。

 それら全てを理解し、思考するよりも早く、まるで脊髄反射のように体が動いていた。


 あれは偶然じゃなかった。

 五年間、毎日十五時間。

 AIDAのために記録させた膨大な戦闘ログを、寝食削って解析し続けた日々。

 その蓄積が、意識しないうちに、俺の中でに変わっていた。


「んで、それはまあ、わかるんすけど」


 安藤が口元をにやけさせたまま、続ける。


「カメラの操作も、やたら上手かったっすよね。

 配信嫌いとか言ってたのに、実はけっこう観てたりして……?」


 俺は静かに、缶コーヒーを置いた。


「見るかバカ」


 それでも安藤は、悪びれずに笑った。


「またまたぁ、照れちゃってぇ~!」


 横でそのやりとりを聞いていた香奈が、視線を落とした。


「……配信、嫌い……なの?」


 ぽつりと呟く。

 その声には驚きと、少しの戸惑いが混ざっていた。

 俺は軽く頷いた。


「ああ。アレが世に出てきだした時から、ずっとな」


 言葉を切ると、香奈が小さく肩を震わせる。

 だが、それでも彼女は俺をまっすぐ見つめてきた。


「でも……お願い。中級ダンジョン、零士くんと一緒に行きたい」


「断る」


 即答した俺の声に、香奈が目を見開く。


「――理由はニつ。一つは言った通り、俺は配信が嫌いだ。バズるのが悪いとは言わないが、命のやり取りをウケる・映えるで判断するのは、どうしても好きになれない」


 香奈はうつむいたまま、黙って聞いていた。


「そしてもう一つ。お前たちのパーティに、中級ダンジョンはまだ早い」


「…………うん」


 しばらくの沈黙。

 やがて、香奈が小さく口を開いた。


「実はね。前にも、一回だけ中級ダンジョンに挑んだことがあるんだ。

 そしたら、途中で全滅しかけて、怖くなって逃げ帰って……」


 震える声で続ける。


「だから、怖いよ。ほんとは……すっごく怖い。中級にもう一回行くことも、失敗することも。

 ……それに、零士くんのことを巻き込むのも。ボクのせいで、何かあったらって思うと、怖くてたまらない」


 肩が、膝が、わずかに震えていた。

 だがその瞳は、光を失わずまっすぐこちらを見据える。


「でも、それでもやりたいんだ。ボクには、やらなきゃいけないがある。

 だから、お願い……もう一度だけ、ボクにチャンスをちょうだい……!」


 ロビーの空気が、しんと静まり返った。

 エアコンの風が淡く髪を揺らす。

 誰も口を挟まない。

 俺も、何も言えなかった。


 前回のボス討伐後、彼女は配信を始めてまだ半年程度だと言っていた。

 元々格闘技の心得があったり、軍隊に所属していたり、

 何かしら戦闘経験を積んだ者ならまだしも、

 そこらの大学生が半年そこそこで中級なんてありえない。


 目の前にいるのは無茶なストリーマー。

 泣き言を言いながら、それでも前に進もうとしている、ただの若者だ。

 ここで否定をしてやるのが、大人の役目。

 俺は視線を遠くに逸らした。


「やれやれ、青春っていいねぇ」


 ふらっと現れたのは、所長・滝沢美帆。

 缶ジュース片手に、のほほんと笑いながら近づいてきた。


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