「私は
自信に満ちたその声は、夜風をも切り裂くようにまっすぐ届いた。
どこか舞台めいた名乗り。
だが、それが様になっている。
「配信中、見てたわよ。おめでとう。
凸でもしようかと思ったけれど、間に合わなかったみたいね」
ふっと笑うルクシアの瞳は、どこまでも余裕に満ちている。
表情は柔らかいが、目の奥はまるで戦場。
常に勝者であることを義務づけられた者が宿す光。
「何の用だ。……残念だが、香奈はいないぞ」
俺は目の前の人物を見据え、短く問うた。
「ふふ、怖い目つき。まあいいわ。
私が用があるのはあの子じゃなくて、貴方なの」
突然の言葉に、俺は目を細めた。
「――私の、専属カメラマンになって」
またそれか。
つい一週間前に、香奈から言われたセリフを思い出す。
目の前の女、世界で最も名の知られたストリーマーが、同じことを言っている。
研究所宛にも、あれ以来オファーがひっきりなしに届いているらしい。
「断る。興味がない」
俺が淡々と返すと、ルクシアは一拍おいて微笑んだ。
「あら、まだ条件も聞いていないのに?」
「条件?」
小首を傾げながら訊き返すと、ルクシアはすっと姿勢を正し、わざとらしく髪を払った。
「ええ……たしか、首都魔力技術研究所、だったかしら?」
ピクリと眉が動く。
俺の職場の名前を、さらりと口に出してきやがった。
「資金に困っているそうね。研究費、スポンサー料……出してもいいのよ?
国の研究機関に個人スポンサーがつくなんて、実に現代的で素敵だと思うのだけれど」
こいつ……。
経済力と名声、そして自分というブランドを武器に人を動かすやり方。
まだ10代やそこらに見えるが、やり口が妙に大人びている。
「悪いが、その辺はもう解決済だ。
不本意ながら、
クラウドファンディングやら寄付金やら。
がっぽがっぽで喜びあふれる所長からの連絡が絶えない。
今日も「無事に帰ってきたら夜ご飯おごるね!! 最近余裕あるんだ私!!」というテンション高めのメールが飛んできていた。
俺がそう告げると、ルクシアはつまらなそうに眉を寄せて「ふぅん」と吐き捨てた。
「それなら……名誉はどうかしら?」
彼女の声色が少しだけ変わる。
微かに甘く、だがどこまでも高飛車に。
「あなたのカメラワーク。あれは世界を変えるわ。
私の配信にそれが加われば、きっと伝説なんて言葉では収まらない」
一歩、こちらに近づく。
それだけで、大気がびりっと震えたかのように錯覚してしまう。
「世界が湧く、視聴者が熱狂する。あなたも誇りに思うべきよ?
その目には、強烈な光が宿っていた。
金、実績、名誉、権力、そして影響力。
彼女にとって、それは持っていて当然の手札なのだろう。
これまでもそうやって、すべてを手に入れてきたのだ。
鼻で笑いたくなるような自信。
だが、嫌味なほどの完成度が、その自信に裏打ちされている。
はったりではない。
目の前の女は、紛れもない本物だ。
俺はほんのわずかに息を吸い、視線を逸らした。
「悪いが、他をあたってくれ。今日はこれから、用事があるんでな」
背を向ける俺にルクシアの視線が突き刺さるのを、背中越しに感じた。
踵を返して歩き出そうとした、その瞬間。
「――綾瀬香奈のことが、大事なのね」
ルクシアが低く、凍てつくような声音で告げた。
その一言に、思わず足が止まる。
声の抑揚はほとんどないのに、背筋がほんの少しだけ粟立った。
「だから私を拒むのね。あの子を裏切らないために。
なんて忠義に厚いカメラマンなのかしら」
皮肉に満ちた笑み。
だがその奥に、明らかな棘がある。
「……は?」
抑えたつもりだったが、声に微かな苛立ちが混じるのを自分でも感じた。
「あなたのその態度……正直、屈辱だわ」
ルクシアの声に、明確な怒気が滲む。
だがそれは激情ではない。
静かな怒り。
「私が、この私が。直々に足を運び、条件を整え、笑顔でお願いしているというのに。
あなたは、それをたかが
他の女という言葉には、目に見えるほどの毒が込められていた。
「勘違いするな」
俺はあえて、振り返らない。
「俺は別に、香奈のために動いたわけじゃない。
あの場にいて、俺にとっても利があった。だから動いただけだ」
その言葉が本心かどうか、自分でもわからない。
けれど今はそれ以上を言うべきではないと、確信に近い予測があった。
背後で、何かを噛み殺すような気配。
ほんの数秒の静寂。
そのとき。
「うおっ!? マジかよ……!」
突然、声が割り込む。
振り返ると、ダンジョン出口の魔方陣からケンタとショウタが現れた。
二人はルクシアの姿を認めた瞬間、明らかに硬直する。
「え、ちょ、ちょっと待ってください! 天城ルクシア様!? 本物!?」
「動画で見た何十倍も可愛いっ……!」
二人がざわつくなか、ルクシアはその様子を一瞥。
優雅なステップで彼らに近寄って、ショウタのシャツの胸ポケットに何かを入れた。
「え……」
「私の連絡先よ。きっと、必要になるわ」
それだけ言って、すぐに踵を返す。
口元には仄かな笑みをたたえたまま、その瞳は冷ややかだった。
「……今日はこれで帰るわ」
ルクシアはゆっくりと踵を返す。
立ち去り際、もう一度だけ振り返る。
その視線はまるで誓いのようだった。
「覚えておいて。私は、まだあなたを諦めていない」
その瞳が鈍く光る。
「どんな手を使ってでも、あなたの方から『カメラマンにしてください』と懇願させてあげる。
……それが、私からの予告よ。風間零士」
そう言い残して、彼女はゆっくりとリムジンへと戻っていった。
女王の退場。
再び開いたリムジンのドアに乗り込むと、何も言わずにこちらを見た。
そして、まるで舞台の幕が下りるように窓が閉まる。
黒塗りの車が、音もなく夜に溶けていった。
「る、ルクシアちゃんの連絡先、貰っちゃった……」
ショウタがぽつりと漏らす。
「俺、オーラで圧死しかけた……」
ケンタが苦笑混じりに呟いたそのとき、彼のスマホが振動した。
「あ、零士さん。香奈、無事帰ったって。今は家で休んでるらしいっす」
彼がこちらに差し出したスマホの画面には、リサからのメッセージ。
どうやらリサは無事に香奈に追いついて、家まで同行できたらしい。
俺は少しだけ安堵する。
「じゃあ、今日はこれで解散にするか。もう遅いしな」
俺がそう言うと、二人も素直に頷いた。
だけど頭の中はまとまらなかった。
香奈の覚悟。
ルクシアの到来。
まるで違う方向から、異なる火花が一気に飛び込んできたような一日。
分からない。
でも、ひとつだけ確かなのは。
俺の行動一つで、配信界が大きく動いてしまうということ。
そんな予感を、強く感じていた。