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第15話 悪夢

「くそ……」


 岩陰に身を伏せながら、俺は奥歯を噛み締めた。

 呼吸が浅くしかできない。

 背中が地面に縫い付けられたように重たい。

 全身に溜まった疲労が、神経を鈍く蝕んでいる。


「――零士、何回使った?」


 隣から、静かな声がかかる。

 振り向くと、彼女――岬 華みさき はながいた。

 ボロボロの前髪の下にある瞳だけが、いつも通りのまっすぐな光を宿している。


「三回……もう、限度だ」


「そっか」


 華は短く息を吐くと、肩にかけた武器を握り直した。


「零士はここにいて。私は戦闘に戻る」


「待て……お前だって、もう魔力が――」


「大丈夫っ!」


 遮るように彼女は笑った。


「これが終わったら、また私のこと撮ってよね。約束だから」


「……華!」


 呼び止める声は、風に掻き消されていく。


「華……!!」


 彼女の背中が、爆風の向こうに溶けていった。


 届かなかった。


 身体が動かない。


 彼女はいなくなり、無力感だけが残った。


 ――そして、世界が崩れた。




 飛び起きる。

 全身が汗でびっしょりと濡れていた。


「……っ、は……はぁっ……!」


 夢だ。

 わかってる。

 いつも同じ夢を見る。

 心臓の音がうるさくてたまらない。

 しばらく天井を見上げて呼吸を整える。


「……さすがに、シャワーだな」


 ようやく吐き出した言葉は、乾いた独り言だった。




------




 頭がぼんやりしたまま、街を歩いていた。

 ダンジョン配信の疲労と悪夢の余韻で、地に足がついていない。


 こんな日は、甘いものでも入れた方がマシだ。

 無意識に足が向いた先にあったのは、小さなカフェだった。

 何の気なしに入店して、思わず固まってしまう。


「……香奈?」


 店内で制服姿の香奈が、明るく客と話していた。

 せわしなく動き回り、トレーを片手に笑顔を振りまいている。


「ご注文のキャラメルミルク、まいりまーす!」


 店内に響く、透き通った声。

 そうだ、ショウタが言ってたな。

 バイトをかけもちしてるって。


「いらっしゃいませーっ! いちめ……い……」 


 ふとしたタイミングでこちらを向いた香奈が、目をぱちくりと見開いた。


「れ、零士くん!?」


 目が合った瞬間、背筋をぴんと伸ばした。


「ちょ、ちょっと待ってて! 今休憩入るから!」


 慌てて厨房の奥へ消えていった。

 数分後、制服のままの香奈がテラス席に姿を現した。


「ここ、空いてるよ! ちょうど休憩のタイミングでラッキー!」


 嬉しそうにイスを引くと、どさっと腰を下ろす。

 午後三時過ぎ。

 昼の混雑もひと段落し、店の前は穏やかな空気に包まれていた。


「ま、まさか零士くんが来るなんて……!」


 香奈がテーブルについた瞬間、顔をパッと赤くした。


「はっ、すっぴんだけど大丈夫!? いや、いつもはちゃんとしてるからね!?

 今日に限って寝坊しちゃって……ぐぅっ! くやしいっ!!」


 頭を抱えて机に突っ伏す。

 が、すぐに勢いよく顔を上げる。


「ま、待って! 制服マジックってあるじゃん!? むしろ普段より盛れてるかも!?

 いや……え、襟しわしわじゃない? あーー!!」


「おい、落ち着け」


「う、うん……ご、ごめん……テンパってて……えへへ」


 制服の裾を指でぎゅっと摘んで、もじもじする仕草が妙に小動物っぽい。

 しばし静かになったかと思えば、今度は顔を上げて首をかしげる。


「ていうか、零士くんってこういうとこ来るんだね?

 なんか、家と研究所の往復だけの仕事マシーンかと思ってた!」


「……言い方は引っかかるけど、否定できないな。

 本当は今日も出勤予定だったし、AIDAの調整も進めたかったんだが」


 カップを手にしながら、俺は少しだけ息をつく。


「昨日の配信の影響で、研究所前にまたマスコミが押し寄せてるらしい。

 俺が出たら余計騒ぎになるってことで、所長から『今日はおとなしくしとけ』と」


「へぇぇぇ……あれ? じゃあ今日、休みだからわざわざボクに会いに――」


「それはない」


「ですよねーーーーっ」


 頭を抱えて机に沈む。

 テンポの良いその動きに、思わず吹き出しそうになった。

 しばらくして、香奈が姿勢を戻す。

 さっきまでとは打って変わって、少し真面目な目。


「……あの、ね。昨日は、ごめん。勝手に突っ走って」


 俺は軽く首を振る。


「ケンタ達から話は聞いた。……俺も言い過ぎた」


 香奈は「そっか」と呟いて目を細める。


「……妹さん、容体はどうなんだ」


「んー……あんまり、良くない。どんどん衰弱していってる。

 かかる治療費も増えてきてて、零士くんのおかげで配信の収入も多くなったけど、それでもまだ手術費用は賄えない……て感じ、かな」


 非情な現実に、俺は何も言えない。

 香奈は、ほんの少しだけ肩を寄せるように身を乗り出してきた。


「もう、もう……無理なのかなあって。ちょっぴりだけ思っちゃってる。

 でも、ボクね。できることは全部やりたいんだ。

 さいごに後悔しないように……それだけなの」


 彼女の言うが、どの時を想像して選んだ言葉なのか。

 その思考を推測するだけで、俺の胸は締め付けられるように痛む。


「――香奈! こ、これ見てくれっ! あ……あれ?」


 ふと、店の扉がガタッと開いた。

 現れたのは、でかい図体をした男――ケンタだった。

 突然止まったせいで、後ろから来たリサが勢いよくぶつかる。


「ちょっとケンタ! 急に止まらないで――って、ん?」


 ケンタの肩越しにこちらを見たリサが、ぱちくりと数回瞬き。

 そして、なぜかにっこり笑って。


「お邪魔しましたー」


 ウインク一発、からの方向転換。

 見事なまでのターンで帰ろうとする。


「いやいやいや! ちょっと待ってリサ! 違うの!!」


 香奈が慌てて席を立ち、リサの袖をつかんで引っ張る。


「え、え、え、何か変な誤解してる!?

 ち、違うからね!? 何でもないからね!?」


「えぇ~? いやぁ~? でも昨日の帰り『嫌われたかな……ぐすん』とか言って」


「あああああああああっ!」


 香奈の慌てっぷりに、リサがクスクス笑いながらスマホを構える。


「そ、そんなことより今はこっちですよ! 零士さんもちょうど良かった! 見てください、コレ!」


 未だ硬直したままのケンタをするりと潜り抜け、ショウタがスマホ画面を差し出した。

 そこには、見覚えのあるブロンドの少女――天城ルクシアが映っていた。


「何コレ……あっ、ルクシアちゃんじゃん。緊急生配信……?」


 香奈が眉をひそめる。

 画面に映る配信の女王の背景には、重厚なシャンデリアと深紅のカーテン。

 クラシカルな西洋調の空間に、完璧に作り込まれた舞台が広がっている。

 彼女は深いワインレッドのソファに優雅に腰かけ、ティーカップを指先で転がしていた。


 画面越しでも伝わる洗練されたオーラ。

 すべてが計算され尽くした美。

 そしてカメラ目線のまま、微かに口元を歪めた。


『それでは定刻になりましたので、始めましょうか』


 その声は、まるで舞台女優の開幕宣言のように華やかで、冷たい。

 視聴者数を見ると、【313,246人】の文字。

 予告されていたわけでも、ダンジョンに潜るわけでもない配信に、これ程の人数が集まることが、彼女の注目度の高さを如実に表していた。


『綾瀬香奈さん。ひいては、そのお仲間“プリズム☆ライン”の皆さん。

 もしこの配信を見ているなら――』


 寒気を覚えるほどの存在感。

 そしてその目が、俺たちを画面越しに射抜く。


『――最難関ダンジョン “アビス・ゼロ” を、私と攻略しに行きましょう』

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