動き出した
ただ床を這うように沈み込み、次の瞬間には、空気ごと空間をえぐり取るような勢いで突進してきた。
「っ!」
香奈の姿が消える。
間一髪、とっさのバックステップ。
彼女は床を蹴って跳躍。
黒煙のような腕が彼女の足元をすり抜け、地面が波打つ。
「来る……っ!」
最難関ダンジョンのボス。
しかし香奈の目は追いついている。
反射も、運も、噛み合っている。
「焼け落ちなさい!」
今度はルクシアが前に出た。
爆裂音と同時に火花が飛び、外殻がわずかに削れる。
けれど、それだけ。
ボコボコと音がして、黒光りする外殻の穴は塞がった。
再生が早すぎる。
魔力による外殻の補修が、ルクシアの火力を超えてくる。
「効いてない……っ!」
ルクシアの眉間が歪む。
魔力は尽きていない。
攻撃も正確だ。
それでも、通じない。
俺は彼女たちの動きをカメラ越しに観察しながら、歯噛みした。
「……まったく読めないな」
骨格の構造も、重心の置き方も、移動時の圧力伝達も。
すべてが異常だ。
これまで解析してきたどんな魔物とも噛み合わない。
というかそもそも、生物としておかしな挙動をしている……。
「――いや、違う」
一致しないんじゃない。
「……AIDA、現在の照合はどうなってる」
『照合結果、該当個体なし。類似体躯から戦術挙動を抽出中ですが、平均整合率11.2%、誤差範囲大。照合困難と判断されます』
「やっぱりな。それでいいから続けろ。精度は問わない、とにかく希望は捨てるな。俺は別の角度から解析する」
『承知しました』
俺は再びファインダーに視線を戻す。
巨大な獣が、香奈とルクシアを同時に視界に捉えた。
次の瞬間、十本の黒煙の腕が蜘蛛の脚のように広がり、空間を這うように襲いかかる。
「あっ……ぶない!」
香奈が跳ねた。
斜めに跳び、回避動作に繋げる。
それと同時に、地面から突き上げるような打撃。
「うう……間一髪だよ……っ」
脚で叩きつけてきたのか?
やはり各部位の挙動がバラバラだ。
「くらいなさい!」
ルクシアが火線を走らせ、ボスの左後脚に集中砲火する。
が、直後、真上から黒煙の腕が降ってくる。
攻撃方向の逆、死角からのカウンター。
動きの意図が一貫していない。
距離を詰める挙動は爬虫類型に近い。
跳躍時の脚のバネは鳥型。
腕の回し方は多関節の軟体型。
そして、その腕攻撃の狙いは昆虫種の毒撃に似ている。
まるで、複数の魔物を貼り合わせてできたバグモデルみたいだ。
「AIDA、全体モデルの統合は一旦中断。部位単位で照合パターンを分割しろ」
『なるほど。一つの個体と見なさずに……把握いたしました』
「解析アルゴリズム切り替え。頼むぞ」
『部位構造を独立認識、腕部――ヴァルゴリザード系、一パーセント。オークロード系、ニ・五パーセント……』
「よし、よし、いいぞ……! どこか一つでも読み切れれば、必ず綻びが出る!」
ファインダーの奥、香奈の身体が旋回し、床を滑るように逃げる。
ルクシアは魔力を腕に集中させ、ボスの腹部へ火線を絞る。
そのとき、脚がまた跳ね上がった。
「くっ……そぉ!」
ファインダーの奥で香奈が跳躍。
剣を振れない。
防御もできない。
香奈は得意の機動力と反射神経を活かし、宣言通り“的”として敵の攻撃を散らしている。
が、それも限界があり。
「きゃあああっ!」
黒煙の腕が真上から降ってきた。
香奈の回避が間に合わない。
やられる――
「――やらせない!」
炎が弾けた。
駆け込んだのはルクシアだった。
灼熱の冠が展開し、彼女の身体ごと魔法障壁となって香奈を覆う。
直後、黒煙の腕がルクシアを叩いた。
爆風と衝撃が混じったような音が響き、ルクシアの身体が吹き飛ばされる。
「ルクシアさんっ!」
香奈が駆け寄る。
けれどその途中で彼女は脚を止めた。
次に襲い来る異変を感じ取ったのだ。
ボスが、動作を溜めている。
大ダメージを負ったルクシアと、体力の尽きかけている香奈。
敵からしてみれば絶好の機会。
このままでは、二人ともやられてしまう。
『――部位、個別解析完了。
脚部――跳躍時の筋収縮パターン、ハードリザード系と一致。
腕部――黒煙状、ヴァルキアクラー種の前腕構造に酷似。
頭部――基礎構造はガストドレッド系に近似、魔力感知による精密視界を保有。
外殻――表層はマルバイン甲殻種の特性、魔力による即時自己修復機能を確認。
……以上、四系統の魔物構造との一致を検出いたしました』
AIDAの声が耳に突き刺さった。
その瞬間、俺の中で何かがハマった。
空白だった戦闘パターンに、部位ごとのデータがピースのように噛み合っていく。
爬虫類型のバネ脚、昆虫系の前腕突き、軟体系の回避挙動、魔力反応の流れと重心の位置。
そして、いまヤツが取っている構え。
「はっ、最高のAIだ。開発者の顔が見てみたいな!」
『恐縮です。後ほど、写真を添付したメールをお送りしておきます』
「頼んだ!」
軽口を叩きながらカメラを放り投げ、俺はコートを脱ぎ捨てた。
香奈に、ルクシアに、黒煙の腕が降るその直前。
「――読み切った」
俺は腰のホルスターから二本のナイフを抜いた。