遠く離れたボスを見やる。
奴はこちらの出方を伺うように、ゆらゆらと左右に身をゆすっていた。
「……全部、塞がってるな」
「ひーっ、やっかいすぎるよ~!」
さっき切り落としたはずの腕も、抉った脚の関節も。
どこにも傷跡が残ってない。
黒煙のような肉が、まるで逆再生みたいに形を戻していた。
「マルバイン甲殻種の特性、自己修復機能だ」
これじゃ、まともにやり合っても勝ち目はない。
ちまちま削っていっても、先に体力が尽きるのはこちらの方だ。
「だから二人の力が必要だって言ったろ?」
「……なるほどっ」
やるべきことは一つ。
回復が間に合わないほどの一点突破。
全てをぶち込む、超火力のフィニッシュだ。
「ルクシア!」
呼びかけると、彼女は既に両腕に魔力を練り上げていた。
さすが、世界ランク1位。
もう自分のやるべきことを理解している。
彼女は顔だけこちらへ向けて、口を開いた。
「何でしょうか」
「何でもいい。俺が合図したら、お前の今やれる一番強い技をアイツにぶつけるんだ」
「ふふ……私の得意分野ですわね」
ルクシアは再び視線を戦場に向けた。
その横顔はまだ血の気が戻っていないが、口元にはいつもの笑みが浮かんでいる。
「香奈と俺で前に出る。こっちで腕と脚を引きはがして胴体を晒したら、その瞬間に全力で叩き込め!」
ルクシアはしばらく黙っていた。
軽く息を吸って、肩の力を抜く。
そして、普段通りの女王様口調で言い放つ。
「ええ。あの不気味な肉体全部、焼き払って差し上げますわ……!」
香奈が剣を構え直す。
血だらけの腕を振るって、とんとんとその場でジャンプしてみせた。
「ボクはいつでも、バッチリ動けるよ」
「よし! 作戦開始だ」
――戦闘、再開。
「香奈、左から回り込め。進む速さは俺に合わせろ」
「了解っ!」
香奈が斜めにステップを刻みながら前へ出る。
俺もその逆サイドから同時に動いた。
俺たちの接近に気づいたボスの胴体がわずかに傾ぐ。
そして黒煙の腕が振り上がる。
「香奈! 腕での攻撃! ジグザグに切り込め!」
「はーいっ!」
香奈が跳んだ。
足場を蹴って、腕の間をすり抜けるように移動。
触手が唸りを上げて後方へ空振る。
すぐさま、敵の右後脚に重心が集まる。
次の踏みつけの準備だ。
「右後ろ脚、斬りつけろ!」
「いっけええっ!!」
アークブレードが高熱を発し、白く輝いたかと思うと、敵の脚の真横から刃が深く食い込んだ。
「反撃来るぞ、そのまま後方へ回避!」
敵の身体が揺れた。
香奈が膝をたたんでバク転のように地面を蹴り、直撃をかわす。
「次はこっちだ! 香奈はそこで待ってろ!」
今度は、俺の方に迫りくる黒煙の腕を読み、ナイフの切先を攻撃に合わせる。
一拍ずらして振り下ろされた第二波を見切り、俺は姿勢を崩さず、刃を逆手に回して内側へ踏み込む。
「部位ごとに別の魔物ってカラクリさえわかれば、充分読み切れる!」
刃がうなりを上げ、腕を裂く。
触手が乱れた。
「香奈、攻撃だ! 思いっきり踏み込め!」
「はあああっ!!」
香奈がすれ違いざまに触手を斬り上げる。
俺が空いた前脚にナイフを突き立て、体勢を崩す。
敵の巨体が、わずかにのけ反る。
その隙に。
「……開いた!」
腹部が、がら空きになっていた。
黒煙の障壁も位置取りも、すべて一瞬だけ噛み合って、完全に胴体が露出している。
「――今だ、ルクシア!!」
俺が叫ぶより前に、後方の空気が熱を孕んだ。
魔力が渦を巻き、ルクシアの髪が風に流れる。
彼女はすでに構えていた。
合図など不要だったのだ。
「焼け落ちなさい」
小さな呟き。
しかしそれは、女王の絶対命令に他ならない。
「――
次の瞬間、大気が揺れた。
彼女の頭上に浮かぶ炎冠が一点に収束し、そこから眩い光の槍が打ち出される。
まるで天から落ちる断罪の雷。
紅蓮の閃光が一直線にボスの腹部を貫いた。
黒煙が悲鳴のように四散し、赤黒い肉が内側から膨張する。
「――……っ!」
声にならない叫びと共に、敵の肉体が爆ぜた。
全てが吹き飛び、炎の柱が天井まで伸びる。
空気が、視界が、振動と光に塗り潰された。
香奈は目を見開いたまま立ち尽くす。
俺は、ただ焼け落ちた空間を見つめていた。
これが、女王の一撃。
「……やった!? やったよね!?」
香奈が叫ぶ。
ルクシアも魔力を収め、地に膝を着く。
ギリギリの戦いだったが、三位一体の攻撃で何とか撃破することができた。
俺もナイフを収め――
『――生体反応、未消失』
AIDAの機械的な声が耳元に鳴った。
『いえ、それどころか魔力密度が急上昇しています』
「なっ……!」
何かが、蠢いた。
崩れた肉が、地を這い、集まり、絡まり、形を変える。
肉が脈打ち、漆黒の魔力が天井まで噴き上がる。
空間ごと歪んだような、異常な光景。
「っ……まさか……」
霧散した黒煙の中から、ゆっくりと“それ”が現れる。
赤黒い肉のうごめき。
目のない仮面。
人のような口元。
浮遊する
「……第二……形態……っ……!」
声が漏れた。
まだ、深淵は終わらない。