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第28話 時を止める力


 ――空気が、変わった。


 肉のうねりとともに、あの化け物は姿を変えた。

 崩れた外殻、赤黒い肉の塊、内部で脈打つ何か。

 人のような笑みを浮かべた“仮面”が、中心に貼りついていた。


 地を踏む音も、空気を切る風もない。

 ただそこに“沈黙の暴力”が存在している。

 俺の膝はわずかに震えていた。

 全身が、無意識に拒絶していた。


「……香奈、ルクシア」


 俺は仲間の名を呼ぶ。

 二人は言葉を発することなく、こちらへ顔を向けた。


「悪いな……形態が変わって、読みが役に立たなくなった。何とか、生き延びてくれ」


 心からの懇願。

 もはや指示はできない。

 二人を信じて、生きろと頼むしかない。


 ――そして、奴は動いた。


「来るぞっ!」


 精一杯の連携、いや、連携とは言えない。

 ただ並びたつ仲間に敵の襲来を知らせるだけ。

 視界の端で、触手のような腕がにじむように伸びてくる。


 黒煙ではない。

 今度の腕は実体。

 鞭のような挙動をしている。

 直線でも曲線でもない、まるで空間を泳ぐような螺旋の軌跡。


 こんな軌道、初見じゃ避けられるわけがない。

 俺は思考を断ち切って地を蹴った。

 地面を滑るように横に飛び、辛うじて回避。

 香奈が俺の逆サイドに回り込み、アークブレードを構える。


「はああっ!」


 香奈のアークブレードが閃き、斜めに斬りかかる。

 けれどその刃が通ったのは、空っぽの空間だった。

 ボスはその攻撃を予測していたかのように、身体を逸らしていた。


「っ、はずした!?」


 香奈の声が震える。

 こいつ、動きのタイプが完全に変わっている。


 俺は第一形態に対し、複数の魔物の挙動をパーツとして解析し、それを組み合わせて対処してきた。

 だが今、目の前にいるのは全てを内包した未知の生命体。

 パーツごとではなく、ひとつの完全な個体として動いている。


「う、ぎぃ……!」


 香奈の声が裏返る。

 視界の端、肉のような腕が蛇のようにしなり、香奈を撫でるように通過。

 ギリギリでかわしたが、彼女の袖が裂け、肌に赤い筋が走る。


「……くっ」


 香奈がバックステップで距離を取る。

 その表情には焦りと戸惑いが浮かんでいた。

 俺たちは、戦えていなかった。

 凌いでいるだけ。

 耐えているだけだ。

 敵の動きが見えない。

 読みが利かない。

 反撃すら成立しない。


「……このままじゃ、時間の問題だ」


 体力が削られ、じわじわと包囲されるような焦燥感。


「AIDA。一応聞くが、行動予測は?」


『不可能です。挙動アルゴリズムが変質。従来の部位別解析が通用しません』


 だよな。

 今から読み直す余裕なんてない。

 どうすべきか逡巡したそのとき、空気が張り詰めた。

 嫌な予感が背筋を駆け上がる。


「……まずい!」


 敵がこちらの視線から外れる。

 狙いを変えた。

 魔力の流れが、一点に集中する。

 奴が向かう先にいるのは……ルクシアだ。


「ルクシア、下がれ!」


 叫んだ時にはもう、奴は動き出していた。

 空気を裂くように加速し、一直線にルクシアのもとへ。

 俺も慌てて後を追うが、間に合わない。


「……来なさい!」


 彼女も応戦する。

 片手を天に掲げ、魔力を散らす。


烈火冠インフェルノティアラ霧雨レイン!」


 無数の火炎弾が空中から降り注ぐ。

 だが避けられる。

 すべて躱される。

 届かない。

 ボスの顔に浮かぶ仮面が、笑ったように見えた。


「――っ!」


 ルクシアの前に、その巨体が立ちふさがる。

 触手が振りかぶられる。

 殺される――!


「させるか!」


 刹那、全身に魔力が巡る。

 指先が震える。

 心臓が早鐘を打ち、脳が焼けるような感覚。


「――時断クロノ・カット


 俺の放つ魔力が、世界を貫いた。


 ――


 三秒。

 空間から音が消える。

 黒い粒子のような魔力が辺りを漂い、時間の境界がぼやける。


 二秒。

 俺は走った。

 音も風もない戦場を駆け、今まさに殺されようとしていたルクシアの前に滑り込む。


 一秒。

 その身体を抱え、全力で大地を蹴って跳躍する。


 ゼロ。

 時間が、動き出す。


 ――ブンッ!


 ボスの腕が空を裂く。

 だが、そこにルクシアの姿はなかった。

 俺は岩陰に着地し、彼女を下ろす。


「ッ……ハァ、ハァ」


 これを使うと息が上がる。

 魔力の消費もやはり著しい。


「まさか、あなた……」


 ルクシアが眉を顰め、何かを言おうとする。


「後で文句は聞く。今は、死なないことだけに集中しろ」


 残り、発動可能回数は二回。


 その価値を、最大限に使う。


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