目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第29話 伝説の男

※※※ 今回の話はルクシア視点で進みます ※※※

---------------------------------------------------


 炎が、届かない。


「――っ!」


 烈火冠インフェルノティアラが頭上で弾ける。

 無数の火弾が上空から降り注ぎ、熱の奔流が敵を包むはずだった。

 しかし、何も当たらなかった。

 赤黒い肉の塊は、舞い落ちる炎の隙間を滑るようにすり抜け、

 まるで未来を知っているかのように、一直線にルクシアへと迫っていた。

 視界が、塞がれる。

 巨大な肉塊。

 歪んだ笑みの仮面。

 眼前で振り上げられる腕。


 避けられない――


「――させるか!」


 思考が、そこで止まった。

 体が硬直する。

 死を覚悟するという感覚すら、遅れてやってきた。


 だが。

 いくら待っても、痛みは来なかった。

 あれほどの質量が振り下ろされる刹那の恐怖の中で、時間だけが過ぎていく。

 感覚が、消えた。

 恐る恐る、目を開ける。


「え……?」


 視界は、岩陰だった。

 さっきまで確かに戦場のど真ん中にいたはずの彼女は、いつの間にか岩の裏に隠れていた。

 そして、すぐ目の前で風間零士が、肩で荒く息をしていた。

 彼の背中は汗で濡れ、呼吸は不規則で、明らかに限界に近い。


「まさか、あなた……」


 声をかけようとした。

 なぜ助けられたのか。

 明らかに間に合わない距離だったはず。

 どうやって。

 まさか。

 さっきの、あなたの魔法? と問いかける前に、零士が顔も向けずに言った。


「後で文句は聞く。今は、死なないことだけに集中しろ」


 語尾がかすれる。

 けれど、彼はそれでも腰を上げた。


「とりあえず、お前はここにいてくれ。また狙われたら面倒だ」


 彼は振り返らずに続ける。


「ただし、烈火冠はすぐ撃てるように準備しとけ。必要になったら合図する」


 それだけ言って、戦場へと戻っていった。

 ルクシアはしばらく呆然と、その背中を見送っていた。


(……なに、が……起きたの?)


 まだ呼吸が整わない。鼓動がうるさいほどに高鳴っている。

 確かにあの瞬間、自分は死んだはずだった。

 逃げられない距離、回避不能の軌道。

 炎も届かず、目の前にはボスの腕。


 それなのに、今、無傷でここにいる。

 岩陰に隠されるように。

 皮一枚どころか、髪の一本すら失っていない。

 状況がまるで飲み込めなかった。

 けれど、この命が救われたという事実だけは、確かに感じ取れる。


 ふと視線を落とすと、隣に無造作に転がっていた黒い鞄が目に入った。

 風間零士のものだ。

 口が半開きになっており、中には見慣れた端末――配信確認用のタブレットが覗いていた。


(何か、映ってたかもしれませんわ)


 静かに息を整え、音を立てないよう鞄に手を伸ばす。

 タブレットを取り出して電源をオン、配信ウィンドウを開いた。

 コメント欄は、騒然としていた。


 :今、絶対おかしかったよな!?

 :あれ、時止まった???

 :通信環境のせいじゃないよなやっぱ

 :そんな魔法あんの?

 :いるわけない

 :いたら今ごろ余裕でトップストリーマーだろうよ

 :いや、噂程度でしか聞いたことないんだが、政府直属の攻略部隊にいたとか


(……政府の、攻略部隊?)


 その一文に、ルクシアの中で何かが繋がった。


 六年前。

 世界中に突如としてダンジョンが現れ、人々が混乱に陥ったあの年。

 まだ“ダンジョンストリーマー”などという概念すら存在しなかった時代。

 日本政府は国家直轄で、機密扱いの攻略部隊を組織していた。

 隊員に選出されたのは、自衛隊に所属する中で特に優秀な者か、稀有な固有魔法クラシックを所持する一般人の中の覚醒者ノヴァ


 その中に、という、あまりにも強力な固有魔法を持つ少年がいた。

 当時、年齢は十六。

 日本の高校生。

 名前も顔も公開されることはなく、まるで都市伝説のように、ダンジョン黎明期に語られ続けた存在。


(まさか、彼が……?)


 ダンジョン配信の舞台裏で、何年間もコツコツとデータ解析だけをし続けていた男。 

 風間零士こそが。


 胸の奥がざわついた。

 寒気でも熱でもない、何か大きなものに包まれるような感覚。

 指先が微かに震えるのを止められなかった。


 畏れ。

 それは、ただの驚きではない。

 尊敬でもない。

 “本物”を目の前にしたとき、人は言葉を失う。


 その瞬間、ルクシアは確かに知ってしまった。


 目の前の男が、伝説だったことを。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?