※※※ 今回の話はルクシア視点で進みます ※※※
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炎が、届かない。
「――っ!」
無数の火弾が上空から降り注ぎ、熱の奔流が敵を包むはずだった。
しかし、何も当たらなかった。
赤黒い肉の塊は、舞い落ちる炎の隙間を滑るようにすり抜け、
まるで未来を知っているかのように、一直線にルクシアへと迫っていた。
視界が、塞がれる。
巨大な肉塊。
歪んだ笑みの仮面。
眼前で振り上げられる腕。
避けられない――
「――させるか!」
思考が、そこで止まった。
体が硬直する。
死を覚悟するという感覚すら、遅れてやってきた。
だが。
いくら待っても、痛みは来なかった。
あれほどの質量が振り下ろされる刹那の恐怖の中で、時間だけが過ぎていく。
感覚が、消えた。
恐る恐る、目を開ける。
「え……?」
視界は、岩陰だった。
さっきまで確かに戦場のど真ん中にいたはずの彼女は、いつの間にか岩の裏に隠れていた。
そして、すぐ目の前で風間零士が、肩で荒く息をしていた。
彼の背中は汗で濡れ、呼吸は不規則で、明らかに限界に近い。
「まさか、あなた……」
声をかけようとした。
なぜ助けられたのか。
明らかに間に合わない距離だったはず。
どうやって。
まさか。
さっきの、あなたの魔法? と問いかける前に、零士が顔も向けずに言った。
「後で文句は聞く。今は、死なないことだけに集中しろ」
語尾がかすれる。
けれど、彼はそれでも腰を上げた。
「とりあえず、お前はここにいてくれ。また狙われたら面倒だ」
彼は振り返らずに続ける。
「ただし、烈火冠はすぐ撃てるように準備しとけ。必要になったら合図する」
それだけ言って、戦場へと戻っていった。
ルクシアはしばらく呆然と、その背中を見送っていた。
(……なに、が……起きたの?)
まだ呼吸が整わない。鼓動がうるさいほどに高鳴っている。
確かにあの瞬間、自分は死んだはずだった。
逃げられない距離、回避不能の軌道。
炎も届かず、目の前にはボスの腕。
それなのに、今、無傷でここにいる。
岩陰に隠されるように。
皮一枚どころか、髪の一本すら失っていない。
状況がまるで飲み込めなかった。
けれど、この命が救われたという事実だけは、確かに感じ取れる。
ふと視線を落とすと、隣に無造作に転がっていた黒い鞄が目に入った。
風間零士のものだ。
口が半開きになっており、中には見慣れた端末――配信確認用のタブレットが覗いていた。
(何か、映ってたかもしれませんわ)
静かに息を整え、音を立てないよう鞄に手を伸ばす。
タブレットを取り出して電源をオン、配信ウィンドウを開いた。
コメント欄は、騒然としていた。
:今、絶対おかしかったよな!?
:あれ、時止まった???
:通信環境のせいじゃないよなやっぱ
:そんな魔法あんの?
:いるわけない
:いたら今ごろ余裕でトップストリーマーだろうよ
:いや、噂程度でしか聞いたことないんだが、政府直属の攻略部隊にいたとか
(……政府の、攻略部隊?)
その一文に、ルクシアの中で何かが繋がった。
六年前。
世界中に突如としてダンジョンが現れ、人々が混乱に陥ったあの年。
まだ“ダンジョンストリーマー”などという概念すら存在しなかった時代。
日本政府は国家直轄で、機密扱いの攻略部隊を組織していた。
隊員に選出されたのは、自衛隊に所属する中で特に優秀な者か、稀有な
その中に、
当時、年齢は十六。
日本の高校生。
名前も顔も公開されることはなく、まるで都市伝説のように、ダンジョン黎明期に語られ続けた存在。
(まさか、彼が……?)
ダンジョン配信の舞台裏で、何年間もコツコツとデータ解析だけをし続けていた男。
風間零士こそが。
胸の奥がざわついた。
寒気でも熱でもない、何か大きなものに包まれるような感覚。
指先が微かに震えるのを止められなかった。
畏れ。
それは、ただの驚きではない。
尊敬でもない。
“本物”を目の前にしたとき、人は言葉を失う。
その瞬間、ルクシアは確かに知ってしまった。
目の前の男が、伝説だったことを。