視界が、真っ白に染まっていた。
激しい閃光に焼かれたような感覚。
音も思考も、何もかもが遠のいていた。
しばらくして、ゆっくりと色が戻る。
現実が静かに形を取り戻していく。
その中心で、あの化け物の巨体が崩れていた。
鈍く、湿った音とともに焼け焦げた肉が剥がれ落ち、赤黒い魔力が空中へ霧のように舞い上がる。
敵意も圧も、もうどこにも残っていなかった。
「……終わったのか」
息が喉の奥で引っかかる。
自分でも聞き取れないほど小さく、言葉が漏れた。
そのとき、視界の片隅で淡い光が揺らいだ。
床の一部が規則的に発光している。
見覚えのある紋章、転移魔法陣だ。
ダンジョン最深部のボスを打ち倒し、完全制覇した者にだけ開かれる出口。
「へ、へへ……ボクたち、勝ったんだぁ」
香奈がその場に崩れ落ち、地面に手をついた。
泥と血と汗でぐしゃぐしゃになった顔。
それでも目だけはまっすぐで、心からの笑顔を浮かべていた。
「誰も」
ルクシアがぽつりと呟いた。
その身体は限界をとうに超えていたのだろう。
壁に手をつきながら、重く体を預けていた。
「誰も、死にませんでしたわ」
そうだ。
誰一人、欠けることなく。
命を一つも失うことなく。
俺たちは、最難関ダンジョンを制した。
それは、何よりも尊い勝利だった。
俺は耳元の通信機器を軽くタップした。
「こちら零士、ダンジョン最深部にてボスを撃破。
転移魔法陣を確認したが、そっちはどうなってる?」
ノイズのあと、すぐに落ち着いた低音が返ってくる。
『こちら銀狼グスタボ。全員無事だ。トラップの転移先が、運よく上層階でな。
もう少しで入り口まで戻ることができる。外で落ち合おう』
グスタボの声だった。
その一言で、胸に引っかかっていた重りが一つ、静かに溶けていく。
「了解。お前らも、よく生きてたな」
通信を切り、ほっと息をつく。
これで本当に、全員が生きて帰れる。
背後から、やけに弾んだ声が響いた。
「見て見て! 零士くん、これっ!」
香奈が泥まみれの手でタブレットを差し出してきた。
画面の中央、表示された数値に、思わず目を疑う。
【視聴者数:5,071,157人】
「……嘘だろ」
口から漏れた言葉は、ほとんど吐息だった。
その数字の下、コメント欄が流星のように駆け抜けていく。
:神カメまじ伝説入り
:ルクシア様と香奈ちゃんの連携が完璧すぎた
:時止められるとか、人智超えすぎ
:誰も死なないってまじで泣ける
:香奈ちゃんかっこよすぎ、推せる
ルクシアも覗き込み、肩を揺らして微笑んだ。
「ふふ……予想以上の反響ですわね」
香奈はタブレットを抱きしめるようにして、小さく笑った。
その頬に、涙がにじんでいるのがわかった。
「伝説回だよおっ……」
そう呟いたとき、画面が唐突に暗転した。
「え?」
香奈が瞬きする。
「配信、止まった……?」
異常だった。
バッテリーは十分にある。通信状況も安定している。
なのに、配信は確かに途切れていた。
画面には何も映っておらず、完全な暗転。
直後、床の魔方陣が再び淡く光を放ち始めた。
もちろん、俺でも香奈でもルクシアでもない。
誰かが、外から中へやって来たのだ。
助けに来た仲間か?
プリズム☆ラインの誰かか?
それともグスタボたちか?
いや、違う。
俺の脳が即座に危機を叫ぶ。
「全員、下がれ!」
反射的に叫んだ。
魔方陣の光が収束し、その中心に一人の男が立っていた。
スーツに身を包み、背筋を伸ばした壮年の男。
その顔を、俺は忘れない。
何度もニュースで見た。
アメリカの立食パーティでも、そこにいた。
イグニス=ギア社の社長、ガルヴァノ・イグニス。
ルクシアの顔色が一瞬で変わる。
「ガルヴァノ……!? 一体、何のつもりですの!」
彼女の声が空気を裂くが、男はまるで聞いていないかのように無視していた。
優雅な足取りで、魔法陣からこちらへと歩みを進める。
礼節の仮面を貼りつけたその歩様の奥に、明確な殺意の気配があった。
その右手が、ゆっくりと背後から前へ。
見えた瞬間、背筋が凍る。
小型のビームライフル。
ただの銃ではない、魔具だ。
魔力圧縮型、精密射撃用。
殺意の高い武器。
そして俺の思考が状況を整理するよりも早く、男は無言のまま引き金を引いた。
紫の閃光が、一直線に空間を貫いた。
その軌道の先には、ルクシア。
「っ――!」
限界は、とっくに超えていた。
魔力は底を尽きかけている。
時断の許容量は使い切った。
それでも、足が止まらなかった。
「
叫ぶと同時に、俺は地を蹴った。
魔法が発動する。
空間が一瞬だけ歪む。
時間の流れが、ほんのわずかだけ硬直する。
だが、すぐに戻る。
コンマ一秒も持たない。
中途半端な魔力では、時間は止まってくれなかった。
がくんと膝が落ちる。
肺が潰れそうなほどの酸欠。
全身が鉛みたいに重い。
それでも――
「――
再び、魔力を迸らせる。
全身を叩き起こし、気力を無理やり引きずり出す。
一歩、前へ。
またすぐに時間が動き出す。
それでも、その一歩が確かに間合いを縮めた。
「……ッ、
喉が裂けそうだ。
魔力がうまく流れず、視界がちらついた。
それでも、止めない。
止まれない。
コンマ数秒だけ硬直した世界をつなぎあわせるように。
時間の切れ端を重ねていく。
一瞬を止めるたびに、激痛が走った。
頭が焼けるように熱く、背骨がひび割れるように痛み、両膝が折れそうになる。
目の前がチカチカと明滅し、世界が黒く染まりかける。
苦しい。
痛い。
全身が「もうやめろ」と叫んでいた。
それでもやめなかった。
やめる理由は山ほどある。
けれどやめない理由は、たった一つで十分だった。
後悔するのは、もう、嫌なんだ。
だから、俺はもう一歩、地を蹴った。
「
届いてくれ。
間に合ってくれ――!