目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第31話 全てを救うために

 視界が、真っ白に染まっていた。

 激しい閃光に焼かれたような感覚。

 音も思考も、何もかもが遠のいていた。

 しばらくして、ゆっくりと色が戻る。

 現実が静かに形を取り戻していく。


 その中心で、あの化け物の巨体が崩れていた。

 鈍く、湿った音とともに焼け焦げた肉が剥がれ落ち、赤黒い魔力が空中へ霧のように舞い上がる。

 敵意も圧も、もうどこにも残っていなかった。


「……終わったのか」


 息が喉の奥で引っかかる。

 自分でも聞き取れないほど小さく、言葉が漏れた。

 そのとき、視界の片隅で淡い光が揺らいだ。

 床の一部が規則的に発光している。

 見覚えのある紋章、転移魔法陣だ。

 ダンジョン最深部のボスを打ち倒し、完全制覇した者にだけ開かれる出口。


「へ、へへ……ボクたち、勝ったんだぁ」


 香奈がその場に崩れ落ち、地面に手をついた。

 泥と血と汗でぐしゃぐしゃになった顔。

 それでも目だけはまっすぐで、心からの笑顔を浮かべていた。


「誰も」


 ルクシアがぽつりと呟いた。

 その身体は限界をとうに超えていたのだろう。

 壁に手をつきながら、重く体を預けていた。


「誰も、死にませんでしたわ」


 そうだ。

 誰一人、欠けることなく。

 命を一つも失うことなく。

 俺たちは、最難関ダンジョンを制した。

 それは、何よりも尊い勝利だった。 

 俺は耳元の通信機器を軽くタップした。


「こちら零士、ダンジョン最深部にてボスを撃破。

 転移魔法陣を確認したが、そっちはどうなってる?」


 ノイズのあと、すぐに落ち着いた低音が返ってくる。


『こちら銀狼グスタボ。全員無事だ。トラップの転移先が、運よく上層階でな。

 もう少しで入り口まで戻ることができる。外で落ち合おう』


 グスタボの声だった。

 その一言で、胸に引っかかっていた重りが一つ、静かに溶けていく。


「了解。お前らも、よく生きてたな」


 通信を切り、ほっと息をつく。

 これで本当に、全員が生きて帰れる。

 背後から、やけに弾んだ声が響いた。


「見て見て! 零士くん、これっ!」


 香奈が泥まみれの手でタブレットを差し出してきた。

 画面の中央、表示された数値に、思わず目を疑う。


 【視聴者数:5,071,157人】


「……嘘だろ」


 口から漏れた言葉は、ほとんど吐息だった。

 その数字の下、コメント欄が流星のように駆け抜けていく。


 :神カメまじ伝説入り

 :ルクシア様と香奈ちゃんの連携が完璧すぎた

 :時止められるとか、人智超えすぎ

 :誰も死なないってまじで泣ける

 :香奈ちゃんかっこよすぎ、推せる


 ルクシアも覗き込み、肩を揺らして微笑んだ。


「ふふ……予想以上の反響ですわね」


 香奈はタブレットを抱きしめるようにして、小さく笑った。

 その頬に、涙がにじんでいるのがわかった。


「伝説回だよおっ……」


 そう呟いたとき、画面が唐突に暗転した。


「え?」


 香奈が瞬きする。


「配信、止まった……?」


 異常だった。

 バッテリーは十分にある。通信状況も安定している。

 なのに、配信は確かに途切れていた。

 画面には何も映っておらず、完全な暗転。


 直後、床の魔方陣が再び淡く光を放ち始めた。

 もちろん、俺でも香奈でもルクシアでもない。

 誰かが、外から中へやって来たのだ。


 助けに来た仲間か?

 プリズム☆ラインの誰かか? 

 それともグスタボたちか?

 いや、違う。

 俺の脳が即座に危機を叫ぶ。


「全員、下がれ!」


 反射的に叫んだ。

 魔方陣の光が収束し、その中心に一人の男が立っていた。

 スーツに身を包み、背筋を伸ばした壮年の男。

 その顔を、俺は忘れない。

 何度もニュースで見た。

 アメリカの立食パーティでも、そこにいた。

 イグニス=ギア社の社長、ガルヴァノ・イグニス。

 ルクシアの顔色が一瞬で変わる。


「ガルヴァノ……!? 一体、何のつもりですの!」


 彼女の声が空気を裂くが、男はまるで聞いていないかのように無視していた。

 優雅な足取りで、魔法陣からこちらへと歩みを進める。

 礼節の仮面を貼りつけたその歩様の奥に、明確な殺意の気配があった。


 その右手が、ゆっくりと背後から前へ。

 見えた瞬間、背筋が凍る。

 小型のビームライフル。

 ただの銃ではない、魔具だ。

 魔力圧縮型、精密射撃用。

 殺意の高い武器。

 そして俺の思考が状況を整理するよりも早く、男は無言のまま引き金を引いた。

 紫の閃光が、一直線に空間を貫いた。

 その軌道の先には、ルクシア。


「っ――!」


 限界は、とっくに超えていた。

 魔力は底を尽きかけている。

 時断の許容量は使い切った。

 それでも、足が止まらなかった。


時断クロノ・カット……!」


 叫ぶと同時に、俺は地を蹴った。

 魔法が発動する。

 空間が一瞬だけ歪む。

 時間の流れが、ほんのわずかだけ硬直する。


 だが、すぐに戻る。

 コンマ一秒も持たない。

 中途半端な魔力では、時間は止まってくれなかった。


 がくんと膝が落ちる。

 肺が潰れそうなほどの酸欠。

 全身が鉛みたいに重い。

 それでも――


「――時断クロノ・カットォッ……!!」


 再び、魔力を迸らせる。

 全身を叩き起こし、気力を無理やり引きずり出す。


 一歩、前へ。


 またすぐに時間が動き出す。

 それでも、その一歩が確かに間合いを縮めた。


「……ッ、時、断クロノ・カット……!」


 喉が裂けそうだ。

 魔力がうまく流れず、視界がちらついた。

 それでも、止めない。

 止まれない。


 コンマ数秒だけ硬直した世界をつなぎあわせるように。

 時間の切れ端を重ねていく。


 一瞬を止めるたびに、激痛が走った。


 頭が焼けるように熱く、背骨がひび割れるように痛み、両膝が折れそうになる。

 目の前がチカチカと明滅し、世界が黒く染まりかける。


 苦しい。

 痛い。

 全身が「もうやめろ」と叫んでいた。

 それでもやめなかった。

 やめる理由は山ほどある。

 けれどやめない理由は、たった一つで十分だった。


 後悔するのは、もう、嫌なんだ。


 だから、俺はもう一歩、地を蹴った。


時断クロノ・カット……!」


 届いてくれ。


 間に合ってくれ――!

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?