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第32話 よけいな機能

 視界が揺れていた。

 足は棒のようで、肺は焦げつくように熱い。

 それでも、止まれなかった。


時断クロノ・カット……!」


 魔力を振り絞り、世界をひと欠片だけ止める。

 その空白に、俺の身体をねじ込む。


 残響のように連続発動を繰り返し、微細な硬直の連なりで、ルクシアの命を無理やり延長する。

 一回ごとに神経が焼かれるような痛みが走る。

 視界の端が暗くなり、吐き気がこみ上げる。


 それでも、ルクシアまであと数歩。

 そして、最後の一撃分の魔力を脚に込めた。


「ッ……時断ッ!!」


 時間が凍る。

 世界が、俺一人を置き去りにしたように沈黙した。

 ビームライフルの射線上から、ルクシアの身体を掴んで自分ごと飛び出す。


 そして時間が、動き出す。


 紫の閃光が空間を裂き、数ミリ後方の岩を焼きえぐった。

 もしほんの少しでも足を止めていたら、間に合わなかった。


「ぐっ……」


「風間零士!」


 ルクシアの身体を地面に置いた瞬間、膝が崩れた。

 手が震え、呼吸が乱れ、体の芯がぶれている。

 もう、立つのもやっとだった。

 そんな俺を見下ろして、男が笑う。


「いやあ、見事だったよ、風間零士くん。時間を止めて女の子を助ける。実にヒーローらしい演出だ」


 ガルヴァノ・イグニス。

 イグニス=ギア社のトップ。

 世界最大の魔具マギア企業の顔だ。

 彼は相変わらず落ち着き払った様子で、ビームライフルを片手に持ったまま続ける。


「だが、次はどうかな? まだあと十発以上撃てるしねえ。

 そんな便利な力、無限に使えるわけじゃないでしょ」


 それは、正解だった。

 もう俺の魔力は尽きていた。

 だがその瞬間、香奈が叫んだ。


「――配信に、載ってるよ!」


 ガルヴァノがピタリと足を止めた。


「なに?」


 眉をひそめ、訝しげにこちらを見てくる。

 けれどすぐに、鼻で笑った。


「無理だよ。さっき私がドローン全機をリモートで強制停止させた。

 配信は完全にオフライン。今この場に記録者はいない」


 高笑いすら混じるその余裕に、香奈が歯噛みする。

 やはり、ハッタリだったか。

 配信が止まったことを万が一ガルヴァノが知らなければ、抑止力になったかもしれないが。


「なぜ、こんなことを?」


 ルクシアの声だった。

 疲れ切った声で、それでもしっかりと問いかける。

 ガルヴァノは肩をすくめる。


「都合が悪いからさ。ね、零士くんならわかるかな?」


 俺は一瞬、言葉に詰まる。

 だが、すぐに心当たりが浮かんだ。


「……香奈のアークブレードか。今回の配信で新型をアピールするつもりが、故障したからな」


 ガルヴァノがゆっくりと笑った。


「ご名答。あの不具合は困るんだよ。命を賭けた戦場でうちの製品が“起動しなかった”なんて、そんな情報が流れたらイメージはガタ落ちだ」


「そ、それならもう無駄だよ! 配信にはずっと流れてたんだからっ!」


 香奈の言葉を聞き、ガルヴァノは余裕気に「ふん」と鼻を鳴らした。

 そして、告げる。


「だから君たち三人には、ここで消えてもらいたい。で、こう言うのさ。

 “実は彼女が使っていたアークブレードだけは、持ち込みの他社製でした”とね」


 俺もルクシアも、言葉を失った。

 何という傲慢さ。

 そんなことで世間を騙せると思っているのだろうか。

 ……いや、かつて似た事例がいくつかあった。

 魔力バッテリーの発火事件とか、インナーアーマーの腐食事件とか。

 そのたびこうやって、黒い手を使ってもみ消して来たのだろう。

 世間では一部で都市伝説として囁かれながら、時が経てば記憶から消し去られる。


「そんなことしたら、殺人になるよっ! 隠し通せるはずない!」


 香奈が震える声で言う。

 しかしガルヴァノは笑顔を崩さない。


「問題ないよ。司法にも、うちと繋がった人間がいる。

 勝利の直後に力尽きた三人の英雄――そういうストーリーが、既に用意されているんだ」


 指先でライフルのフレームを撫でながら、彼は静かに言った。


「さあ、お喋りはこれくらいにして……消えてもらおうか」


 ――プルルルルル


 その瞬間、スマートフォンの着信音が鳴った。

 機械音のように乾いた電子音が、岩壁に反響する。

 ガルヴァノが一瞬だけ目を細めた。


「連絡みたいだぜ」


 俺が言うと、ガルヴァノは無言のままスマホを取り出す。

 画面をちらりと確認し、眉をひそめる。


「……うちの、側近だ」


 そのまま切ろうとした指を、俺が引き留めるように言った。


「出た方がいいんじゃねえのか。やばい用事かもしれないぜ」


 彼はしばらく黙っていた。

 やがて懐疑的な顔で、通話を繋げる。


『――会長! 今……その場の映像、配信されてます! 全世界に!! 株価が……株価が……っ!!』


 ガルヴァノの顔色が、一気に変わった。


「なっ……なに……!?」


 声が裏返る。


「どうして、配信は止めたはず……!」


 俺は血の気を失っていく彼を見ながら、ゆっくりと口を開いた。


「あーあ、親切に忠告してやったのにな、香奈」


 香奈の方に視線を向けるも、本人も何のことかわかっていないふうに首を傾げる。

 ガルヴァノはライフルを投げ捨て、スマホを操作する。

 おそらく配信画面を見に行っているのだろう。

 やがて、自身が映し出されたライブ配信を見つけたのか、ぷるぷると震え出した。


「こっ、この画角……! 貴様、どこかに配信機材を隠し持っているな……!」


 おそらく、配信に流れている映像は俺の視点から撮られたものなのだろう。

 それもそのはず。

 なぜなら、配信を流しているのは――


『――AIDA、オンライン。ご命令に無い行動を取ってしまい、申し訳ありません。

 ですが、私はAIDA。アナタを危険からお守りするのが使命ですので』


 俺は、耳元のイヤーカフにそっと触れた。


安藤アイツ配信よけいな機能つけやがって……。

 後で焼き肉でも、連れてってやらないとな」


 ガルヴァノ・イグニスは、目を見開き、唇をわななかせ――


「な、な……なあああああああっ!!!???」


 それは、世界に流れた“権力者が没落する瞬間”の貴重な映像だった。

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