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第34話 君と、純白の世界で

 音も色も無い、真っ白な世界。

 けれど、これは夢だと俺はわかっていた。

 あの時ボスを倒して、気が抜けて、落ちた。

 ああ、まただ。

 また、あの頃の夢を見る。



 2026年1月。

 当時、俺は16歳。

 その日、世界が壊れた。


 突如として、世界各地にダンジョンが現れた。

 地殻が割れたように都市の下に穴が開き、そこから魔物が這い出した。

 同時に観測されたのが、魔力という未知のエネルギー。

 何もかもが常識の外だった。


 各国政府は対応に追われ、日本は『ダンジョン攻略部隊』の設立を決定した。

 自衛隊から精鋭を選抜。

 だが、それだけでは足りなかった。

 人類の僅か0.0001%、魔力に適合し、固有魔法クラシックを自在に操ることのできる存在――覚醒者ノヴァ

 政府は民間からも、特異な力を持つ覚醒者をスカウトし、組織に加えた。


 その一人が俺だった。

 俺の固有魔法クラシックは、一定範囲の時間を三秒止める、というものだった。

 政府から与えられた名前は時断クロノ・カット

 ダンジョンという未知の空間に入り込み、魔物という未知の化け物と戦わなければならない攻略部隊にとって、その力がいかに重宝されるか、考えるまでもなかった。


 三秒。

 たった三秒。

 けれど、それが生死を分ける。

 全滅の危機から、チーム全員を救うことだって可能だった。


 もともと運動神経は悪くなかった。

 部隊に入ってすぐに前線に送られ、気づけば『攻略部隊のエース』なんて呼ばれるようになっていた。


 そんな日々の中で、俺は彼女と出会った。


 みさき はな

 俺と同い年の16歳。

 こちらも同じく民間出の覚醒者。

 彼女の能力は、“魔法障壁バリアを展開する”というものだった。

 鉄壁とも言えるその防御力は、俺の時断と同様にチームで重宝された。

 魔物の巣に突入し、命をかけて殺し合う。

 そんな地獄のような日々で、自然と俺たちは惹かれ合っていった。


 彼女は、よく笑った。


「私、零士のことだーいすきっ」


 茶色のショートカットが揺れて、太陽みたいな笑顔を向けてくれた。


「戦いが落ち着いたらさ、一緒に旅行しようよ。桜がキレイな所がいいなあ」


「もう少し大人になって、高校も卒業したらさ……け、結婚とか、しちゃうっ?」


 そんな未来の話を、彼女はよくしていた。

 それは死と隣り合わせの毎日の中で、生きることへの願掛けだったのかもしれないし、明日を信じるためのおまじないだったのかもしれない。


「準備オッケー! ちゃーんと可愛く撮ってねっ」


 彼女は写真や動画を撮らせるのが好きだった。

 ご飯を食べるところ、散歩しているところ、奇麗な景色を見て感動したところ。

 二人で過ごす何でもない瞬間を切り取って、形にして残すのが好きだった。

 それも今思えば、自らの命の輝きを、形あるものとして未来に残すためだったのかもしれない。

 俺もそんな彼女に影響されて、いつの間にかカメラの扱いに詳しくなっていた。

 攻略部隊で過酷な日々を過ごしつつも、俺たちは確かに幸せだった。


 けれどそんな幸せも、長くは続かなかった。



 2027年4月。

 彼女と出会って、一年ほどが経ったころ。

 その日は、累計五つ目のダンジョンの攻略にあたっていた。


 俺たちはいつも通りの作戦で、いつも通り順調な攻略をしていた。

 俺の時断と、華のバリアは今回も有効で。

 ボスも倒した、勝った。

 そう思った。


 だが、死んだと思ったそいつは、形態を変化させて復活した。

 第二形態。

 それまで、世界で一度も観測されたことのない変異。

 魔力の構造も挙動も、別の生物のように造り変え、ボスは新たな姿で俺たちの前に立ちふさがった。




------




「くそ……」


 岩陰に身を伏せながら、俺は奥歯を噛み締めた。

 呼吸が浅くしかできない。

 背中が地面に縫い付けられたように重たい。

 全身に溜まった疲労が、神経を鈍く蝕んでいる。


「――零士、何回使った?」


 隣から、静かな声がかかる。

 振り向くと、彼女――岬 華みさき はながいた。

 ボロボロの前髪の下にある瞳だけが、いつも通りのまっすぐな光を宿している。


「三回……もう、限度だ」


「そっか」


 華は短く息を吐くと、肩にかけた武器を握り直した。


「零士はここにいて。私は戦闘に戻る」


「待て……お前だって、もう魔力が――」


「大丈夫っ!」


 遮るように彼女は笑った。


「これが終わったら、また私のこと撮ってよね。約束だから」


 その声を最後に、華は駆け出していった。

 俺の制止の声も振り返らずに、まっすぐ前だけを見て。


「華……! 待て、待ってくれ……華ッ……!」


 声が、届かなかった。

 彼女の背中が遠ざかっていった。

 それが、俺たちの交わした最後の言葉だった。


 ――白く、白く、白く。

 視界が、音が、全てが再び真っ白に染まっていく。

 あの時の情景が輪郭を溶かしながら消えていく中で、華の名を呼ぶ俺の慟哭だけが、空しく空間に残されていた。


 いつもなら、ここで目が覚める。

 けれど、今回は違った。

 純白の空間の中、その向こうから誰かが歩いてきた。


 ゆっくりと、けれど確かにこちらへ向かってくるその姿。

 最初は霞んでいたが、近づくにつれてはっきりと見えてきた。


 あれは――


「華……?」


 口にした瞬間、胸が音を立てた。

 目の前に立っていたのは、確かに、彼女だった。

 戦闘服ではない。

 デートの時によく着ていた、お気に入りのワンピース姿のまま、彼女は柔らかく微笑んでいた。


「――久しぶりだね、零士」


 その声に、俺は崩れた。


「華……華っ……!」


 駆け寄って、彼女の身体に腕をまわす。

 ぎゅっと、しがみつくように、強く、強く――


「華……華……華……!」


 何度も名前を呼ぶ。

 ただ名前を呼ぶだけで、涙が溢れて止まらなかった。

 ずっとこの手が届かなかった彼女が、今ここにいる。

 温かくて、柔らかくて、ちゃんと生きていた頃と変わらない姿のまま。

 華は何も言わず、俺の背を優しく抱きしめ返してきた。

 それだけで、もう、何もいらなかった。


 どれくらいそうしていたのか、わからない。

 ようやく呼吸が落ち着いた頃、俺は顔を上げて言った。


「俺……俺、あの時のこと、ずっと後悔してた……!」


 震える声で、言葉が溢れ出す。


「何で動けなかったんだって。

 俺が、俺がもっと無理してでも、華を守ってればよかったって!

 自分がどうなっても、たとえ死んでも、お前を――」


 そこまで言いかけたところで、華がふっと笑った。


「ううん。零士はずーっと、部隊のみんなのことを守ってきたんだもん」


 手が俺の背中を撫でる。

 あの頃と変わらない、優しくて、少しくすぐったい手。


「たまには、守られなきゃ。……私、零士を守れて、嬉しかったよ」


 その言葉に、また涙があふれた。

 背中を撫でられるたびに、胸の奥に巣食っていた黒いものが、少しずつほどけていった。


「零士は、あれからも戦ってるね」


 華の言葉に、俺はかぶりを振る。


「俺は……戦ってなんかない。

 華がいなくなって、部隊を抜けて、ダンジョンから逃げてたんだ」


 すると、華はぷくっと頬を膨らませてから、少し呆れたように言った。


「もう、なんでそうやって自分を責めるかなあ」


 そしていつもの調子で、少し得意げに笑った。


「違うでしょ。たしかに部隊を抜けたのは、私を思い出しちゃうからかもしれないけど。

 そこから自分にできることを一生懸命考えて、もう誰も死なせないように、自分と同じ思いをさせないようにって、今の仕事に就いたんでしょ?」


 俺は小さく、こくんと頷いた。


「ふふん。よく知ってるでしょ。私、ずっと見てたんだから」


 鼻をすんっと鳴らし、誇らしげに胸を張るそのしぐさ。

 懐かしくて、どうしようもなく愛しかった。


「零士は、自分の命を削るみたいにお仕事ばっか。心配してたんだよ?」


 その言葉に、俺は思わず笑った。


「やってみると、意外と楽しくてさ。

 上司も後輩も、良い奴らばっかなんだ」


「うん。知ってる」


 華は嬉しそうに微笑んだ。

 俺の言葉に、ちゃんと反応してくれる。

 それだけで、胸がいっぱいになった。

 俺は語り続けた。


「そういえば、最近またダンジョンに行くようになったんだ。

 プリズム☆ラインっていう、若い奴らのパーティがあってさ。

 あ、それとザ・お嬢様みたいな変わった奴もいて――」


「――零士」


 その名前を呼ぶ声に、なぜか背筋が凍った。

 脳が、それ以上を拒んだ。

 それは次に来る言葉を、わかっていたからで。


「私、もう行かなきゃ」


「まて、待ってくれ。まだ……話したいことが、たくさんあるんだ」


 伸ばした手は彼女に届かない。

 指先がすり抜けていく。


「ごめんね」


 その声は、どこまでも優しかった。


「っ……なら、俺も連れて行ってくれ……。

 お願いだ、華……お前がいない世界で、俺は……!」


 その時、彼女はまっすぐに俺を見つめて、そっと微笑んだ。


「私のこと、想ってくれてありがとう。

 好きになってくれてありがとう。

 でも、零士には……戻る場所があるでしょ?」


 華の体がゆっくりと光に溶けていく。

 姿が崩れ、色が消えていく。


「華……華……!

 好きだ、大好きだ、愛してる……愛してる!」


 声を張り上げた。


 届かなくても、忘れたくなかった。


 そして彼女は、最後に微笑んで、言った。


「――私も、愛してる」


 世界が、眩い光に包まれた。

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