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第36話 三か月後、とあるカフェにて

 穏やかな昼下がりだった。

 都心の路地裏にあるカフェ、その店先のテラス席。

 スチール製の椅子に深く腰かけて、俺はコーヒーを一口すすいだ。

 ほんのり苦く、ほどよく熱い。

 行き交う人々をぼんやりと眺めながら、スマホも開かず、ただ時間が流れるのを待つ。

 もうそろそろ、かな。


「久しぶりですわね、零士さん」


 背後から届いた声に顔を上げた。

 そこにいたのは、天城ルクシア。

 煌めくグレーのワンピースに、上質なショール。

 ラフな場にしては少しだけ気合いが入った服装だったが、彼女のスタイルと気品には、むしろよく似合っていた。


「よ。三ヵ月ぶりかな」


 俺がそう言うと、ルクシアはふわりと椅子に腰を下ろした。


「体の方は、もう大丈夫なのですか?」


「ああ、もうすっかり元気だよ。医者からも完全回復ってお墨付きもらった」


「それは何よりですわ」


 品のある笑みを浮かべながら、彼女は静かに頷いた。

 俺もその表情を見て、自然と笑みがこぼれる。

 今度はこちらから訊ねる番だ。


「ルクシア、お前の方は? イグニス社との契約の件とか、家のこととか」


「ふふ、どちらも問題ありませんわ!」


 胸を張るその表情に、一切の不安はなかった。


「天城家の再建も順調ですし、CMも十五社ほど契約いただいております。

 テレビのバラエティ番組にも引っ張りだこですのよ!」


「スター街道まっしぐらって感じだな」


 まあ、あの配信の反響を見ていれば当然か。

 映える美貌に、実力も人気もあって、かつ一皮むけたルクシアなら、業界が放っておくはずがない。


「よーやくお昼入れたよ~っ!」


 元気な声が飛び込んできた。

 エプロンを外しながらやってきたのは、香奈だった。


「おつかれ様」


「今日は朝から満席でさ、ヘトヘト~」


 コーヒーを一気に飲み干しながら、彼女はどかっと椅子に座る。

 相変わらず元気で、でもどこか表情が柔らかい。


「妹さん、良くなったんだって?」


 俺が切り出すと、香奈はぱっと顔を輝かせた。


「うん! あの時の配信の収入で無事に手術受けられて。

 術後の経過も順調で、今は通院だけで済んでる!

 お母さんもね、ちょっとずつだけど仕事にも戻れて。

 もう“家族で倒れそうな生活”からは、ちゃんと抜け出せたよ」


「そう、それは良かったですわ」


 ルクシアも穏やかに微笑む。


「けれど、まだバイトは続けてるんですの?

 あれだけ人気があれば、ストリーマー一本で生活できるでしょう?」


「んー、それがね」


 香奈はくすっと笑って、カップのふちに唇を当てた。


「もともと、妹の手術費と生活費のために始めた配信だからさ。

 それが叶った今は、普通の大学生活を楽しみたくって」


「そうか……そうか。ほんと、よかったな」


 心からそう思った。

 あの過酷な戦いの先にこんな穏やかな時間が戻ってきたなら、それだけで報われる。

 そう思っていた矢先だった。


「……あ、でもね?」


 香奈がちらっと俺を見た。


「零士くんがまたダンジョンに行くっていうなら、ボクも復帰しちゃおっかなぁ、なんて」


「は?」


「そうですわ。実は今日は、その話をしに来たのです」


 ルクシアがすっと背筋を伸ばした。


「あなたと香奈さんと、三人でパーティを組まないか、と」


「パーティ?」


「ええ。これまでソロで活動してきた私ですが。

 あの戦いを経て、背を預けられる仲間がいるというのは、素晴らしいことだと気づきました」


 ルクシアは真剣な表情で、まっすぐ俺を見て言った。

 まあ確かに、息が合ってるな、とは感じたが。


「もしチームを組むのなら、私はあなたと、香奈さんがいいと思ったのです」


「うんうん、ボクもルクシアちゃんと一緒なら楽しそうだし! 零士くんもいれば心強いし!」


 二人の視線が俺に注がれる。

 でも、俺は首を横に振った。


「悪い。俺はパスだ」


「えっ……」


「AIDAの開発に戻る。明日から職場復帰だ。

 半年近くストップしてたけど、ようやく本格的に再開できる」


 俺はコーヒーをもう一口、ゆっくりと口に運ぶ。


「誰も死なせない戦場をつくるために、あのAIはどうしても必要なんだ。

 それが俺にできる、たった一つの仕事だから」


 香奈もルクシアも、それ以上は何も言わなかった。

 だけど表情は優しかった。

 ちゃんと、わかってくれているのだと思った。

 テーブルのスイーツは、きれいになくなっていた。

 カップもすっかり空っぽだ。


「そろそろ、行きますわね」


 ルクシアが立ち上がり、椅子をそっと直す。


「じゃあボクも、バイト戻んなきゃ」


 香奈も席を離れる。


「……お前ら、ほんと元気だな」


 俺も椅子から腰を上げ、二人の背中に声をかけた。


「また、会おう」


「もちろんですわ」


「うんっ!」


 三人は、それぞれの道へと歩き出した。

 新しい明日へと、背を向けずに。

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