穏やかな昼下がりだった。
都心の路地裏にあるカフェ、その店先のテラス席。
スチール製の椅子に深く腰かけて、俺はコーヒーを一口すすいだ。
ほんのり苦く、ほどよく熱い。
行き交う人々をぼんやりと眺めながら、スマホも開かず、ただ時間が流れるのを待つ。
もうそろそろ、かな。
「久しぶりですわね、零士さん」
背後から届いた声に顔を上げた。
そこにいたのは、天城ルクシア。
煌めくグレーのワンピースに、上質なショール。
ラフな場にしては少しだけ気合いが入った服装だったが、彼女のスタイルと気品には、むしろよく似合っていた。
「よ。三ヵ月ぶりかな」
俺がそう言うと、ルクシアはふわりと椅子に腰を下ろした。
「体の方は、もう大丈夫なのですか?」
「ああ、もうすっかり元気だよ。医者からも完全回復ってお墨付きもらった」
「それは何よりですわ」
品のある笑みを浮かべながら、彼女は静かに頷いた。
俺もその表情を見て、自然と笑みがこぼれる。
今度はこちらから訊ねる番だ。
「ルクシア、お前の方は? イグニス社との契約の件とか、家のこととか」
「ふふ、どちらも問題ありませんわ!」
胸を張るその表情に、一切の不安はなかった。
「天城家の再建も順調ですし、CMも十五社ほど契約いただいております。
テレビのバラエティ番組にも引っ張りだこですのよ!」
「スター街道まっしぐらって感じだな」
まあ、あの配信の反響を見ていれば当然か。
映える美貌に、実力も人気もあって、かつ一皮むけたルクシアなら、業界が放っておくはずがない。
「よーやくお昼入れたよ~っ!」
元気な声が飛び込んできた。
エプロンを外しながらやってきたのは、香奈だった。
「おつかれ様」
「今日は朝から満席でさ、ヘトヘト~」
コーヒーを一気に飲み干しながら、彼女はどかっと椅子に座る。
相変わらず元気で、でもどこか表情が柔らかい。
「妹さん、良くなったんだって?」
俺が切り出すと、香奈はぱっと顔を輝かせた。
「うん! あの時の配信の収入で無事に手術受けられて。
術後の経過も順調で、今は通院だけで済んでる!
お母さんもね、ちょっとずつだけど仕事にも戻れて。
もう“家族で倒れそうな生活”からは、ちゃんと抜け出せたよ」
「そう、それは良かったですわ」
ルクシアも穏やかに微笑む。
「けれど、まだバイトは続けてるんですの?
あれだけ人気があれば、ストリーマー一本で生活できるでしょう?」
「んー、それがね」
香奈はくすっと笑って、カップのふちに唇を当てた。
「もともと、妹の手術費と生活費のために始めた配信だからさ。
それが叶った今は、普通の大学生活を楽しみたくって」
「そうか……そうか。ほんと、よかったな」
心からそう思った。
あの過酷な戦いの先にこんな穏やかな時間が戻ってきたなら、それだけで報われる。
そう思っていた矢先だった。
「……あ、でもね?」
香奈がちらっと俺を見た。
「零士くんがまたダンジョンに行くっていうなら、ボクも復帰しちゃおっかなぁ、なんて」
「は?」
「そうですわ。実は今日は、その話をしに来たのです」
ルクシアがすっと背筋を伸ばした。
「あなたと香奈さんと、三人でパーティを組まないか、と」
「パーティ?」
「ええ。これまでソロで活動してきた私ですが。
あの戦いを経て、背を預けられる仲間がいるというのは、素晴らしいことだと気づきました」
ルクシアは真剣な表情で、まっすぐ俺を見て言った。
まあ確かに、息が合ってるな、とは感じたが。
「もしチームを組むのなら、私はあなたと、香奈さんがいいと思ったのです」
「うんうん、ボクもルクシアちゃんと一緒なら楽しそうだし! 零士くんもいれば心強いし!」
二人の視線が俺に注がれる。
でも、俺は首を横に振った。
「悪い。俺はパスだ」
「えっ……」
「AIDAの開発に戻る。明日から職場復帰だ。
半年近くストップしてたけど、ようやく本格的に再開できる」
俺はコーヒーをもう一口、ゆっくりと口に運ぶ。
「誰も死なせない戦場をつくるために、あのAIはどうしても必要なんだ。
それが俺にできる、たった一つの仕事だから」
香奈もルクシアも、それ以上は何も言わなかった。
だけど表情は優しかった。
ちゃんと、わかってくれているのだと思った。
テーブルのスイーツは、きれいになくなっていた。
カップもすっかり空っぽだ。
「そろそろ、行きますわね」
ルクシアが立ち上がり、椅子をそっと直す。
「じゃあボクも、バイト戻んなきゃ」
香奈も席を離れる。
「……お前ら、ほんと元気だな」
俺も椅子から腰を上げ、二人の背中に声をかけた。
「また、会おう」
「もちろんですわ」
「うんっ!」
三人は、それぞれの道へと歩き出した。
新しい明日へと、背を向けずに。