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司から毛布を受け取り、貸してもらったスウェットに着替えてから、リビングの灯を落とした。
寝室は使わず、ソファの背もたれを倒し、ふたり並んで横になる。言葉にこそしなかったが、距離は自然と近かった。肩が触れるか触れないかの位置で横になった司の体温が、ほのかに伝わってくる。
「寒くない?」
低く囁くような声が、闇のなかで耳に触れた。すぐ傍にあるはずなのに、なぜか遠くから届くように感じる。
「平気です。司は?」
「うん……僕も大丈夫」
それっきり会話はなかった。けれど、沈黙はどこか穏やかだった。
寝息ではない、浅くてやわらかい呼吸がほんの僅かに重なる。部屋の空気は静かすぎて、自分の心音までもが聞こえてきそうな雰囲気が漂う。
目を閉じているのに、司の姿が浮かんでくる。今日の表情。微笑み。掠れた声。重ねた指先のぬくもり。
心は少しだけ逸っていた。けれど焦がれるだけで動けない。
もしこの距離を埋めたとして、その先にあるのが温もりだけならいい。でもなにかを壊してしまったら――そんな不安が胸を押しとどめる。
そのとき、不意に腕が小さく触れ合った。指先ではなく、互いの手の甲がほんの少しだけ重なった。司が動いたのか、俺が揺れたのかはわからない。けれど、その重なりをどちらもほどこうとしなかった。
ただ、そのまま。手の甲の
瞼の裏で、なにかが静かに融けていく。焦がれるような、でもまだ名前を持たない感情が、夜の隙間にじわりと滲む。
そのことを意識したら息がかかる距離で、司の視線とぶつかる。目に留まった唇が、確かに俺の名を呼んだ気がした。
「……陽」
司の声は確かに震えていた。でも、そのまま動かないのは――拒んでいない証だろうか。
俺はほんの一瞬、息を止め、その頬に手を伸ばす。触れた肌は冷えていて、俺の指先の熱を彼に与えるように、優しく撫でてあげた。
「ダメだったら言ってください。すぐやめますから……」
そう言ったのは、俺自身をなだめるようなものだったかもしれない。でも返事はなかった。代わりに司は、ゆっくりと瞳を閉じる。
そのままそっと重ねた唇は、今度こそ互いの熱を確かめるためのものだった。唇が触れたあとに舌先が触れ、戸惑うように揺れる。けれどすぐに、司の唇が僅かに開いた。
互いの熱が深く、静かに流れ込む。甘いわけじゃない。ただ、胸の奥を満たしていくだけの行為。
司の手が、俺の胸元をそっと掴む。スウェットの布越しに感じるその指先は微かに震えているのに、それでも確かに俺を求めていた。
「……陽、優しいんだね。はじめてだよ、こんなキス」
吐息まじりの艶っぽい声が、俺の耳元に落ちる。その響きが全身を這うようにして、熱を帯びさせた。
「やっ、あの……同性とキスするのが初めてで、たどたどしくなってしまったというか」
「じゃあいつもは貪るように、キスをするのだろうか?」
「むさぼっ! いやいや、そんなことできませんっ!」
恥ずかしさで慌てふためく俺の声。さっきまでいい雰囲気だったのに、見事にぶち壊してしまった。司はクスクス笑って、さらに俺の体に近づく。
それに導かれるように、ゆっくりと司の肩に腕を回した。触れるたびに、彼の表情が少しずつ変わっていく。そのすべてが愛おしい。
「陽、とてもあったかい……体だけじゃなく、心まであったかくなる」
まだ、なにかを“する”わけじゃない。ただ隣にいる。その証として、触れるだけ。けれどそれが、どんな言葉よりも深く、司に届くのを感じた。
「あのね、陽。怖いこともあるけど……こうしてると音が聴こえる気がするんだ」
その囁きが、俺の胸の奥を叩いた。
「じゃあ、もう少しだけ……このままでいましょう」
「……うん」
体を預け合うように、互いに寄り添った。夜がゆっくりと深くなる中、ふたりの鼓動が静かに響き合った。