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第3話

 あの後、城に戻ってノアの言われた事を自分なりに考えてみた。

 哀れみならば不要だと、彼は強く伝えてきた。そのような気はなかったのだが……いや、態度や目に出ていたのかもしれない。城の貴族などを見ればそんな事はいくらでも例が見られる。

 それに、あの教会だけを救ってもダメなのだろう。もっと広域的に出来る事は……。


 考え、アーノルドは側近に頼み毎週、炊き出しを行っている教会全てに少額の寄付をする事とした。あまり多くない金額だが、炊き出しの材料を買うには役立てる。

 その際、王子の名は使わずに側近の名を使う事もお願いした。ノアが受け取らない可能性も考えてだった。


 なのに、炊き出し前日に時間が出来て夕刻に教会へ行くと、何故か腕を組んで怒った顔をした彼が待ち構えていた。


「寄付は不要ですと、あれほど言いましたのに」


 バレていた……。


 開口一番言われたことに苦笑する。何となく申し訳なく思っていると、ノアは溜息を吐ききって招いてくれた。


「まぁ、聞けばこの辺りで炊き出しをしている教会や孤児院へ寄付がされているようですし、金額もそう多くはありませんでしたので受け取りました。ありがとうございます」

「! 良かった。受け取ってもらえて」


 思わずほっと胸を撫で下ろすと、ノアはこちらを見て苦笑し、ゆっくりと近付いてくる。そして徐にギュッと、アーノルドを抱きしめた。

 時が止まる感覚がした。心臓の音だけがやたらと大きく、体の内側を熱が巡る。それがあんまりにも強くて、内が溶けてしまうのではと錯覚した。


「ありがとうございます。貴方の慈悲で、多くの者が明日の糧を得られます」


 柔らかな音が耳元でする。サラサラとした銀の髪が頬に触れ、甘い体臭を感じる。

 声にならない声が内側からした。それと同時に、この感情のおぞましさを知る。アーノルドはこの背を抱きしめたいと思った。だがそれは、同姓であるノアに欲望を持って触れるのと同義に思えたのだ。

 神は同性での愛を禁じている。そこに生まれるものはなく、子孫を残せぬから。

 ましてアーノルドは第一王子であり、唯一の男児だ。そのような立場の者が、同性のノアに欲望を抱いたのだ。


「アーノルド様?」

「!」


 気づけば彼の体は離れている。感謝や感激を体で伝える事はある。騎士など良い試合が出来たり、戦に勝利すると感極まって同性でも抱きつき称え合う。これはそれと同じだったのだ。貧しい者を思うノアの、感極まった故の行動だったのだ。


 マズいのはそれに、欲望を感じた事だ。


「さぁ、まずは神に祈りましょう。その後は少しだけお話をさせてください」

「あぁ……」


 先を行き案内するノアの後ろについて歩き出すアーノルド。だがその足は重い。

 神の前に膝を折り、祈る形を取りながらも心の中では懺悔をしている。

 許されざる感情が芽吹いた。その恐ろしさに震えている。これが知れればどうなってしまうのか。追放? 神を冒涜した事で投獄、幽閉……最悪処刑だってありえる。

 何よりノアはどうなってしまう。神父の彼は例えそのような思いを持っていなくても、他を惑わせれば教会には居づらくなる。

 アーノルドの想いがノアを最悪破滅させてしまうのか!


「アーノルド様?」


 気づけば震え、酷い汗をかいていた。そんなアーノルドを見て心配したノアが声をかけるが、どんどん顔色が悪くなるばかりだった。


「今日は体調が優れない様子。誰か人を呼びましょうか?」

「いや、一人で大丈夫だ。すまない、せっかく会えたのに。貴方ともっと、話がしたいのに」


 でも今はダメだ。何かを語れば自然と想いが口に出てしまいそうなのだ。体の内を焼くような感情が、口をついてしまいそうなのだ。


 恐れるように背を向け、そのまま後ろを見ないように教会を後にするアーノルド。

 その背を、ノアが暗い笑みで見送っている事など気づきもしなかった。


◇◆◇


 ふらふらと城へ戻り、食事もそこそこに自室に引きこもりベッドに潜り込む。そして必死に、己を諫めようと苦戦をする。


 これは決して恋情などではない。もっと……そう、敬愛なのだ!

 若くとも優秀で慈悲深い天使のようなノアを尊敬し、敬っている感情なのだ。この好きは違う……違うはずなのに、何処かで愚かな自分を嘲笑う自分がいる。


 綺麗事を言うな。触れたかったのだろ? あの白く柔らかそうな肌に。最初から魅入られていたじゃないか。あまりに美しい容姿に。


 馬鹿な、容姿だけの問題ではない。彼は魂まで美しいのだ。貧しき者を思い、子を思い、思慮深く悩める者を導く。そのような尊い心を持った天使なのだ。


 馬鹿はお前だろ? 何が天使だ。あの美しい男だって触れてしまえば男だ。抑えていても欲望は存在する。拒もうが感じぬ体にはなれない。あのストイックな服の下に熱く熟れた肉体を隠していたって不思議ではない。人間である以上、何かしらの欲は持っているものだ。


 こんな、醜い言い争いが己の中で繰り返されていく。

 それ自体、なんて汚らわしいのだろう。このような感情を持つ事自体が彼を穢し貶めているというのに。


 こんな事を考えていると頭の中がパンパンに張り詰めていくように思う。肉体は疲れているのに目はギンギンと冴えてどうにもならない。眠りは遠ざかる。

 それでも心と思考は止まらない。


 やがて気絶するように眠りに落ちたアーノルドはその夢の中でノアを抱いた。この手で触れて、愛を囁き口づけを交わして。

 なんて甘美で罪深い夢なのだろう。許されぬ所業、醜い愛だというのに溺れてしまえば底がなく思える。


 そうしてハッと目覚め、軽い頭痛に頭を振るのだ。


 翌日、疲れた顔で皆の前に出たアーノルドを母も父も心配し、寝ているようにと伝えてきた。正直食欲もなかったが無理矢理詰め込み、部屋に戻る。そしてまた悶々と、昨夜と同じ事を繰り返した。


 眠る事が恐ろしくなってきた。夢の中でアーノルドは何度となくノアを犯した。その度に悦びが溢れ生きている事の素晴らしさを謳歌し、愛の素晴らしさを神に感謝する。

 だが目覚めると嫌悪に陥る。なんて恥知らずな事を。第一この恋は知られてはいけないのだ。

 神に祝福を得られない関係。ノアは神父なのに、このような想い受けとめてはくれないだろう。神への冒涜であり、知れれば生きる基盤を失う。アーノルドだって気が狂ったと言われて幽閉されかねない。昔の王女のように。


 更に翌日、鏡に映った己の姿に愕然とした。目は虚ろで隈ができ、頬は何処か痩けてみえる。その表情にかつての生気はなく、生ける死体のようになった。


 父は案じて医者を呼んだが、医者は「異常なし」と診断する。当然だ、これは言わば恋の病。貴族の三割程度が発症しているだろう不治の病だ。


 食べる事、眠る事、適度に体を動かす事を言われ、眠れない時の薬を出されたが全て捨てた。眠れば自分がどんなことをしてしまうか、もはや想像がつかなかった。


 そのうち、すり切れた精神はノアを恨むようになった。彼と出会わなければこんなに恋い焦がれる事もなかったのにと、自分勝手な八つ当たりを始めた。

 こんな事をしてもこの想いが消える事はないのに。この感情までは、恨んでいないくせに。


 そうして五日、アーノルドは少量の食事と浅い眠りを繰り返し、苛烈な欲望と純粋な愛情、恐ろしい現実の想像に挟まれ苦悩し続けた。

 眠れない頭は常に痛み体は怠く、食事が喉を通らない事で倦怠感が常にある。恨みながら愛し、愛しながら憎む。知らなければと頭を抱え、知れた事を感謝する。


 苦痛が長く、アーノルドはとうとう低く虚ろに笑い、ベッドから抜け出し深く外套を纏い、城の抜け穴を通った。以前剣の師に教えてもらった道だった。

 逃げようと思う。それこそ、もう悩む事も苦痛も感じない場所に。

 だがその前にもう一目だけ見たいんだ。こんなに胸を焦がす男の顔が。胸に響くあの声が聞きたい。

 そして、聞いてもらいたい。この愚かな想い全部を。


 手にはランプ、腰には剣を。

 そのままアーノルドは深夜の町へと出て行った。


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