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第5話

 一晩を教会で明かした。

 簡素な部屋に、動けばギシリと音を立てるベッド。それでも、今は王宮よりも居心地のいい場所だ。

 隣を見ればノアが穏やかな表情で寝息を立てている。白い肩が僅かに見えているのが妙に艶めかしい。


 顔が見られれば良かった。声を、聞きたかった。想いを聞いて欲しかった。でも、受け入れられるとは思わなかった。

 だからこそこの朝の光景は奇跡なのだ。本当であれば昨夜のうちに身を投げてしまおうと考えていたから。


 不意に白銀の睫がむずがるように揺れ、まだ現を映していないだろう微睡んだアクアマリンの瞳が開く。しっとりとした銀の髪を散らした人がゆっくりとこちらを見て、ゆるゆると目を細めて微笑んだ。


「おはようございます、アーノルド」

「おはよう、ノア」


 アーノルドもまた穏やかに優しく微笑み、当然のように唇を重ねる。気怠く、でも幸せな一時がここにはあった。


◇◆◇


 朝食もそこそこに、アーノルドは城へと戻った。今頃は彼が抜け出した事が知られて大騒ぎだろうと思って。

 実際、戻って見ると今まさに捜索の隊が組まれる所だったので、アーノルドは慌てて止め、謝罪した。

 そしてここ十日余りの事をすっかりと、父や母、側近にも話す事とした。


「以前お忍びで町に出ていた時、親切にしてくれた娘がいたのです。平民の姿をした俺に気づかず、町を案内してくれました。そんな彼女の明るく朗らかで飾らない姿に、俺は一目惚れしたのです」


 これを聞いて父も母も驚き、一体どこの女狐だと言わんばかりの様子でいる。この顔を見て、やはりこの人達に真実を伝える事は出来ないと改めて思った。


 当然、これは嘘だ。ノアとの関係は秘匿しなければならない。だが事態は大きくなっているだろうし、暫く抜け出して誰かに会っていたのも調べれば分かってしまう。

 だから、架空の娘を用意したのだ。


「俺は彼女に会いたくて度々町へと降りておりましたが、彼女には結婚を決めた相手がおり、数日で引っ越す事も聞きました。俺の初恋は、想いを伝える事もできないまま終わってしまったのです。それが悔しく……でも彼女と相手の幸せも願っています。明らかに俺の横恋慕ですし、笑っていて欲しいと思うので」


 あれは淡い初恋が実らないまま終わった、失恋の痛みだったのだと示した。それと同時に彼女を探すなと言い含めた。


 父は「若い時にはそんな想いもある」と認めてくれ、母は「辛かったでしょ」と優しく声をかける。その二人を抱きしめ「もう平気です」と良き息子を演じるアーノルド。

 分かっていれば、くだらない茶番だ。


「実は昨日、この目で確かめたくて彼女を探したのですが、既に引っ越した後でした。悲しみに暮れ、自棄を起こしそうな俺を近くの教会の神父が見つけ、つい先程まで根気強く俺の気持ちを聞いて慰め導いてくださっていたのです」


 これも大事だからと、アーノルドは両親に伝える。半分以上が誤りだが、僅かに真実も含んでいる。ただ、敢えて誰かは言わないでおいた。

 この言葉に両親は驚きと共に感謝の言葉を口にする。アーノルドは二人にとって唯一の子だ。その命を救ったとなれば相手は誰であれ救いの主だろう。

 だが好都合。アーノルドはこれを機に両親に公然と小さな教会や孤児院への支援を求めるつもりだったから。


「その者には私からも感謝を述べたい。何か、望みはありそうか?」

「いえ、父上。彼の人はまだ若く、昔同じように小さな教会の神父に助けられたのだそうです。そのご恩返しの意味も兼ねて、上に上がる事も考えていないそうです。俺からもお礼の話をしたのですが、それならば親を亡くした子供が健やかに大きくなれるように、貧しい人が明日の糧を得られるように心を砕いて欲しいと」

「まぁ、なんて欲のない」

「えぇ。ですので俺はこの恩を、彼の言う恵まれない人々への支援という形で返したいと思います。孤児院を併設する教会や、貧しい人々に炊き出しをする教会へ、王子として支援をしたいと思っています」


 これでノアも少しは楽になる。彼の暮らしぶりは清貧過ぎる。食事は朝にパンを一つと薄味のスープ。夜にも同じものだ。そこには教会で収穫した野菜ばかりで、肉は欠片も入っていなかった。

 これでは彼が健康を害する。ベッドも硬かったし。


 両親はこの言葉に「立派な志だ」と言って同意してくれた。つい少し前まで鼻で笑っていたくせに。


 人間はこんなものだ。ノアが言っていた通りに事が進んだ事に安堵しつつも失望したのは、もう仕方がない事なのだろう。


◇◆◇


 これを切っ掛けに恵まれない人々への国の支援が始まり、アーノルドも慰問という形で色々な教会に足を運んだ。

 色褪せた服に痩せた体の子供達がお腹いっぱい食べられる事に満面の笑みを見せ、それを見る神父や修道女が涙を流す。

 この状況にしてしまったことに、アーノルドは申し訳ない気持ちになった。


 ノアの所には週に一度程度通っている。側近には「この教会の神父が俺を救ったのだ」と伝え、秘密にする事を約束させた。

 会う口実も「自分の気持ちを吐き出し、整理するため」としている。貴族も王都の大教会で同じような事を口にして通っているので不自然ではない。

 だが実際は懺悔室へと入り睦言を呟き、その日の夜に忍んで訪れ恋人の時間を過ごしているのだが。


 そして、アーノルドはこれを機会に母が主催するお茶会に顔を出すようになった。

 ノアとの関係を隠すには隠れ蓑がある方がいい。そう、彼が教えてくれた。

 アーノルドは既に二十歳を過ぎているが、未だに婚約者を持たずにいた。これで女性に興味がないという態度を取れば怪しまれる。そうならない為の対策だ。


 母は寧ろ喜んだ。息子の結婚相手をあれこれ考えていたのだろう。

 そうして何度か出席し、令嬢達と話ながら適当な相手を探って三人の女性に的を絞った。


 一人は母が気に入っている、あまり高すぎない爵位の令嬢。

 一人は爵位は高いが性格のきつい、高位貴族らしい令嬢。

 一人は金を持っているが爵位の低い令嬢。


 この条件にぴったり嵌まる女性達を選び、手紙のやり取りに花を添えて交換しあった。


 これを指示したのもノアだった。

 まず母の気に入っている令嬢はおそらく親戚筋だろう。母としてはねじ込みたいが、一つの一族から立て続けに妃を出すのは王や家臣が好まない。

 爵位の高い令嬢はそれだけで国が安定した形になり、最も正当性がある。王の妃となれば高位貴族が好ましいからだ。だが、性格が傲慢であれば人としては不適格。

 そして金を持っている令嬢はそのまま。国家の運営には金がかかる。故に実家が太い令嬢は家臣達が好む。だが同時にそうした者達は成金と言われ、爵位も低い。


 これらが互いに睨み合い、それぞれの都合で動けば婚約の話など進むものではない。だが、アーノルドが頑なにこの三人の中からと言えば無下にもできない。これで強引に違う令嬢を宛がえば、また興味を失いかねないから慎重だ。


 ノアの読みは綺麗に当たり、あの出来事から一年が経過した今もアーノルドの婚約者の席は空白のままだ。


「凄いよ、ノア。貴方は本当に頭がいいね」

「少し意地悪な事ですが、私も大切な恋人を取られるのは嫌なので」


 水差しから水を注ぎ彼に渡すと、彼は少し枯れた声で苦笑する。その体には愛し合った証がまだ生々しく残っている。

 隣に座り、肩を抱いてこめかみに唇を落とすと、彼は小さく笑った。


「まだ足りませんか?」

「満足する事はないよ。何度抱いても焦がれるんだから」


 抱き合い、愛し合い、睦言と切ない声を交わしながら身も心も溶け合わせていく瞬間は生きたまま天に昇る幸福感を得られる。

 けれどそれが過ぎていくと個々である事を理解して、それを知りたくないとまた抱きたくなるのだ。


 苦笑するノアがコップを脇に置いて振り向き、首に腕を絡めて唇を重ねてくる。これが、おかわりの合図だ。


 既に皺が寄ったシーツの上に再び彼を横たえ、覆い被さるようにして触れる。

 願わくばこの時がずっと続くようにと、切に願って。


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