「アーノルド様、随分下々の者に感心がございますのね」
それは定例としているティータイムでの一言だった。月に数回、親しくしている令嬢を順繰りと誘い二人での時間を設けている。これもノアの提案だ。
今目の前にいるのは母が気に入っている遠縁の令嬢ソフィア。家は伯爵家だが領地は遠方でそれほど大きな場所ではない。年齢的には一つ上だった。
長い亜麻色の髪に大きなリボン。顔立ちは比較的清楚で装いも派手ではなく、いつも誰かの隣で適当に相づちを打っているタイプの子だったが……一年程たって少しずつ変化してきた。
「そう、申しますと?」
「孤児院や炊き出しに慰問と称して通われているとか」
「俺は一年程前に教会の者に心を救われたのだ。主の思し召しと思い、支援をしているに過ぎない」
「寄付だけで良いではありませんか」
「人と接する機会を得ている。いずれ王となって国を治める立場にあるというのに、その国にどのような人が住んでいるのかも知らないのでは何もできない」
静かに茶を飲み一蹴する思いで伝えている。視線も合わせない。
だが、貴族令嬢というのはこうした相手の機微を察しない者が多いのだ。
「報告だけでいいではありませんか。それよりも、もっと私の……」
「文字で人は見えない。数は数でしかなく、その一つがどのような人物なのかは分からない。他人の言葉に耳を傾ける事ができなければ愚かな王として名を刻まれるだろう」
それが多くの者の望みだろうと思う。ここ一年、ノアの側で彼の観察力を見せられ、教えられて分かってきた。
家臣が欲しいのは傀儡の王だ。耳障りのいい言葉で祭り上げていたのは、それに調子づいて無能になるのを望んでだ。
「そんなもの、知る必要など」
「俺に近付きたいと思うならば、俺の考えを理解したうえで奢った目を捨てることだ、ソフィア嬢」
それを伝え、茶を飲み終わって席を立つ。彼女の茶器にはまだ茶が入っていたが、これ以上これに付き合う気にはなれない。何とも不味い茶だった。
あぁ、早くノアに会いたい。彼の言葉を聞いていたい。その他の時間は全て無駄だと思えてくる。今だってノアとの関係が露見しないよう手を打っているだけで、どれも望むものではない。正直時間の無駄だ。
アーノルドの暗い瞳を、誰も見る者はなかった。
◇◆◇
「ちょっと、私の話を聞いていますの!」
夜会にも出るようになると、この金切り声を聞くことになる。
彼女は侯爵家の令嬢でミア。派手なドレスに縦巻きの髪。宝石が随分と重そうだし、化粧の匂いがきつくてたまらない。
しかもこれだけ着飾ってもノアの美しさの前には到底及ばない。彼は何をしていなくても美しい。その場に立っているだけで平伏したくなるのだから。
「貴方、私のパートナーである自覚はありまして?」
「分かっているよ」
「では、もう一曲踊りましょう。その後、私の屋敷にお越し下さいな。父も貴方を招きたいと常々」
「そんな軽率な判断はできないな。王太子としての自覚が足りないと父に怒られてしまう」
そう突き返せば彼女は口を噤む。随分と悔しそうに歯がみし、誰もいなければ下品に足を踏みならしただろう。
「どうしてですの! 私、貴方の婚約者じゃ!」
「婚約者はまだ決めていない。候補ではあるが」
そう、決めていない。決める気もない。ノア以外を伴侶になんてするつもりはない。
最近、父や母がアーノルドに伺いを立てる事が多くなった。「気になる女性はいないか」と。おそらくノアの策がしっかりと嵌まって、皆動けないのだ。
ここでアーノルドの一押しがあればおそらくそこに決まる。傷心で儚くなりかけたアーノルドを両親は気に掛けて無理強いはしていないが、心境としては現状を動かしたいのだろう。
誰がそんなものに乗るか。城の中はみな、汚い勢力争いばかりだ。利権を求め、私腹を肥やしたがる。その裏で市井の人々は細々と生活している。城に上がる者達に比べたら、彼らはとても強く美しくアーノルドには映る。
彼らは生きる事に前向きで活気があり、豪快で大らかで朗らかな者が多い。日々が楽ではないだろうに、助け合ってもいる。僅かでも教会に寄付をしようとするのだ。
ここでゴテゴテと着飾る娘よりも彼らの方が美しいだろう。
そう思うと、途端に全てがイミテーションの色ガラスに見える。アーノルドの世界はこんなにも、偽物だらけだったのか。
◇◆◇
「アーノルド様、聖ノアール教会に随分ご執心ですのね」
そう意味ありげな目を向ける女性に、アーノルドは剣呑な目を向けた。
彼女の家は大商会から爵位を得ている。セーラ男爵令嬢である。
緩く波打つ金の髪に大きな緑色の瞳。スラリとしていて、格好はシンプルで控えめ。だがおそらく、一番用心しなければならない相手だ。
「以前俺が世話になったのがあの教会なのだ」
「傷心から救って下さった偉大な神父様、でしたか?」
「あぁ」
これは敢えて隠していない。情報は隠しすぎると胡散臭くなるとノアは言っていた。だから敢えて救ってくれた神父や教会についてはそのまま伝えているのだ。
「そんなに偉大な方であれば、大教会に召し上げられても良いでしょうに」
「提案はしたが、人と触れあえる場所にいたいのだそうだ。まだ若く経験も積みたいし、かつて己を救ってくれた優しい神父が目標なのだと語っていた」
これも本当だ。どうやらノアは子供の頃、教会を持たない旅の神父に助けられて育ったらしい。その者が居なければ今頃はどうなっていたかと、彼は懐かしそうに言っていた。
「聖ノアール教会は出来て一年半程度でしたわね。出資は確か……アルバ商会だったかしら」
これにもアーノルドは頷いた。
そうやらあの教会はノアが神父として赴任する際に、アルバ商会という所が出資して教会を提供したらしい。関係性は、昔お世話になったとのことだ。
「不思議ですわね、ノア神父様。とても美しい方ですし、周辺住民の方も慕っている様子でしたわ」
「あぁ」
「でも……私の目から見てあの方、そう簡単な方ではありませんわ。経歴もあまり見えてきませんし」
これについてはアーノルドも思う所はある。
ノアはある日突然、この国に浮き上がった存在に思える。国境に近い教会の出身で、そこから王都の廃教会を再建する為に赴任した。が、大本の教会の名は既にない。
そして、そんな無名な神父にアルバ商会などという一流の商会が無償で手を貸す事にも疑問はある。いくら昔お世話になっていたからといって、建物一つはそう安くはない。
そして、この王都に赴任する前の記録がどれも曖昧だった。
ただ、アーノルドは聞けなかった。彼は何かを隠しているだろうが、これを聞くことで関係を壊したくない。彼の天使に見捨てられれば、アーノルドの世界は地獄と同じになるのだ。
「殿下、怪しい者にはあまり肩入れしませんように」
まるで忠告のようにそう告げたセーラに、アーノルドは曖昧に返すばかりだった。