アーノルドはこれら婚約者候補達の事をノアに話した。ベッドの上、気怠げな彼はランプの明かりの中でやや考え込む顔をしている。
「そうですか……」
「ノア、妙な事とかはないか? 人に見られているとか、妙な人物が近くにいるとか」
アーノルドはノアの身を案じていた。貴族にとって邪魔な人間を排除しようというのは当たり前に行われる。嫌がらせ、裏から手を回し……最悪、そうと知らず暗殺される。
件の三人はそのような事をしてもおかしくはない。そんな風に最近は見えてきた。
ノアはこれを聞いてキョトッと目を丸くし、次にはくすくすと笑う。おかしそうに。
「そんなに可笑しな話ではないだろ?」
「そうですが……ふふっ、愛されているなと思いまして」
そう、嬉しそうに彼は呟いた。
この一年、幾夜も情を交わした。だがそればかりではない。互いに話をするし、間違いだと思う事をノアは躊躇わず言う。アーノルドはそれに付いて考え、答えを出している。気持ちも確かに近付いている、そんな関係になっているのだ。
手を伸ばし、滑らかな頬に触れる。目を細め、優しく笑いながらアーノルドは囁いた。
「愛しているよ」
心からの言葉に、ノアは驚いた顔をして次にはバツが悪いのか目を逸らしてしまう。肌が白いから、染まる色がよく分かる。
「照れているのか?」
「……そうですよ。あまり私をからかわないでください」
「からかってなどいない。俺はノアを愛している。心から……いや、魂から」
落ちている銀の髪を一房取って口づける。それを見るノアは更に赤くなっていった。
◇◆◇
だが事態は予想していない方向へと展開した。
「……どういうことです、父上。聖ノアール教会への出資を禁ずるとは」
執務室に呼ばれたアーノルドに伝えられた内容に、彼は腹立たしさを隠さぬ低い声で詰め寄るように問うた。
素直で言う事を聞く王太子を演じてきたアーノルドの射殺すような視線を受け、父ブライアンは僅かに驚いたが決定を覆す事はなかった。
「あの教会を預かる神父は信用ならん」
「俺の心を救ってくれた相手です。今も彼には日常の相談をし、気持ちの安定を保つ一助となってもらっています」
「それは本来婚約者や王妃が担う事だ」
これで、どういうことか分かった。
おそらく情報の出所はセーラだろう。あの女、やはりいい加減目障りだな。
「それに加え、あの神父はアルバ商会と親しいようだ」
なるほど、それも国としては気にくわないか。
アルバ商会の本店はここ、タイラン王国の隣にあるリーフェル王国にある。
昔、父が戴冠して間もない頃に起こった隣国との戦でこの国は大敗した。その時に交わされた和平条約の内容に『アルバ商会をタイラン王国の商業に加える』というものがあった。
父にとっては苦い事なのだろう。
だが実際アルバ商会は人気の高い商会で、最初は国境で始まり、徐々に広まっていった。
リーフェル王国自体がある程度実力を重んじ、家柄だけで人を見ない先進技術国だ。新しいものを柔軟に取り入れ、学び、自らの力にしている。国教は同じはずだが、捉え方も違うという。
一方のタイラン王国は古い王国主義。貴族に生まれればどんなアホでも生涯安泰だと揶揄される程のアホの国だ。
どうしたって勝てる筈などないのだ。
「アルバ商会は人々への支援も厚く、貧しい者を救う教会や孤児院の建築ばかりか支援も行う人道的な商会ですが? 何が不満だと?」
「っ! あれはこの国の商会ではないのだ!」
「その原因をお作りになったのは、どなたでしょうか?」
「っ!」
にらみ据える父の怒りの目を、こんなに冷たく流せる日が来るなんて。それにしても、小物だ。
「とにかくだ! あの教会には二度と関わるな!」
話にならない。まぁ、さほど困りもしない。この王は未だにこの城にある無数の脱出路を把握しきれていない。アーノルドの剣の師があれだけ見つけられたのに。
ノアに会う事は可能だし、その時に支援金を渡す事もできる。
だが……多少気になりはする。ノアの経歴が降って湧いたものになっているのも、“国境”という共通点も。
父の執務室を出て暫くすると、見慣れた人物が歩いてくるのが見える。背が高く髪の長い、四十代後半の人物はこちらに気づき、苦笑してみせた。
「お疲れ様です、アーノルド殿下」
「その顔は、何事か分かっているのか宰相」
そう、この人物こそがこの国の宰相である。元は父の側近であった。
苦労性が顔に出ているが、これもまた狐。この国が最低限形を留めているのは、おそらくこの男の手腕だろう。
「ノアという神父について、コルド商会から何やら密告があったというのは聞き及んでおります」
「目障りになってきたな」
「貴方様の口からそのような言葉が聞けるようになるとは。いやはや、人は育つものですな」
苦笑する宰相ロイヤーにアーノルドも苦笑する。どちらかと言えばこちらの男との方がアーノルドは話がしやすいのだ。
「ですが、それにしては落ち着いておられる」
「あまり困る事もない。父は無能だ」
「是とは言いたくはありませんが……まぁ、否定もできませんな」
「お前も言うな」
「殿下だからですよ」
苦笑する彼は「立ち話もなんですので」と招いてくれる。これにアーノルドも従う事にした。こんな場所で秘密の話はできないだろう。
ロイヤーの部屋は整頓されている。几帳面な事だ。
ソファーへと招かれ、お茶を出されて彼は対面に座る。そして、真剣な目をした。
「実際、婚約者候補達の焦りは既に家を巻き込んでの事となっております。突き上げがきつくなってきました。どうなさいますか?」
「全員切ってはダメか?」
「難しいかと」
全員、この一年で化けの皮が剥がれかけている。それを理由に嫌いになったと言いたいが……流石に難しいという。
「これの原因が、貴方が懇意にしている件の神父にあると、彼女達は考えているようです」
「おこがましい。何か一つでも彼に勝るものを持っているなら一考の余地くらいはあるが、皆二言目には『家へ』という。魂胆があけすけすぎるだろう」
既成事実ができれば正妃の座が転がり込む。そういう魂胆だ。
だが彼女の誰を正妃につけても国は疲弊する。みな、それなりに金遣いが荒い。貴族なんてものは民を殺しても自分の生活水準は下げたくない。贅沢と見栄の塊だ。
それが王家に滑り込めれば……頭の痛い。
「貴族教育をやり直せ」
「ごもっともなだけに頭の痛い」
やや怒気を含むアーノルドの言葉に、ロイヤーは深い深い溜息をついた。
「ですが、彼の神父の素性が分からない事にはこちらも多少懸念があります。民に慕われ貧民への慈悲もあつい方であるのは私もこの目で確かめておりますが、何とも底が見えない。それに……」
「それに?」
「……既視感があるのです、あの神父には」
やや歯切れの悪い言いようをするロイヤーに、アーノルドは首を傾げる。知る限り、この男は狡猾だが言葉を濁すということはあまりしない。ましてや本心から困惑を隠せないというのは不自然ですらある。
そんなアーノルドの視線に気づいたのか、彼はこちらを見て苦笑する。
「殿下は、亡くなられたミゼリー王女の事をご存じですか?」
その名に、アーノルドは難しい顔で頷いた。
王女ミゼリーは広く『気が狂って幽閉され亡くなった王女』と言われている。だが、何故そうなったのか。何があったのかなど、細かな事は何一つ残っていない。いた事は確かだが、細かな記録は故意に消されたのか? と言わんばかりに何もないのだ。
ロイヤーは未だに歯切れの悪い顔をしている。悩むような、困惑した様子。それでもアーノルドの視線を受けて、二杯目のお茶を淹れるとゆっくりと話し出した。