「まず、ミゼリー王女の母君はそもそも、リーフェル王国の公爵家の令嬢でした」
ロイヤーのこの事実すら、アーノルドは知らなかった。何せアーノルドが生まれた時には既に他界していたから。
それと、ミゼリーに関する事を口にすると父が明らかに機嫌を損ねるので、いつの間にかタブーとなっていた。
痕跡も残っていない。かつてミゼリーが使っていたという王宮の部屋は鍵が掛けられ開かずの間に。肖像画も全て処分されたと聞く。
生まれる前に亡くなっている王女の事を当時のアーノルドは父の怒りを買ってまで根掘り葉掘り聞く事はしなかったのだ。
「それは美しい方でした。流れるような白銀の髪に、澄んだ湖のような瞳。顔立ちも上品で、幼い頃から側近としてブライアン様の所へ通っていた私は、この方の美しさが眩しすぎると感じました」
「っ」
昔を懐かしむロイヤーだが、アーノルドは驚きと同時に疑念が湧く。
白銀の髪に、澄んだ湖の様な瞳。
これはノアにも当てはまるのではないか? 彼の流れるような銀糸の髪は日に照らされると白銀に輝く。柔らかく細められるアクアマリンの瞳は、澄み渡る水のようでもある。
これは、偶然か? 関係があるとして、何が……。
不安が込み上げる。開けてはならない箱を、開けてしまう予感がある。
「両国の友好を象徴する婚姻で、前王陛下も第二王妃様を大切になさいました」
「第二王妃?」
「第一王妃はブライアン様の母君です」
つまり、ブライアンとミゼリー王女は腹違いの兄妹だったのだ。
「妹姫のミゼリー様も母君の美しさを写したように美しく、聡明で活発な方でした。幼い頃には付き合って遊んだ事もございますので、よく覚えております」
「そんな女性が、気狂いで幽閉されたのか?」
これには、ロイヤーが口を噤む。じっくりと……時としては一分もなかっただろうが、体感では十分程に思える時間、アーノルドは彼の言葉を待った。
やがて、彼は重苦しく口を開いた。
「未だに、私には何が起こったのか分からないのです」
その言葉が、この思慮深い男が悩み抜いた後に紡ぎ出した本当の事に思えた。
「当時、先王陛下はご存命ではありましたが体を悪くし、ほぼ寝たきりでした。それを受け、ブライアン様は新王として戴冠したのですが……それから数ヶ月後にリーフェル王国との小競り合いが起こったのです」
それまで良好な関係を続けていた両国だが、ここで関係に亀裂が入ったという。これは歴史で習う事だ。ただ、歴史では「リーフェル王国が突如進軍した」とある。
だが、これにロイヤーは苦く首を横に振った。
「真実は真逆です。ブライアン様はずっと、リーフェルの発展を妬ましく思っておりました。それが戴冠し、軍を動かす権限を得て暴走したのです」
「なんて愚かな! 我が国が彼の国に敵う要素などないだろう!」
「仰る通りです。ですがこの直後だったのです。ミゼリー様が悪魔に取り憑かれた。危険なので離れた屋敷に幽閉し、元枢機卿のカノア様に悪魔落としをさせていると、ブライアン様から唐突に告げられたのは」
その事実に、ロイヤーはフッと息を吐いた。それはまるで、長年背負った重いものを下ろす事ができた、そんな様子だった。
悪魔憑き、というものがある。悪魔の誘惑に負けて落ちた者、悪魔に魅入られ手しまった者を指す。主に神への冒涜的な発言や奇行があるとされ、前者であれば処刑されることもある。
神父が落とすと言うのなら、ミゼリーは後者だったのだろう。
「気狂いではなかったのか」
「どちらも外聞は悪いのですが、悪魔に憑かれたというよりかは幾分……よくある話しですので」
それほど、王宮における女性の世界は熾烈を極めるということだろう。
過去の文献でも気を病む王妃や王女は多かったと記憶している。
「どこで療養しているのかすら分からないまま。時折ブライアン様は様子を見に行っているようでしたが、帰ってくると『まだダメだ』と言うばかりでした。そしてこの頃、リーフェル王国との関係は更に悪化。最初は適当にあしらっていた感じでしたが、徐々に本気でこの国を潰す勢いでした」
そのまま潰してくれても良かったかもしれない。とは、流石に言わなかったが思いはした。あの国に併呑されてしまえば、少なくとも市井の人々の暮らしはもう少し良かっただろう。
「王女が亡くなられたのは、その頃か?」
「いえ。幽閉されて一年と少し後……丁度、リーフェル王国との戦が終わる少し前の事です。病によりとありましたが……ここも未だに納得が出来ておりません。遺体が戻ってきた時、王女は既に骨となっていたのです」
「なっ!」
その事実にアーノルドも驚き思わず声を大きくした。それは、王族ではあり得ない事だった。
この国の主流は土葬だ。
だが死因が『流行病』と『罪人』『悪魔憑き』は火葬となる。
流行病は下手に土葬すればそこからまた病が起こる事がある。罪人は死後の世界でもその罪を購う為に遺体を損壊する意味がある。
そして悪魔憑きは死後、グールとなる可能性があると言われている。その為、火葬とするのだ。
だが王族は手順が違う。そのような者でも聖水と神父の祈りで浄化し、国葬を執り行う。その後にひっそりと火葬されるのだ。
国葬も執り行われていない段階で火葬されるなど、異例を通り越して異常だ。
「……未だに、拭えない疑念があるのです」
「なんだ?」
「…………ブライアン様は何か良からぬ事を、ミゼリー様になさったのではないか。その証拠を消すためにあえて、火葬してから王宮に戻したのではないか。異様な程に王女の痕跡を消したのは、後ろめたさと罪の発覚を恐れてではないか」
「それは!」
考えたくない事が多すぎて頭痛がする。
王女の失踪と、死後の異常さ。側近ロイヤーの恐れと、消された痕跡。
そして、王女ミゼリーと何処か似ているノアの存在。
恐れに目を見開き、口元を手で覆うアーノルドの中に疑念が宿る。もし何かが繋がっていたら……その可能性がチラついては心臓が跳ね上がり酸っぱいものが込み上げる。
この想いは、同性と言うだけで禁忌なのに……まだ、あるのか?
「明確に何かを聞いた事はありませんが、ブライアン様は昔から、ミゼリー様を絡みつくような目で見ておりました。そらが……いえ、口に出すのも恐ろしいですし、なんの証拠もございません。これは私の中だけにある、漠然とした、そして答えのない病みです。どうか、お忘れ下さい」
「……わかった」
そう言って、アーノルドは立ち上がる。
だがその心は湧き上がる不安と嫌な予感に染まり、直ぐにでも確かめたいという焦りとなっていた。