懺悔室は静寂に包まれ、外部の喧噪や壮絶さから切り離されている感じがある。
椅子に腰を下ろし、開けられた穴の側に手を置くと、そっとそれに触れる白い手があった。
「ノア、話してほしい。何を聞いても、俺は貴方の味方でいるから」
そう伝えると、ノアは恐れたように手を引っ込める。そして暫く時をあけて、彼はゆっくりと話し出した。
「私の母は、ミゼリー・ルブランティーノ。タイラン王国の王女です」
これは既に覚悟が出来ていた。見えてはいないが、アーノルドは一つ頷く。その気配を、ノアは感じ取ったようだった。
「ミゼリー王女はこの国では気が狂った王女、もしくは悪魔に憑かれた王女と言われているが」
「そんな事はありません! 母を狂わせたのはあの男が!」
ガタンと音がして、声を荒らげるノアに驚く。だが、それ程に何か理由があるのだろう。感情的になるなんて今までなかったのだから。
何故だろう、この状況でようやく、アーノルドはノアという人物に触れられた気がする。
「ノア」
「……言えません」
「大丈夫だ」
「言えません! だってこれは……これだけは」
苦しそうに、まるで重石を飲まされたように彼はまた涙声になってしまう。手を伸ばして、アーノルドは見えている彼の手に触れた。
「大丈夫だ」
「……母は気が狂って幽閉されたのではありません。リーフェル王国にタイランが攻め入ったあの日、あの男……ブライアンが母を攫い、自身の別邸に監禁したのです。そこで……母は地獄の日々を送ったのです」
「っ!」
苦しげな声は泣いている。そしてその衝撃的な内容にアーノルドもまた勢いよく立ち上がって震えた。
それは、考え得るかぎり最悪のシナリオだ。これが正しいとするならば、ノアの父は……。
「……私の父はブライアンです。私と貴方は腹違いの兄弟になります」
「っ!」
たまらず、アーノルドは歯を食いしばり拳を握る。爪が手の平に食い込み血の臭いがしても、その力を緩める事ができなかった。
なんて事だ。なんて残酷な仕打ちだ! 愛した人が……父を同じくする兄弟だとは。しかも父はそんな悍ましい罪を犯していたのか。
ノアは、全てを知っていて近付いたのだろう。その理由も、これを聞けば明確となる。
父ブライアンへの復讐だ。
でも今は少し違うのかもしれない。苦しそうな彼の声を聞くと、最初はそうであっても今は……憎いならさっき、殺せていただろう。
ドアを開け、隣の部屋へと向かう。扉を開けるとその先で、ノアは沢山の涙を流していた。そんな彼へと近付いて、アーノルドは躊躇わず震える肩を抱きしめた。
「愛している」
「っ! 私は!」
「愚かな父と同じ選択をしている自覚はある。だが、この想いを今更捨てる事はできない。そうしろと言うならもう、俺は生きる事に苦痛しかない。愛しているんだ、ノア。例え兄弟でも……愛しているんだ」
アーノルドの肩口にノアが額を当て、背にゆっくりと手を添える。一年前は大人に思えた人は、今はすこし細くか弱く思える。アーノルドが筋力をつけ、大きくなっていた。
「大丈夫、俺が守る。もう誰にも、貴方を傷つけさせやしない」
「簡単に言わないでください。私は大誤算なのです。貴方を利用してブライアンを殺し、ついでに貴方に私の秘密を伝えて苦しめようと思っていたのに……貴方があまりに馬鹿みたいに警戒心もなく、私を愛するから……絆されてしまったではありませんか」
「責任を取るよ、ノア」
柔らかく目を細めたアーノルドはどこかほっとする。全てが偽物ではなかったのだ。
最初は計算だったのだろう。でも、過ごす時を重ねる間にノアの中にも違うものが……愛情が生まれていたのだとしたらそれは嬉しい。
だが同時に父を絶対に許さないと決めた。
あってはならない罪を犯し、一人の女性を不幸にし、死なせたのだ。そればかりかその子供であるノアにまで罪を負わせ、人生を壊しただなんて。
「父は俺が殺す。貴方と、若くして亡くなった王女の代弁者として」
「母は数年前まで生きていましたよ?」
「……は?」
キョトッとした目で見上げたノアに、アーノルドは目を見張る。だがその顔に嘘はなさそうだった。
「だが、幽閉先で病死したと! 骨が!」
「その骨はおそらく別人のものでしょう。可能性があるとすれば私と母を逃がす手引きをしてくださった元枢機卿のカノア様ではないかと」
「なにぃ!」
女性ですらなかったのか!
だが……戻ってきたのは骨で、しかも王族の遺骨となれば誰も調べられはしない。持ってきたブライアンの言葉を信じるより他になかっただろう。
そして骨であった理由もこれで納得ができる。
「母の母……私にとっては祖母ですが、彼女はリーフェル王国の公爵家出身です。カノア様は母の世話を頼まれ、心を痛めながらどうにかしたいと願い、ここに荷を持ってくる商人に金を渡してリーフェル王国に繋いでもらったようです」
「そうなのか?」
「はい。カノア様の残した手記に、当時の事が書いてありました」
史実に、カノアの名は見当たらない。おそらくこれも消されたのだ。
だが、きっと誠実な人物だったのだろう。それ故に苦しみ、王女を救おうと奔走したのだろう。
「知らせはリーフェル王国のアルバ商会へと届き、公爵家と国王に知られました。これに激怒した国王が一時期苛烈にこの国を攻めたのです」
「そのまま攻め滅ぼせばよかったのに」
「私もそれには同意しますが、長く戦をすれば民が疲弊する。そこで王は王女の救出をアルバ商会に任せ、その間目を引く役割を担ったそうです」
そしてその目論見は成功したのだろう。
「母が安定期に入ったのを確かめ、カノア様が屋敷から彼女を出し、ひっそりと潜伏していたアルバ商会の者が彼女を保護しました。その後、カノア様は一人屋敷に戻り、自害なさったと聞いています」
「どうして」
「母に執着しているあの男が失踪に気づけば、絶対に居場所を吐かせ追うだろう。その道を断つため、カノア様は自ら命を絶つ事で私達母子を助けて下さったのです」
そしてブライアンが気づいた時には元枢機卿の遺体だけが屋敷に残され、王女は消えていた。明らかな罪であり、長くこれを隠し通す事も難しい。だから遺体を偽造して死んだ事にしたのか。
「その頃、あの男は正妃との間にも子を設けていたと聞きます」
「それが俺か」
「えぇ。その後、母はリーフェルの辺境で無事に私を産み、数年は引きこもっておりましたがその後徐々に回復し、私とも交流が持てるようになりました」
それは僅かに救いとなる。そのまま気を病んでしまうのが普通だろうに。
安心したのも束の間、ノアの表情は曇った。
「ですが同時に、母は私に復讐を望みました。あの男が如何に卑劣か。自分がどれほど苦しんだかを……常にではなく、気が落ち込んだ時だけですが。私は子供の頃からそれを聞いて過ごしたのです」
だから、復讐にきたのだ。
そしてその資格が、ノアと彼の母にはあるのだ。
「ずっと、誰かを愛するなんて考えてもみませんでした。母が亡くなってから、私に残ったのは母の怨嗟の思いです。復讐を果たす事をアルバ商会の会頭に伝えると、彼は止めてくれました。ですが……」
それがノアの存在価値になっていたのだろう。
そしてアーノルドはそんな彼の力になることに躊躇いなどないのだ。
手を握り、正面からしっかりと見据える。そして、まるで結婚の誓いでも立てるかのように真剣に口にした。
「俺が、協力する。二人であの男を地獄に落とそう」
これに、ノアは多少躊躇い、やがて頷くのだった。