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第12話

 件の屋敷は王都を出て少し行った所にある。馬車で半日というところか。

 白い外装で左右対称な屋敷は大きさとしてはそれほど大きくはなく、少人数であれば手頃と言える。可愛らしい門扉を抜けると低木を刈り込んだ綺麗な前庭が見える。玄関までのアプローチはそう長くはないが、愛されている屋敷だと言える。


 馬車の中では互いに会話がなかった。ブライアンは恐れるように落ち着かず、それを無視するようにアーノルドは馬車から景色を眺めていたから。


 馬車を降りると、既に三人の令嬢が到着していると聞かされる。重い両開きの扉を開けた先はエントランスとなっていて、吹き抜けの高い天井と大きなシャンデリア、そして二股に分かれた大階段が見える。

 そして三人はそこで、今か今かとアーノルドを待っていた。


「殿下!」


 パッと顔を上げて駆け寄ってきたのはソフィアだ。こちらが何も知らないと思い、猫なで声で腕にしがみついてくる。思わず反射的にその手を振り払いそうになったが、今は良き王子を演じなければならない。


「ようやく決めてくださいましたのね」

「あぁ、そうだね」

「遅いですわよ!」


 そう言って頬を膨らませ腕を組むミアは、これが似合っていると思っているのだろうか? 子供でもあるまいに。


「陛下、ご無沙汰しておりますわ。殿下も、お久しぶりです」

「あぁ」


 先に父に、そしてこちらにも挨拶をするセーラは抜け目がない。煌びやかな青いドレスの彼女がおそらく、一番罪深いだろう。

 此奴らを全員纏めて処分する。にこやかに対処し、それぞれの手の甲にキスをする男が心の中でこんな事を思っているなど、彼女達は知りもしないだろう。


 発表は晩餐の後として、まずは部屋で休みたいと伝えると彼女達も渋々離してくれた。

 そうして宛がわれた一室に入り、音を立てないように鍵をかける。既にこの部屋に気配があるのには気づいていた。


「遅れてすまない、ノアール」


 伝えると、ふっと部屋の空気が揺れる。そして慣れた体温が後ろから、アーノルドを包み込んできた。


「久しぶりですね、アーノルド」

「気が狂いそうだったよ。こんなに長く貴方と離れる事になるなんて」


 回された腕に手を重ね、その手の甲に愛おしく唇を落とす。先程の形式ではなく、心からの愛を捧げて。


 死んだ事になっているノアは別れる前、本当の名を教えてくれた。「ノアール」と。

 そして、彼が描く復讐はあの男から根こそぎ、全てのものを奪う計画だった。

 それらの準備の為にも、これだけの時間が必要だったのだ。


「予定通りかい?」

「えぇ。そちらは?」

「母に別れを告げ、ロイヤーには明日届くように手紙を出しておいた。アレは賢い男だから、大丈夫だろう」

「ロイヤーですか。母が話していましたね。不器用で真面目で一生懸命。女児の相手などした事もないだろうに、一生懸命遊んでくれたよいお兄さんだったと」


 アーノルドの中でロイヤーは堅物だが野心家でもある食えない宰相だ。だが、幼い頃はもっと可愛かったのだろう。


「王女の真実を告げたときに涙を流したのは、幼い頃に遊んだ思い出があったからか」

「義理堅い人ですね。これは殿下に一言伝えておかなければ。あまり虐めてやらないように」


 そう苦笑するノアと正面から見つめ、とても自然に唇を交わした。愛おしい思いが込み上げ、手放したくないと強く願う。銀の髪に手を梳き入れて思うままに、二人は互いを確かめ合ってから別れた。


 続きは、全てが終わってからと約束して。


◇◆◇


 晩餐は一階の大食堂で行われた。

 無駄に長いテーブルに用意された豪華な食事を、令嬢三人は上品に楽しんでいる。

 暖炉の前にある特別な席はブライアンが。彼女達の正面にはアーノルド一人が座って相手をしている。

 この屋敷についてから気もそぞろなブライアンを、令嬢三人はやや首を傾げて見ていた。


 食事も終わり、食後の紅茶が出される。給仕の者が下がったタイミングでアーノルドは立ち上がり、父と三人へと目配せをした。


「本日は俺の為にお集まり頂き、ありがとうございます。皆様既にご存じだとは思いますが、本日は大切なお話があり、皆様を招きました」


 これに令嬢達は色めき立つ。誰もが選ばれるのは自分だと思っているのだろう。ソワソワしながらも期待するソフィア。気にしながらも矜持故に胸を張るミア。当然自分だと疑わず余裕のセーラ。

 皆が皆、分かっていない。これから行われるのは婚約者の発表ではなく、断罪なのだ。


 その時、ふと蝋燭が消えて辺りが闇に包まれる。短い悲鳴が上がり席を立つ音が複数。そしてそれらの音をかき消す男の悲鳴が室内に響いた。


 アーノルドが悠然と歩を進め、蝋燭に明かりを灯す。一つ、二つ……室内がオレンジ色の明かりに照らし出されると状況が見えてきて、女性の甲高い悲鳴が三つ響いた。


 その場には部外者が一人立っていた。黒いフード付きのローブを纏うその人は剣を持ち、ブライアンの背後にいる。切っ先は既に赤く濡れ、足を切られたブライアンは惨めに地を這いながら背後の男を見上げていた。


「だ……誰か! 誰かいないか!」


 そう叫んだ声に応える者はない。何故ならここのスタッフは皆、アルバ商会の者と入れ替わっていたのだ。彼らは全てを知っている協力者。そして、無関係な従者やメイドを巻き込まない為の対策だった。


「おや、酷いではありませんか。これでも親子の初対面という、感動的なシーンですのに」


 艶やかな声が美しい唇から紡がれる。戦慄の夜には不似合いな……悪魔の声だろうか。

 だが、言われた方は意味がわからなかったのだろう。狼狽し、目を見開いて見上げている。

 そんなブライアンの前で、彼はゆっくりとフードを取った。


「っ! あぁ……おっ、おま……ミゼリー! ミゼリーなのか!」


 動揺が溢れるように声は震え、言葉は何度も同じ音を繰り返し、それでもようやく絞り出した声には歓喜が混じっている。

 ブライアンは泣きながら笑い、切られた足を引きずりながらノアの足元へと這いずっていく。

 だがノアの目は氷のように冷たかった。


 伸ばされた手を思い切り踏みつけ、更には手の甲をグリグリとするとブライアンは苦痛に声を上げる。

 この異様な様子にソフィアとミアは怯えるが、セーラはまずいと思ったのかチラチラと食堂の出入口を気にしている。

 そして、注意が逸れたと思った瞬間駆けだし、ドアを開けようとして……開かない事に絶望した。


「なんで……」

「逃がすと思うのか? 俺のノアを殺そうと画策した主犯のお前を、俺が許すと思うのか?」


 低く冷たい声にセーラは振り返り、戦きながら床へとへたり込む。アーノルドは既に剣を抜いていた。そして、冷たい目で見下ろしたままそれを振り下ろした。


 悲鳴は残された二人の令嬢のものだ。目の前で行われた凶行に顔を青くして震え上がり、互いを抱きしめている。だが、それでいい。残された二人にはきっと何もできないのだから。

 アーノルドは剣をそのままに戻ってきて、ノアの隣に並ぶ。そしてとても幸せな笑みを浮かべ、父を見下した。


「紹介しますよ、父上。俺の愛しい人、ノアールです」

「父上、お初にお目にかかります。貴方が犯した大罪により、母は死ぬまで許さないと私に訴え続けました。母の無念を晴らしに、まかり越しました息子のノアールです」


 綺麗な笑みを浮かべたノアが、踏みつけているブライアンの手に剣を突き立てる。上がった悲鳴と恐れる様子。それを、彼はとても嬉しそうに見た。


「母に何をしたのかは、ご存じですよね?」

「私はミゼリーを愛していたのだ! ずっと、ずっと小さな頃から、私は!」

「貴様の口から母の名を呼ぶな!」


 ノアの激高する声とブライアンの悲鳴が重なる。目を吊り上げ、憎らしく食いしばるノアを見ているのは心苦しい。だが、これはノアとミゼリーの復讐なのだ。邪魔はできない。


「母はお前にされた仕打ちを生きている間中夢に見て心を病んだんだ! 私に、愛していると言いながら呪いをかけたのだ! お前に復讐してと、泣きながら訴えた母の姿を……私は今も夢に見るんだぞ」


 アクアマリンが零れ落ちる。苦しい心を吐き出すノアを気遣い抱き寄せると、彼はそっと肩に寄り添ってくれる。その背をあやしながら、アーノルドは溜息をついた。


「貴様のしたことはミゼリー王女を不幸に落としたばかりではない。俺の母すら裏切っていたのだ。これを、母の子として許す事はできない。数日後にはこの国にリーフェル王国が攻め入ってくる」

「なん、だと?」


 驚き目を見開くブライアンはアーノルドを見ている。それは、タイランという国の終わりを宣言したのと同義だ。


「公爵の姪であるミゼリー王女を穢し、更には公爵子息であるノアールも手に掛けようとしたのだから、情に厚いリーフェル王が怒るのも無理はない」

「公爵子息!」


 これに青い顔をしたのは残された二人だ。覚えがあるのだろう二人は更に震えている。だからこそ、アーノルドは口の端を上げた。


「そこの二人が何をしたのかは、優秀なロイヤー宰相が全て明らかとした。今頃は両家に騎士団が向かい、事を済ませているだろう」

「私達はセーラにそそのかされて!」

「それでも、常識的な人間であればやらないんだよソフィア。多くの者が死に、生活の場を失う放火なんて事、民を見下し己の欲望や願望を満たす事だけを考える者でなければ、決して」


 これに、ソフィアは押し黙って下を向く。その隣でミアは泣き出した。


「ごめんなさい。私はただ、見てほしくてぇ」

「それで暗殺者を雇い、ノアを襲わせたのか? 混乱に乗じて、確実に殺そうと」

「でも! 暗殺者は全員戻ってこなかったわ!」

「私が切りましたからね」


 平然とした様子で伝えるノアに、ミアは今度こそ恐ろしい者を見る目を向けてへたり込んだ。


「これらの罪により、ここにいる全員は救いがたい罪人であると判断し、王太子アーノルドの名の下に処断する。を、受けるがいい」


 その言葉が、彼らに向けられた最後だった。


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