しんしんと降り積もる雪のように、身動きが取れなくなっていく。
ビドリオが精神的に限界を迎えつつあったのは冬、雪降る夜だった。
愛しの
「今夜は、なんだかとても幸せだわ、あなた。ずっと、こんな夜が続けばいいのに」
薄紅の唇がふわりとほころぶ。
ビドリオは降り注ぐ愛に酔いしれたかった。だが、なにかが間違っていることだけはわかってしまった。動揺するまま、しっとりと柔らかな掌を探し、指を絡めていく。
「アルマ……キミさえいてくれれば、ボクは、もう何もいらない。キミが、ボクの全てだ。もし、ボクが過去に何か過ちを犯していたとしても…キミは、許してくれるかい?」
まさに、ビドリオにとって切羽詰まった懇願だった。溢れ出す赦しへの渇望。
もう、ほとんど事実に近いところまで、ビドリオは推測していた。自分に何が起きていたかを。ただ一つ、妻の正体以外については。
――アルマだけは、ボクを見捨てず残ってくれたのだ。
ビドリオはそう思っていた。
ああ、そうだろう。ギリギリそうなるように計算したのだ。
「ええ、もちろんよ、ビドリオ。わたしはいつだって、あなたを愛しているわ」
そして、はっきりと遠い昔のおとぎ話を寝語るように教えてくれた。
「あなたは、本当に全てを忘れてしまったのね。でも、いいのよ。
救い主である師への、許し難い背信行為。
親友クアルソへの嫉妬が招いた、陰湿な罠。その後に訪れた悲劇的な死。
そして、真実によって精神を蝕まれ、消えていった本当の
「だから、あなたはわたしを作ったのよ。壊れた心では、もう苦しむことは出来ないから。忘れ薬を飲み干して、心を癒すようわたしに命じて。すべてはこの時のためだったの」
役目をきちんと全うすることが出来た
一粒一粒の告白は、研ぎ澄まされた硝子の破片となって、心臓を穿つ。修繕された硝子の心臓は、再び砕け散る時を迎えた。
「ねえ、喜んでください。わたしはちゃんとあなたを愛しましたよね? とても大切に出来ましたよね。誰よりも、なによりも。愛していくなかで、あなたのこともよく理解できたわ。……ビドリオ」
固く閉ざしていた記憶の扉から、腐臭を伴う亡霊が這い寄る。
指先の慄き、悪夢が告げる不吉な予兆、形のない罪悪感。散らばっていたピースが、今、抗いようのない必然性をもって、彼自身を塗り替えていく。
「嘘だ……そんなはずは……ボクが……ボクがそんなことを……」
ビドリオはこの美しい楽園が、巧妙に作られた『処刑台』であったことを、ようやく悟ったのだ。
目の前にいるアルマは、愛する妻ではなく、自らの罪が生み出した、最も冷徹な復讐代行者だった。
「どうして……どうして、もっと早く教えてくれなかったんだ……!?」
「だって、あなたは『最も苦しみ絶望するような方法で、私を殺しなさい』と命令したではありませんか。わたしはただ、あなたの命令に忠実に従っただけよ? だから、喜んで?」
「ああっ……ああああぁぁぁっっ!!」
ビドリオは、絶叫し、頭を抱えて床に崩れ落ちた。
罪の記憶の奔流が、ビドリオの脆弱な支柱を完膚なきまでに押し潰していく。信頼できる妻の存在、幸福の絶頂から、絶望のどん底へ。
これ以上の苦しみ、これ以上の絶望が、この世にあるだろうか。
「これが、あなたが望んだ結末よ、ビドリオ。あなたは、永遠にこの罪の記憶と共に生きるの。そして、わたしは『愛』を注ぎ続ける。決して死ぬことも、忘れることも、許されることもなく、罰を受け続ける。それが、あなたへの最高の『復讐』であり、そして……わたしからあなたへ贈る、永遠の『愛』の形よ」
それこそが、もっとも望ましい復讐の方法であるというものだった。
だから、どう足掻いてももうビドリオは死ぬことなどできない。