気がつけば、私は灼熱の砂漠に突っ立っていた。
いや、ただ突っ立ってるだけじゃない。
パンツを履いていない。
どういうこと? 風がスカートの下を通り抜けるたび、肌がざわついて落ち着かない。何度探っても、どこにも布の感触がない。
「……パンツが、ない……?」
状況がわからない。だけど、ひとつだけわかる。
これは、ゲームの中だ。しかもエンディングの後の世界。
⸻
私の名前は木更津杏奈。
アラサー、未だ彼氏ナシ、開発職の技術系OL。地味に誠実に生きてきた。……はずだった。
ある日、会社から突然の通告。
「開発第四課は解散。あなたも解雇です」
目の前が真っ白になった。
開発していた共振型ワイヤレス掃除機は、どうなるの? 七年尽くした努力は? そんな思いも虚しく、私は不要な人材として放り出された。
ヤケ酒をあおり、ふらっと入った中古ゲーム屋で見つけた乙女ゲーム。
それが『プリンス・オブ・ハート』だった。
貧乏貴族の少女マーサが、王子や騎士と恋をして、最後には王妃になる。そんな王道ゲーム。私は寝る間も惜しんでプレイして、グランドエンドまで一気にクリアした。
ラスボスの悪役令嬢のアリシアを追放し、マーサが王子と結ばれる完璧なエンディング──
……の、そのあとで。
画面から紫の光があふれ、目が眩んだと思ったら──
今、ここだ。砂漠。炎天下。ノーパン。
「まさか……アリシアに転生した……?」
手足が細く、肌は透けるように白い。スカートの刺繍も見覚えがある。
試しに笑ってみる。「オーッホッホッホ!」
ああ、この声、間違いない。ゲーム中で何度も聞いた、高飛車な悪役令嬢のそれ。
そうだ。私は、マーサに追放された『あのアリシア』だ。
いや待って。ゲームの悪役って、追放された後どうなったかなんて描かれてなかったよね? このままじゃ死ぬしかないじゃん!
転生するにしても、よりにもよってなぜここから始める!?
「ふざけんな……!」
私は、地べたに座り込みながら、拳を握った。
マーサが正義で、私は悪?
だからって、こんな仕打ち、ある?
でも──なら、やってやろうじゃない。
パンツがないなら、脱ぎ捨てて前に進むだけ!
私はもう、地味で中途半端な私じゃない。
今度こそ、自分の意志で生きてやる!
今の私は完全に野生の悪役令嬢だ。
こうしている間にも太陽の熱線で頭の上はチリチリしてくるし、食べ物どころか水もないしで。
これは完全に殺しにきてるね。バチバチのマーサの殺意を感じるわ。
確かにゲームの中のアリシアには妨害されたり嫌味言われたり、靴底に画鋲入れられたり、カレピを横取りされてムカついたり、なんなら毒殺されそうにまでなったけどさ。……あれ? 結構やらかしてるな、アリシア。
いや、まあ。アリシアを追放する選択をしたのは誰でもない、この私なんだけどさ。
まさか、砂漠に追放とか思わんし、自分がアリシアになるとかもっと思わんでしょ?
それにしてもさ。異世界転生って、こうスキルで無双とか、ステータスが見れるとかあるじゃない? 私にはなにもないの? 私の異世界しょっぱすぎないか。
このままだと這い上がる前に干上がってしまう。どうしよう……。
ため息を吐くと、岩山の窪みに出来た僅かな日影にしゃがみ込んでしまった。
「……」
夢の中? 悪役令嬢が砂漠にいた。
砂漠なのにティーテーブルがあって、上にティーポットとカップが並んでいた。
頭の上では、大きな日傘が太陽の熱線を完璧に遮っている。
悪役令嬢のアリシアと私がサイドテーブルで向かい合って座っていた。
「あなた、中途半端はやだとおっしゃってたわね」
「あ、うん、もう半端な人生は生きたくないってそう思ったんだ」
「嘘はない様ですわね。それなら私とこの世界の未来をあなたに託しますわ……」
「え? どういう意味?」
「マーサを止めてくださいまし」
マーサを止める? どういうこと? 唐突な話だなと思ったところで、目が覚めた。
疲れてほんの少しだけまどろんでいたらしい。砂地のざわめきで目が覚めた。
「キシャーーーーッ!」
突然頭の上から怪音がするので、驚いて上を見ると、トドくらいの大きなトカゲが岩の上からこちらを見ていた。
「コブトリドラゴンだ!」
コブトリドラゴンはゲームの中では小型のザコモンスターに入るのだけど、こうして直に見るとでっけえ!
ドラゴンと名は付いているけど、ぶっちゃけトカゲだ。ザコなので恐れる事はないのだけど、それはマーサでゲームをやってた時の話だ。
私は今、生アリシアだよ。どうすんの?
「シャーーーーーッ!」
コブトリドラゴンはやる気満々で大きな口を開いて威嚇してきた。生臭い臭いが微かに漂ってきた。ああ、あの口、猫くらいは軽く丸呑みできるな。
コブトリドラゴンと目が合った。感情のない冷たい視線に背筋が凍りつく。やばい。
脱兎のごとく私は逃げた。