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1.偽装恋人をはじめましょう

 それは、入部していたバスケ部ではなく、帰宅部の智彰と共に助っ人としてよく出ていた陸上部へと顔を出した、その帰りの出来事だった。


 「桜汰、俺と付き合わないか?」

 智彰が告げたその言葉が、もう夕方はとっくに過ぎているのに時間を感じさせない夏の明るさと蒸し暑さの中、まるで蜃気楼のように俺の心をゆらりと揺らす。

 ひくつく喉が自然とごくりと鳴ったのは、俺が智彰に長年片想いをしていたからで――


「受験が終わるまででいいんだけど。お前、別に好きなやつとかいないよな?」

 という、俺たちの想いが〝同じではない〟と決定付けるような言葉が後に続いたことで、俺は落胆とともにある意味当然だと納得した笑いが込み上げた。

(自然に笑え!)

 引き攣りそうになる頬を無理やり動かし、落胆を押し殺した俺は精一杯の笑顔を浮かべる。どうか、この笑顔が五年以上になるこの付き合いで何度も交わしたものでありますように。そう願いながら、俺も口を開いた。


「突然どうしたんだよ。暑さで頭が湧いたか? それとも受験のストレス?」

「あー。受験のストレスはある意味正解だな」

「は?」

 動揺を誤魔化すように適当に口走った内容に、まさかの肯定が来て俺は思わずきょとんと目を見開く。出会った中学一年のあの頃から、大学受験を間近に迎えた高校三年生の今まで成績上位をキープしていた智彰が、まさか受験のストレスを感じているとは思わなかったのだ。そして、そんな俺の疑問に気付いたのか、智彰がはぁ、とため息を吐く。


「単純な話だよ。女子が面倒くさい」

「おい。お前、今全俺とモテない仲間たちを敵に回したぞ」

「勝手に受験勉強しろよって思うんだが、よく勉強を教えてだとか志望校どこなのとか話しかけてくるんだ。生徒会ももう後輩に引き継いだから、後輩女子に追い回されることももうないと思ってたのに今度は同学年かよ」

「おい。無視とはいい度胸すぎるし、まだ言うか」

「ってわけで、お前だよ。桜汰」

 クラスの、いや学校の女子たちからは大人っぽく、クールで格好いい――と評されているはずのこの友人が、どこか年相応な笑顔を浮かべて俺の方へと顔を向ける。この顔が見られるのは『友人』の特権だとわかっていながら、つい俺の胸は高鳴った。


「恋人がいれば、それ全部断れると思わないか?」

「俺の人権はないんか?」

「メリットとして、お前の受験も俺がみてやる。俺の実力は、中学一年の時から今までで一度も桜汰に赤点を取らせなかったことで証明されてるぞ」

「ありがとうございます。謹んで拝命させていただきます」

 わざとらしく頭を下げた俺に、フッと軽く吹き出した智彰が「よろしく」と言って手を差し出す。その手を当然のように取ろうとした俺は、握手の寸前で手を引いた。


「でも、本当にいいのか? 智彰だって受験だろ。教えるのが面倒くさいんじゃなかったのかよ」

「親しくもない奴と桜汰は違うだろ。お前だけは特別だから」

(特別)


 当たり前のように重ねられた言葉をつい脳内で復唱してしまう。友人としての特別でも、他ならぬ智彰からの評価ならこれ以上嬉しいことはなかった。


「それに、俺は公募制推薦貰うつもりだから、早ければ十二月にはもう大学決まってるし」

「えっ! う、裏切り者! というかなんだ、貰うつもりって!? 帰宅部だろ、考査とかあるじゃん!」

「何に対しての裏切りだっつの。つか、どう考えても貰えるだろ、生徒会長の実績と、助っ人としてだが桜汰と一緒に陸上部で何度も試合に出た実績もあるからな」

「小癪なっ」

「もしかして頑張って難しい言葉使おうとしてる? その言葉、受験には出ないと思うけど」

「うっるさいなっ」

 ははっ、と俺の全力の抗議を軽く笑い飛ばした智彰。そんな彼をじとっと睨む。


「じゃあ、俺もバスケ部と陸上部の助っ人で……」

「いや、赤点ギリギリじゃ無理だろ」

「そんなっ」

「ま、つまりさ。俺の受験の後の時間は全部桜汰のために使うし、俺の受験までの時間も――つっても公募制推薦の受付まであと一か月くらいだが、それまでも勉強見てやるし。どうせこんな時期に今から彼女とかも作らないだろ? 桜汰にとっても悪い話じゃないと思うんだけどな」

 確かに智彰の提案は、どれも俺にとって悪い話ではない。苦手な勉強を、常に上位の成績をキープしている智彰が専属で見てくれるのだ。むしろ最高の環境ともいえる。

 それに何より、智彰が彼女を作る姿を見なくて済むどころか、その恋人が俺になるのだ。


(智彰の時間を貰えて、いつも以上に一緒にいれるのか)

 しかも、今までのような友人関係ではなく、好きな人の恋人として側にいれる。その状況は、堪らなく甘美な誘いだった。それが例え期間限定のものだとしても。


「……わかった、今日から俺たち、恋人ってことで!」

 あまり本気っぽく思われないよう、明るい声色になるよう気をつけながらそう口にし、差し出された手をまるでハイタッチでもするかのようにパァンと叩く。そして、少し躊躇いながら、改めて智彰の手を握った。


「じゃあ、よろしくな」

「俺の方こそ」

 しっかりと握手を交わす。この瞬間から、俺たちは偽装の恋人だ。

 切れ長の目を細め、ニッと口角を上げた智彰の顔は相変わらず格好いい。一重なのに腫れぼったくなく、むしろ涼し気に見えるその眼差しが、いつも俺の心臓をうるさくさせていた。

 そんな智彰と、期間限定の偽装の恋人としてだが、まさか付き合えることになるだなんて。終わりを考えれば心は沈みそうになるが、この関係が終わっても本当に付き合っていたわけじゃないのだ。きっとスムーズに元の友人関係に戻れるはず。


 だったらせめてその終わりが来るまでは。

(智彰の恋人を満喫しなくちゃ)

 俺はそんなことを考えながら、激しく鳴っている鼓動に気付かないフリをしたのだった。

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