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2.嘘つきな自分に蓋をして

「桜汰、俺と付き合わないか?」


 長年考えていた言い訳と、全力の言いくるめで桜汰からオッケーの返事を貰った夜。

 いつもなら送らない『おやすみ』のメッセージに、『おやすみ、また明日な』と返ってきたことでじわじわと実感が湧いた。口元のにやけが収まらない。


「俺が桜汰の彼氏か……」

 彼氏、彼氏。その単語がたまらなく自分の胸をくすぐり、そして胸の奥をズキリと穿つ。あくまでもこの関係は俺から言い出した、期間限定のものに過ぎなかった。

 それでも。


「付き合えたんだ」

 終わりが決まっているとしても、おやすみが言える。友達同士だと近すぎて違和感のあるその当たり前の挨拶が、当たり前のように言える関係になれたことが今はただ嬉しかった。


 言いくるめた自覚はある。俺の片想いだということもわかっている。だからこそこの奇跡のような時間を過ごせることに感謝して、俺はベッドに潜り込んだ。


「デート……は、ファミレスとかならいいかな」

 いや、俺の家でも。なんて考え、躊躇いが浮かぶ。だって俺たちは今恋人同士なのだ。

(ただの友達だった時は入り浸らせてたけど)

 勉強だとか涼みにだとか。ゲーム機が桜汰の姉に取られただとかで俺の家にゲームをしに来たりもしていた。


 当たり前のように遊びに来ていたが、友達と恋人は違う。部屋に呼んでいいのか、と迷いが芽生えるこの状況も、俺にとっては夢のように楽しい。


「ま、アイツはどうせ何も考えず遊びに来るんだけどさ」

 だって俺たちは恋人だけど、偽装だから。

 身構える方がおかしいのだ。だが、それでもやっぱり少しは意識してくれたら、なんて。


「あり得ない、か……」


 ぽつりと溢れたその言葉は、電気を消した部屋に埋もれるよう、小さく溶けていった。


 ◇◇◇


 俺と桜汰が出会ったのは中学一年の時だった。

『牧野』と『長峰』。廊下側から名簿順に並べる形で席が決まった一学期のはじめ、五十音で折り返したからこそ、偶然隣同士になった俺たちは最初は〝お隣さん〟なだけで接点はなかった。

 そんな俺たちだったが、ある数学の授業で接点ができる。桜汰が消しゴムを忘れたのだ。


「使うか?」

 別に親しくなりたかったわけではない。むしろ明るく活発、悪くいえば子供っぽい桜汰と、どちらかといえば冷静な俺とだとタイプが違いすぎて仲良くできるとは思えなかった。

 だが、仲良くできるかどうかは別として、困っている相手を無視するほどの関係でもなかった俺は、ただの親切心で声をかけたのだ。


「えっ! いいのか、サンキュー!」

「あ、バカ」

 普通の声量……とはいえ、授業中だ。何故会釈くらいにできなかったんだよ、と思うが早いか、数学教師がこちらへと視線を投げる。当然だが目をつけられたのは桜汰だった。


「お喋りとはいい度胸だな、牧野」

「ぅえっ!?」

「問い三の答え、ちゃんと授業を聞いていればわかるよな?」

「どぅえぇっ!?」

 動揺した野太い声が上がり教室が笑いに包まれる。等の本人は青ざめているが、別に空気は先生含め悪くはなかった。


(自業自得とはいえ、可哀想か)

 それはただのお節介。隣の席だからこそ桜汰がちゃんと授業を聞いているのは知っていたし、そして隣の席だからこそ、それでも桜汰が数学を理解していないことにも気付いていた。そんな俺の気まぐれ。


 俺は桜汰へ貸そうとして、まだ手のひらに乗ったままになっていた消しゴムのカバーを開け、問い三の答えを書き込む。

 俺も授業はちゃんと聞いていたし、そして桜汰と違って理解していたからだ。


「牧野、消しゴム」

「えっ!? いや、今はそれどころじゃ――、ッ!」

 桜汰もすぐに気付いたのだろう。一緒その二重でくっきりとした……なんか、ポメラニアンみたいな目を真ん丸に見開いたあと、そっと俺から消しゴムを受け取り、どこかおっかなびっくりに消しゴムに書かれた答えを読み上げる。


「正解」

 先生も驚いた顔をしていたが、それと同じくらい桜汰も驚いた顔をしていて、その顔を見た俺は『バレるだろ』と小さく呟いた。


 その程度の、気まぐれなキッカケだったが、何かと人懐っこい桜汰が俺に付きまとうようになり、気付けば俺たちはいつも一緒にいるようになっていた。

 いつの間にかただの友達から親友と呼べるほど親しくなった俺たち。俺自身も、最初は性格の違いから合わないと思っていたのが嘘のように仲良くなり、一緒にいるのが当たり前になった頃。


 俺の桜汰に対する気持ちが変わったのは、中学二年の終わり間近。俺たちの呼び名が『長峰』『牧野』から、『智彰』『桜汰』に変わった冬休み中の出来事だった。


 別に家族不仲というわけではない。ただ父は東京の有名大学の宇宙物理学の教授で、母は大手商社の営業マンだった。家は新築マンションの七階で眺めもよく、お手伝いさんも来てくれるのでいつも出来立ての美味しい食事。何不自由ない生活。

 愛されていると思っているし、当然愛してくれているだろう。


 ただ、ふたりともその仕事ゆえに忙しいだけ。

 出来立ての食事もひとりだと味気なく、誰とも会話せず淡々と食べ、適当な時間にお風呂に入り、あとは自室で就寝まで本を読んだりゲームをしたり。


 だが、ひとりでのゲームも食事同様どこか味気なく、いつか父の大学へ入るために勉強をすることが多くなった。今思えば人に、そして愛情に飢えていたのかもしれない。父のいる大学を目指していたのもそういった理由からだろう。


 私立の中学に入ることも経済的な余裕はあったので可能だったが、地元の公立中学を選んだのは、単純に目標が父の大学のためどこの私立で学んでも関係ないと思ったのだ。

 家にいる時は父に教えを乞えるし、自主勉でも十分、むしろ通学時間がもったいなくすらあるという、少々傲慢な理由である。


(それでも、あの時その選択をしなければ桜汰とは出会えなかったから、過去の自分には感謝だけどな)


 そんな中学二年の冬休み。

 あの日の俺は、いつものように俺の日常を過ごし、そして一日を終えるのだと当たり前のように思っていたのだが、まさかその日の最後があんな風に締めくくられるだなんて思っても見なかったのである。


 そもそも男同士というのはどれたけ親しくても全て一緒、なんてことはなく、その頃には親しい友人としてよく一緒にいるようになった俺と桜汰も部活動は別のものに入っていた。


 桜汰はバスケ部、俺は天文部。バスケ部はまぁ、想像通りの部活だが、天文部はあまりある学校がないので珍しくて入部した――の、だが、その実態は幽霊部員しかいない形だけの部活だった。それはそれで気楽だったのだが、部活動として成立させるためにある程度は成果を出さねばならず、そして誰もやらないので仕方なく俺は冬休みのその日、放課後遅くまでひとりで部室に残り星の観察をしていた。


 天文部というだけあり、部室には天体望遠鏡が一台あったものの、埃をかぶっている。その事実に呆れた俺は、仕方なく掃除から始めることにしたのだが……埃がかぶっているのが天体望遠鏡だけじゃないと気付き、なんとなくの思いつきで桜汰にメッセージを投げた。

 部活動が終わった後にでも気付いて手伝ってくれないかな、という打算である。

 文章は完結に。『ヘルプ 天文部』だ。返事が来なくても俺としてはよかったので、メッセージを送った後はスマホをかろうじて拭いた机に置いて掃除を開始。


 天文部という活動の性質上夕方から学校に来ていた俺は、到着した時点ではまだ明るかった外がだんだん暗くなるのを眺めつつがむしゃらに掃除をしていた。


「てか、どうやって今まで活動記録出してたんだよ」

 実際の活動実績はなさそうだが、流石にゼロだと廃部だろう。だがこの埃のかぶりようを見ると、絶対星なんて眺めてない。


「つまり、適当に偽の活動記録だけつけて顧問に提出してたってことか?」

「え、天文部って顧問とかいんの」

「桜汰!?」

 ひとり言として呟いた疑問に返事がきたことに驚いた俺が振り返ると、ジャージ姿の、しかもマフラーのようにタオルを首に巻いた桜汰が不思議そうな顔で俺を見ていた。


「ヘルプって書いてあったから来たんだけど、なにに困ってんの」

「まじで来たのか……」

「は? 呼んだのお前だろ」

 まさかあのメッセージで本当に駆けつけてくれるとは思わず、純粋な感想が俺の口から飛び出す。その本音を聞いた桜汰はムスッとし唇を尖らせた。


「あー、いや、悪い。まさか本当に来てくれるなんて思わなかったから」

「なんだそれ。来るに決まってんだろ?」

 俺の言葉を聞いた桜汰は、先ほどとは違い今度はきょとんと目を見開いて小首を傾げた。やはりどこかポメラニアンっぽい。


「だって、俺は智彰に助けられてっから!」

「ふは、いつの話だっつの」

 何故かドヤ顔をした桜汰が手で小さな四角を作る。胸の前に掲げたその四角は、どうやら小さな消しゴムのつもりらしい。

(律儀なやつ)

 まさか一年以上前の中学入学当初のことに、いまだに恩義を感じてくれているとは思わず俺が吹き出すと、桜汰も釣られて吹き出していた。


 そんなこんなで助っ人に来てくれた桜汰と掃除を開始した俺だったのだが、想像以上に汚れていた部室のせいで、気付けば外は真っ暗になっていた。だがまぁ、天文部なので外が暗くなるのは悪くない。むしろ掃除も進み、外も暗くなってきたとなれば準備も整ったというものだった、のだが。


「真っ暗だな」

「夜だからな」

「でもこれ、昼間でも真っ暗じゃね?」

「昼はあれだろ。すりガラスみたいな感じじゃね?」

「同感」

 そんな会話をしながらどちらともなくため息を吐く。

(そりゃ幽霊部員にもなるよな)


 天文部に一台しかない天体望遠鏡のレンズに傷が入っており、覗くと星が見えるどころか光が乱反射したり、像がにじんだりしているのだ。星なんて見られたものではない。


「しかもこれ、主レンズの方だろ、傷が入ってるの」

「詳しいな」

「いや、これでも天文部だからな」

 とか言いつつ、実際は取扱説明書で知っただけのにわか知識だが。


「つかこのレンズ、なんか……凄い傷いっぱい入ってねぇ?」

 桜汰が怪訝そうに覗いた先にあるレンズは、確かに何かで擦ったかのような細かい傷が大量に入っていた。おそらく傷を補修しようと磨いた結果逆に傷が大量に入り、更にその傷を誤魔化そうとした結果、主レンズごと交換しなくてはならなくなったということだろう。

 そしてこの現状を他の部員が知っていたなら、この部室には来ない。来たところで見えるものはないからだ。


「アホらし」

 思わずそんな言葉を呟いてしまう。だが、活動記録は提出しなくてはいけないわけで。


「どうするんだ?」

 今度は心配気に俺の顔を覗き込んできた桜汰にくすりと笑った俺は、端に置いておいた鞄から筆記具を取り出した。


「こんな時こそ先人の知恵だろ」

「は?」

 ころころ変わる表情に笑みを溢しつつ、活動報告書を取り出した俺は、当たり障りのないことを記載していく。主にこの季節はどこにどんな星が見える、といった内容だ。そして記載した方角を窓越しに見上げた俺は、『曇っていてあまりうまくみえなかった』と記入した。

(嘘はついてない)

 曇っているのが天気なのか、レンズなのかは書いてないから問題はない。全て事実である。

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