「手伝に来てくれたのに悪かったな」
「ははっ、別に全然いいって! 部活も終わった後だったしな」
先人の知恵ということで、先輩たちに倣い掃除以外の活動はしていないが活動報告をそれっぽく書き上げた俺は、手伝いに来てくれた桜汰への謝罪を口にする。
だが、桜汰がそれを当たり前のように笑い飛ばした。そんな彼に釣られ俺の頬もわずかに緩む。
「じゃあ帰るか。思ったより早く終わったからな、このパンは家で食うわ」
本来の予定ならば今頃は星の観察をし、活動記録を取っていたはずで、こんなに早く部活動が終了すると思っていなかった俺は、行きがけにコンビニで買った袋を桜汰に見せるように振りながらそんなことを口にした。
中はペットボトルのお茶と焼きそばパンである。
「それだけ?」
「俺は桜汰みたいに運動部じゃないしな」
「いや、それでもさ。少なすぎね?」
驚きを顔に滲ませた桜汰を怪訝に思ったが、そこでやっと俺の晩ご飯がこれで全てだと勘違いしていると気付き慌てて両手を顔の前で振った。
「家にはある! これは腹が減ったように買って来ただけで、帰れば冷蔵庫にお手伝いさんが作り置いてくれているおかずとか入ってるから」
「お手伝い、さん?」
言ってからしまった、と思った。これでは金持ちアピールみたいだとそう考えたのだ。
(桜汰とはいい関係でいられてたのに)
小学生の時にうっかり同じことをやらかして、あだ名が某国民的アニメのお坊ちゃんキャラにされた苦い経験が頭を過る。やらかしたな、と思いながら、だがここで変に言い訳したり誤魔化したりしても仕方ない、と腹をくくった俺は、そのまま桜汰の反応を待つことにした。
時間にすればきっと数秒。だが、居心地の悪さからやたらと長く感じ嫌な想像が浮かんだのだが、その結果返ってきた桜汰の反応は俺が想像したどの答えとも違っていた。
「じゃあ、俺ん家来る?」
何をどう解釈したらその返事になるのかわからず唖然とする。
完全にぽかんとして固まった俺には気付かないのか、むしろ段々テンションがあがってきたとでも言うように桜汰は声を弾ませた。
「そうしようぜ! 絶対それがいいって! 俺ん家なら晩飯大皿料理ばっかなんだよ、おかず戦争はおかず大戦争になっちまうけどさ、むしろ楽しくね!?」
「いや、だからそれなんの話……」
「俺と飯食おって話!」
(だからどうしてそうなったんだよ)
訳が分からない。だが、そんな混乱する俺の腕をパッと掴んだ桜汰は、そのままいつもは別れる道をそのまま進みだす。この先は桜汰の家がある方向だった。
「ちょ、桜――」
「今日の晩飯何かなぁ!」
「うっわ、聞いてねぇ」
今すぐ鼻歌でも歌い出しそうな様子に小さくため息を吐いた俺は、そのまま彼の後をついていくことにしたのだった。
そしてそのまま歩き出して約十分。桜汰に手を引かれなくても自発的について行くようになったにも関わらず俺の腕を離さない桜汰に呆れを滲ませながらついたのは、まさに普通の一軒家だった。
玄関には明かりが灯り、扉を開ければ美味しそうな香りが漂う。『ただいま』と声をかければ『おかえり』と返ってくるありふれた、でも手の届かない光景。
(俺の家とは全然違う)
玄関を開けても家の中は真っ暗だし、作り置かれた夕食は全てタッパーに入り冷蔵庫。『ただいま』と口にしてもそれはただ静かな部屋に消えゆくだけで、返事はない。
冬なのに暖かい桜汰の家が、俺の心をツキリと痛ませる。
俺には手に入らないものだった。
そう、思ったのに。
「あら。その子は……」
不思議そうな声にハッとする。慌てて顔をあげると、くりくりとした目元が桜汰にそっくりな女性と、地元の公立高校の制服に身を包んだ女性が奥の扉から顔を覗かせていた。
「あ、長峰智彰と申します。本日は――」
(本日は、なんだ?)
咄嗟に頭を下げながらくりだした挨拶はすぐに行き詰った。今、俺が何故ここにいるのかがわからなかったのだ。だが、そんな俺の挨拶の続きを桜汰が口にする。
「晩飯! 智彰もいいだろ? 家、誰もいないみたいなんだ」
「えっ、そうなの? どうされたのかしら」
「知らない。お手伝いさんって言ってたから、なんか連れてきた」
「えー、金持ちっ子なんだ。うちのご飯とか口に合う?」
「こら、秋奈!」
きゃいきゃいと繰り広げられる会話に呆気にとられていると、秋奈、と呼ばれた女性の後ろから男性が顔を出した。桜汰とは口元が似ているが、眼鏡をかけたその表情はやんちゃに見える桜汰と違い、落ち着いている。
「とりあえず入って貰ったらどうだ? 玄関は寒いだろ」
「そうね、智彰くん、どうぞ」
「いらっしゃぁ~い」
「ほらっ、さっさと行こうぜ」
「お、お邪魔します?」
ズンズンと進む桜汰におっかなびっくりついて行き、洗面所で手を洗った俺は、あっという間に家族四人の食卓に混ざっていた。
大皿料理、と桜汰が言っていたように、机の上には大皿に乗ったおかずが並んでいる。個別に用意されているのは白ご飯とお味噌汁くらいで、小松菜のおひたしすら中ぐらいの器に入れられ食卓の中央に置かれていた。あと、空の器が手元にひとつ。取り皿だろうが、サイズが小さくて唐揚げならふたつくらいしか乗らないだろう。
(この取り皿に全部のおかず乗せるとか絶対無理だな)
そんなことを冷静に考えながら取り皿を見つめていると、どこからか咳払いが聞こえた。
「じゃあ、いただきますするわよ?」
そしてみんなの顔をぐるっと見回した桜汰のお母さんがそう口にすると、全員がこくりと頷く。張り詰めた緊張感に、動揺を隠せない。
そして『いただきます』の合図と共に、凄い勢いで一斉にそれぞれがおかずに手を伸ばす。
取り皿にしては小さめなそれを、あっという間におかずでいっぱいにしたみんなが食べ始めたのを見て、出遅れながらも唐揚げに箸を伸ばした。
戸惑いつつ唐揚げをひとつ、その横にあったおひたしも少し取り、取り皿へ盛る。ちらっと横目で桜汰を盗み見ると、早くも取り皿を空にした彼はそのまま次のおかずを盛り始めた。
どうやら空にしないと次のおかずを取ってはいけないというルールらしい。
一人っ子で、しかもあまり家族と食卓を囲む、なんてしたことがなかった俺はただただ呆気にとられ、桜汰の様子をそのまま窺う。そんな俺の視線には気付かない桜汰が次に箸を伸ばしたのは、カレイだろうか? 大きな魚の煮つけだった。
(あれ、気になってたんだよな)
魚料理はひとり一尾用意されている、というのが常識だった俺からすれば、まさか魚をシェアするだなんて発想外だった。いや、ほっけとか大きな魚ならあり得るのだろうが、鮭の塩焼きなどはひとりにつき一切れが基本だろう。
カレイの煮つけは確かに大きいが、それでも切り分けてひとりずつに分配するという方法もあったはず。というか、全員で食べるにはちょっと小さい気もする。俺という異分子が来たからかとも思ったが、どう見ても四人分にしては少な目だ。
とはいえおかずが少ないのではなく、他になんと生姜焼きもあるので、足りないということはないだろうが、その生姜焼きも、四人分にしては少ない。
(好きな物を少しずつ食べるビュッフェみたいなってことか?)
だが、それにしてはなんだこの家族みんなの勢いは。
確かに戦争、と表現していた桜汰の言葉がしっくりくるようで、俺はただただ圧倒されていた。
穏やかそうな父親さえも、今はどう見ても狩人だ。
結局俺は自分の取り皿に乗せた唐揚げを食べるのを忘れて、その光景をひたすら眺める。大皿の料理はみるみる減っていき、これが家族の食卓というものなのか? なんて混乱した。
(なんか、ドラマとかで見たイメージと違うんだけど)
完全に雰囲気に飲まれ取り残された俺に最初に気付いたのは、意外にも桜汰の姉、秋奈さんだった。
「えー。待ってみんなストップ! ここに食べてない子がいます!」
「ストップ!」
「みんなストップ!」
「えっ、えっ」
秋奈さんの掛け声をそれぞれが復唱し、動きを止める。そして俺の取り皿を見た皆は、今度は顔を見合わせた。
「智彰、これ生姜焼き」
「はい。カレイの煮つけは汁をご飯が吸うと絶品だよ」
「私の唐揚げ一個あげるわ。あ、お箸共有が嫌とか言わないわよね? こちとら花の女子高生よ、プレミアもんだから」
「智彰くん、お味噌汁のおかわりあるからね」
そして呆然としている間にどんどん俺の取り皿と、そしてスペースがないからかご飯茶碗にまでおかずが積み上げられた。
煮汁が絶品、なんて言いながら桜汰が生姜焼きをカレイの上に乗せるので、もう味とおかずの大渋滞である。
完全にこの状況についていけてない俺が顔をあげると、どうしてかみんな笑顔を向けていた。異分子の、俺にだ。
(これが、家族?)
温かくてくすぐったい。決して家族仲は悪くないのに、俺の家ではありえないこの温もりに戸惑いが滲む。
俺が手に入れられない、なんてさっきまで考えていたのに、当たり前のように混ぜられたこの輪が、俺の心を温かくさせた。
どうしてだろう、ツンと鼻の奥が痛い。
「これからいつでも食べに来いよ。大皿だから大丈夫だし」
「……いや、量とか、あんだろ」
どこか得意気に話す桜汰に、ぼそぼそとそう反論する。声は震えていなかっただろうか。
「いいのよ。いつでも食べに来て」
「そうそう。というか桜汰よりずっとイケメンじゃん。イケメンの弟自慢しちゃお」
「よし、父さんももっと働かなくちゃな」
冗談だとわかっている会話。だが、笑い飛ばすその端々に、俺に気を遣わせないようにという気遣いを感じる。
やっぱり俺の声は震えてたのかも?
(それでも、いいか)
彼らの言葉が、どれも宝物に嬉しかったから。
結局、桜汰の家族は俺が乗せられたおかずを食べ終わる前にまた追加のおかずを乗せてきたので、気付けば俺はお腹がはち切れそうなほど苦しくなった。きっと肺にもおかずが詰まっていることだろう。
「こんなに食ったの、初めてかも」
「うは、確かにこんなに余裕のなさそうな智彰はじめてみたかも」
いつもの別れる道まで俺を送るという桜汰と連れ立って歩きながらそんな会話をする。
俺がきたことで、絶対いつもより食べる量は減ったはずの桜汰は、何故か嬉しそうに笑っていた。
「なんで、俺を誘ったんだ?」
それは純粋な疑問だった。俺たちは確かに親しい友達だったけど、それでも、家族の輪に入れることは話が変わる。それなのに当たり前のように混ぜられたことが、ただただ不思議だったのだのだ。
だが桜汰は、俺のその疑問が全く理解できないといったように首を傾げたのだ。
「なんでって……だって智彰だし」
「俺、だから?」
「みっちゃんとか、けーただったら誘わなかったかも?」
うーん、とむしろ自分に疑問を投げるように悩む様子を見せる桜汰に思わず吹き出してしまう。
(俺は、桜汰にとって時別なのか)
あんな小さな消しゴムひとつでこんなに恩義を感じてくれるくらい。自分の内側に、カウントしてくれるくらい、自分が桜汰の中で大きな存在だと思った瞬間、俺の心臓が大きく跳ねる。
この特別が心地よくて。この特別が嬉しくて。
――それは、俺の特別も、桜汰だからだと実感させられた。
手伝ってくれと頼むのも桜汰。それに突然どこかへ連れられても、家族の中に放り込まれても不快じゃなかったのは、相手が桜汰の家族だったからだ。
(いいな)
そんな感情が心の奥底から沸きあがる。それは羨ましいという感情ではなく、桜汰自身に向けた感想だった。
羨ましいのではなく、桜汰自身が、「すごくいい」。
きっとこの時感じた「いい」こそが、〝好き〟だという感情の芽生えた瞬間だったのだろう。
この感情は、高校三年生になった今も色あせることはなく、俺の胸の奥底にくすぶり続けているのだった。