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4.これが、恋人という時間

「おやすみ、かぁ」

 初めて届いた一日の終わりの挨拶。今まではもしメッセージが途切れたら、次に送るキッカケを失いそうで怖くてわざと寝落ちばかりを狙っていた。

 もちろんメッセージなんて学校で顔を合わせるんだからそこでどうせ途切れるのだが、それでも授業中にする、先生の目を盗んだちいさなやりとりは楽しかったし、そうやって積み重ねれば家に帰ったあとでもやりとりが続く。そう思うと、なんとしてもやりとりを伸ばそうとばかり思っていたけれど。


「明日は、起きたらおはようって言ってもいいんだ」

 そんなことを呟き枕に顔を埋める。


「おやすみからのおはようとか! 恋人かよ! 恋人だったわ!」

 じたばたとベッドで手足をばたつかせ、湧き出るにやけのまま不気味な笑いを零した。枕に顔を埋めていたお陰でこのくぐもった笑いが、隣の部屋にいるだろう姉に聞こえなくて本当に良かった。


(俺、智彰の彼氏なのか)

 そして智彰の彼氏が俺。まるで夢みたいな現実に頬をつねると確かに痛かったけれど、その痛みさえも嬉しい。


「くそ、重症か」

 卒業まで約半年。

 それまでは智彰の恋人が俺だという事実が堪らなく嬉しい。例えその先が無かったとしても。

「それまでは、この幸せを満喫して……最後の、思い出にするんだ」


 宇宙物理学の教授である父親を追って東京の大学を志望している智彰と、地元の大学を志望している俺。

 地元からだと、電車で新幹線が出るところまで行ってから、更に新幹線で四時間だ。それに新しい環境になったら、きっと今のように連絡を取り合うこともないだろう。

 智彰が俺のことを忘れるとまでは思わないけれど、それでも、中学入学時から今までずっと一緒だったことを考えると、その時間はかなり減る。


 もちろん俺にだって、新生活はやってくるのだ。いつまでもこの居心地のいい日々のままではいられない。

 だから。


(どうせ疎遠になるなら、この期間を全力で楽しんでやる)

 そう決意して、俺は部屋の電気を消した。

 明日は恋人一日目。今日のメッセージのやりとりは終わったけれど、起きてまた始める権利を俺は持っている。


「うん、いい夢見れそう」

 そんなことを呟きながら、智彰から受けた提案全てが夢のような気すらしつつ、俺は本物の夢の世界へと落ちていったのだった。


 ◇◇◇


「じゃ、行ってきます!」

 高校三年生。流石にもう玄関先まで親が見送りに来てくれるような年ではないものの、それでも玄関から真っ直ぐ廊下を進んだ奥の扉からひょっこり顔を出した母親が軽く手を振った。


「いってらっしゃい、気をつけて――、って。あら。智彰くん、桜汰を迎えにきてくれたの?」

「えっ!?」

 その言葉に驚いた俺が慌てて玄関扉の向こうへと顔を向けると、少し気恥ずかしそうにパッ片手を上げた智彰と目があった。


「おはよ」

「お、おはよう」

(メッセージでも挨拶したけど)

 本物の破壊力といったらない。いや、おはようの挨拶はおやすみの挨拶とは違い、顔を合わせれば口にはする。だが、教室で不特定多数に向けてする挨拶のついでではなく、俺の家の玄関の前でこの挨拶をするとは!


「ふたりとも気をつけていってらっしゃい」

「はーい!」

「いってきます」

 母の言葉に返事をし、ドタバタと慌てたように智彰と並ぶ。そのまま連れだって通学路を歩きだした。


「でも、どうしたんだ? こんな朝から……」

(俺はその、嬉しい、けど)

 しどろもどろにならないよう、さらっとを心がけてそう口にする。だが内心はバクバクとうるさいくらいに心臓が高鳴っていた。


「うん? 忘れたのか? 桜汰は俺の」

「お、俺は、智彰の?」

 言葉の続きを期待する。

 だが、言葉の続きは残念ながら〝恋人〟ではなかった。

「壁だろ」

「……壁、か」

 一瞬がっかりとしかけた俺は、すぐにパッと顔を上げて笑顔を浮かべる。当たり前だ。俺たちの関係はあくまでも利害一致による、偽装の恋人なのだから。


「ま、今日から俺の活躍楽しみにしててくれよ!」

「ははっ、期待してる」

「うわぁ、どうしよ。俺女子たちに呼び出されて、囲まれて、『あんたなんか智彰くんに相応しくないのよ!』とか『身分を考えなさいっ』とか言われるのかな?」

 完全な冗談だ、とでも言うようにわざと伸びをしながらそう口にすると、智彰がハデに吹き出した。まさかそこまでウケてくれるとは思っていたなかったので、俺も釣られて吹き出してしまう。


「み、身分ってなんだよ……くくっ」

「ふはっ、いやほら、定番じゃん? 校舎裏に、なんかどっかのお嬢様から呼び出されるやつ」

「いや全然定番じゃねぇし、しかもそれ流行りの漫画かなんかと混ざってる。ほら、なんかこう転生ものの」

「えー!? んなことねぇって! 転校生とか呼び出されてさ、女子に囲まれてーってやつ」

 そんなことを言いながら、そういやそんな漫画とかって姉が読んでたやつの影響か? なんて考え直す。三歳年上の姉・秋奈が好んで読んでいたのは、確かに智彰の言っていたような異世界転生ものだったかも知れない。


(まぁ、どっちでもいいな)

 転生なんて非現実的なものはないし、あったとしても俺はしたくない。

 だって俺が望んでいるのは、異世界へいって成り上がることでも、ゲームの世界に入り込んでハーレムのようなものを作ることでもなく、智彰の側にいることだから。

(それも卒業までの時間だけだけど)

 ズキリ、と心臓が痛む。この痛みは、知られてはいけないやつだった。


「桜汰?」

 急に黙った俺を心配したのか、眉尻をさげた智彰が俺の顔を覗き込む。この優しさは、友人だから受け取れるものだ。


「な、何でもない。つか、改めて考えたらさ、女子に呼び出されて囲まれる……って、男のロマンじゃないか?」

「は?」

「まぁ呼び出されて囲まれた理由はアレだけど。こう、はたからみればモテてんの、俺……!?」

「あー、ハイハイ。流石、桜汰くんですねぇ」

「おっまえ! 自分がモテるからって! モテるからって!!」

「あはは」

 雑な相づちで俺の話を流す智彰に思い切り噛みつくと、そのまま笑って流される。俺も、智彰に倣ってそのまま笑って会話を流した。


(これでいい)

 この距離感が、俺たちの正解だ。

 そうすればきっと、大学で離れ離れになったとしても、まだ、友達でいられるから。


 胸の奥が、仄暗さを纏って少しだけ重くなる。この気持ちを知られたくはない。


 明日にはもう忘れてしまうような、そんなくだらない会話を交わし、今日という日を大事にする。

 夏休みを終え部活を引退した俺たちにはもう残りの時間はとても少ない。


(智彰の公募制推薦まではあと一ヶ月)

 公募制推薦の結果は十一月の終わりに出るので、智彰が言っていたように、早ければ十二月には智彰の進路――東京行きが決まるだろう。


 対して俺は地元の私立大を受験予定だ。

 共通テストまであと四ヶ月、入試日まで五ヶ月。


 そして、高校の卒業式、俺たちの別れまではあと半年。

(半年で、当たり前ように智彰が隣にいた日常が終わるんだ)

 それは、偽装だとしても俺たちの〝恋人〟という時間が始まり、そして〝別れ〟という明確な終わりまでのカウントダウンのようだった。

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