「壁って、こんなんでいいのかなぁ」
「いいんだよ、十分」
話ながら、チラッと教室周りに視線を向ける。確かに何人かの女子たちは智彰へと視線を向けているようではあったが、それだけだ。
(これ、友達の時と別に何も変わってねぇけど)
俺たちが付き合い出したから遠巻きに見ている、ではなく、どう考えても〝友人同士の邪魔をしてはいけない〟から近付いてこないという状況。これでは正直今までと変わらないだろう。
「でも、言いふらすのもおかしいよなぁ」
「十分って言ったろ。桜汰は俺の側にいてくれるだけでいいんだよ」
「いたっ」
フッと鼻で笑いながら俺の額を軽く小突いた智彰は、再び目の前の紙へと視線を落とす。とりあえずの問題集を開いている俺とは違い、智彰の前には先生に提出するための志望理由書が置かれていた。
(志望動機、か……)
今智彰は、公募制推薦へ向けての志望動機の作成中だ。チラッと見えた内容に、『父』という文字を見つけて慌てて目を反らす。
智彰の父親は東京の大学で、宇宙物理学の教授をしていた。智彰もまた、同じ道を目指しその大学を目指している。
(本人は違うって言うけどさ)
中学の時に天文部に入っていたのも、なんだかんだで星が好きなのも、全部父親の影響だと思う。
まぁ、中学の時の天文部は名ばかりで、天体望遠鏡も壊れていたため、部活動という部分で天体に触れることは諦めたようだけれど。
それでも、高校で帰宅部なのは家で勉強をするためだったし、生徒会に入ったのは――それはまぁイケメンゆえにいつの間にか推薦されていて、しかも投票で生徒会長にさせられたからだったが。でも辞退せず生徒会長をやりきったのも、たまに俺と一緒に人数の足りない陸上部の助っ人で大会に出ていたのも、全部内申点のためだと知っている。
「……絶対、受かるよ」
「それは当然。てか俺が落ちたら誰が受かるんだっつの」
「うっわ、可愛くねぇ! そこは『ありがと』くらい言えってぇ」
「ははっ、んだそれ」
俺の文句をひとしきり笑った智彰は、笑いすぎて涙を滲ませつつ顔を上げる。
「ま、ありがとな」
「最初の『ま』が不要です。最後のだけ言ってくださーい」
「な」
「オイ」
相変わらず俺には小生意気な智彰に釣られて吹き出した俺は、気付けば女子からの視線なんて気にならなくなっていた。
「でも側にいるだけでいいって、本当に役にたってんのかよ」
「たってる……つか、その問三、間違ってる」
「うえぇっ、えぇー?」
「公式前のページに乗ってるからそれでもっかいやってみろって」
「はぁい」
器用に俺の勉強も見ながら智彰が再び志望理由書へと視線を落とす。その時だった。
「……あの、長峰くん」
(きた!)
最近特に声をかけられることが多い、と言っていたように、ひとりの女子が声をかけに来る。三組の子だな、なんて思いながら、俺は智彰へと視線を向けた。
(これ、俺の出番だよな)
緊張からごくりと唾を呑んだ俺は、智彰と彼女の間に割り込むように立ちはだかった。
「えーっと、何?」
「牧野には用はないんだけど」
「ひっでぇ!? って、いやいやいや! 俺側は関係大アリなの!」
さらっと呼び捨てにされたことにダメージを負いつつ、尚も引かない姿勢を見せる。壁として、偽装恋人の役割を果たす時!
そう思い、再び口を開こうとした俺を遮ったのは、他でもない智彰だった。
「ごめん。何かな」
「あっ、その、ここじゃちょっと」
「ここじゃできない話ってなに?」
「え? えぇっと……、その」
「俺、今ちょっと忙しいんだ。恋人と過ごす時間以外は全部推薦に向けて使いたいんだけど」
「「こ、恋人!?」」
(あっ。やべ)
思わずその女子と一緒に驚いてしまい、ジロりと智彰に睨まれる。その視線を明後日の方向を見ながら躱した俺は、気を取りなおしてその女子へと視線を戻した。
「てかさ、もし勉強教えてとかだったら先生に聞く方が絶対早いよ。あ、俺は別なんだけど。そんでさ、もし告白とかだったら智彰の言う通り恋人……つか俺がいるから、諦めて欲しいんだけど」
「はぁ? だから牧野に言われたくないんだけど。マウントうざいっ」
「えっ、えぇえ……」
俺の言葉を聞いた女子が思い切り目を吊り上げてその場を去る。来たときとは違い、ドスドスという音が聞こえてきそうなくらいの勢いで、つい慄いた。
「じ、女子こえぇ」
「お疲れ」
「これは偽装の恋人、欲しいよなぁ」
「あー……、まぁ、な」
「?」
俺の純粋な呟きにどこか歯切れ悪く返した智彰。その様子に首を傾げた俺だったが、ふとある可能性に気付いてハッとした。
「もしかして、恋人が俺って言わない方が良かったのか!?」
同性同士の恋愛は、確かに増えつつ……というより認められつつあるけれど、それでもセンシティブな部分であることは確かだ。それに同性同士だけではなく、誰と付き合っているかを明かしたがらない人だってもちろんいる。
(さっきの様子じゃ、多分俺の言った内容あんまり気にしてなさそうだけど)
だからいい、というわけでもない。
だが、やらかしたか? と焦る俺に気付いた智彰が、小さく吹き出す。
「偽装を隠してどーすんだよ」
「あ、た、確かに!?」
「ふはっ、別にただ、偽装だもんなって思っただけ」
「?」
(どういう意味だ?)
説明してくれたのだろうが、やっぱり俺にはピンとこず、結局智彰が何に引っ掛かったのかわからないままだった。
◇◇◇
「提出してくるから」
そう言って教室から出る智彰を慌てて追う。
「別に教室で待っててくれていいけど」
「壁なんでお供しまぁす」
そんな主張をしながら、本心は一緒にいたいだけだった。
(だって卒業まであと半年だし)
もう終わりが見えてるからこそ、この時間を大事にしたい。
「……受かるといいな」
「桜汰もな」
「俺の方がやばいかー」
「ははっ、そうかも」
自分から言ったがあっさりと肯定されて思わず口をへの字に曲げる。そんな俺の顔を見てふっと笑った智彰が、ぐしゃりと俺の頭を撫でた。
「な、なにす……」
「桜汰は俺が受からせてやるから安心しろって」
調子のってんのか、だとか、自信過剰なやつめ、だとか。言ってやりたい文句はいっぱい思い浮かんだけれど、それでも楽しそうに満面の笑みを浮かべた智彰を見るとどの言葉も口からは出なかった。
「期待、してる」
小さくそれだけ呟いて、智彰から顔を逸らす。じわりと頬が熱い。おそらく赤く染まってしまっただろうこの顔を、智彰には見られたくなかった。
(だってこんなの、友達の距離じゃない)
いや、頭を撫でるくらい友達でもするかもしれない。でもそれは〝冗談〟だ。その〝冗談〟に、こんなガチな反応をするのは絶対にマズイ。
「桜汰?」
だが、そんな俺の心境なんてお構いなしに、不思議そうな声が近付き、顔を覗きこまれる気配に焦る。慌てた俺は、そのまま無理やり智彰の手を掴み、恋人繋ぎをする。
「壁としてのアピール! してみた!」
(って、不自然極まりねぇぇっ)
我ながらあまりにもくだらない、苦しすぎるその言い訳に辟易してしまう。
これはもう失笑間違いなしだと思った俺は、心の中で泣きながら智彰を見上げた。
言い訳は失敗したが、それでも顔が赤い理由は作れたからだ。
(どうせ智彰は呆れた顔してんだろうな)
中学一年生の時からの腐れ縁なのだ。俺に彼女がいたことはないと既に知っているのだから、呆れて失笑を浮かべているとしても不自然には思われないはず。実は俺がずっと智彰に片想いしているという、その部分さえバレなければいい。
だが、そんな俺の予想は外れ、何故か智彰の頬も赤く染まっていることに気付く。
「え? 智彰?」
想定外なその反応に思わず目を見開くと、まるで俺の視界を塞ぐように智彰が左手が目元を覆った。
「へっ!? な、なにっ?」
「右手で右手を繋ぐな、バカ!」
「受験生にバカは禁句――って、あ」
智彰の言葉にハッとする。慌てて手を繋いだせいか、智彰が俺の顔を覗き込むように体を反転させて向き合ってきたせいか、うっかり俺は自分の右手で智彰の右手を握っていたらしい。これではこの右手を支点にしてエンドレス時計回りだ。
(まさか授業までに『支点』なんて言葉を使うことになるとは思わなかったぜ)
「ため息吐きたいの俺の方なんだけど」
「うわっ、わりっ」
自分に自分でつっこみをいれ、やれやれとため息を吐いた俺に智彰が半眼になる。まだじわりと頬が赤いが、確かに男同士、廊下で向かい合って手を繋いでいれば羞恥心も刺激されるだろう。
智彰が赤くなった理由を見つけた俺が慌てて手を離すと、智彰がふっと息を吐いた。
「ほんと、心臓に悪い……」
「何か言ったか?」
「さっさと職員室に行くぞって言った」
「げっ、もうこんな時間か!? 部活も引退したから夕方のアニメ観れると思ったのに!」
「動画サイトで……じゃなくて、勉強しろ、バカ」
「だから受験生にバカは絶対禁句だから! あと、滑るとか、なんかそういうのも!」
手を離した俺たちは、相変わらずのいつも通りな会話をしながら廊下を進む。
もう誰がどう見てもただの友達の距離にしか見えないだろう。
(でもいつもより少しだけ、近いかも)
僅かに肩同士が触れる距離で並んで歩いていることに、きっと俺以外は気付いてないとそう考え、少し寂しくもなりつつ安堵したのだった。