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6.ヤキモチだったら良かったのにな

「入らないのか?」

「あー、うん」

 職員室の前まで来た俺たちは、流石に中までは、と思い首を左右に振った。


「流石にな。こ、恋人でも、家族ではないし」

 一瞬声が裏返ったことを誤魔化そうと軽く咳払いする。まだ『恋人』という単語には慣れそうにはない。


「わかった」

 俺の言葉を聞いた智彰は、俺の声が裏返ったことには触れずに頷く。そのことに安堵しつつ、俺は智彰の背中を押して職員室へ押し込んだ。

 閉まった扉を見つめ、僅かに視線を落とす。自分の心が晴れない理由なんて明白だ。


「東京は……遠いよな」

 そんな当たり前なことを呟き、確実に別れの未来へ進んでいることを改めて実感する。そんな陰鬱とした気持ちを払拭するように、わざとらしいくらい思い切り顔をあげた時だった。


「牧野先輩」

「え?」

 声をかけてきたのはバスケ部の後輩だ。

 とは言っても、男子バスケ部のマネージャーではなく、女子バスケ部の一年生だった。

(そんなに話したことないと思うんだけど)


 思わず首を傾げた俺に、その後輩女子が一歩近付く。そして、頬をじわりと染めた。

(まさか、告白か!?)

 このシチュエーションは何度も見た。主に智彰が呼び出されるのを最前列で。

 だが、その赤らんだ顔を見ても、智彰の顔が赤くなった時とは全然違い俺の心は凪いだままだった。


(っていうか、俺宛じゃねぇか)

 智彰に憧れる後輩や別のクラスの女子から言伝を頼まれたり手紙を託されたり、というシチュエーションは、俺が告白されるパターンとは違い何度も経験済みだ。

 俺はいつものか、と内心思いつつ彼女の言葉を待っていると、意を決したのかその子が口を開く。

 そして告げられたのは、俺の予想とは別の言葉だった。


 ◇◇◇


「重心崩れてるぞ、あと右足が前に出すぎだ」

「牧野せんぱーい、こっちどうっすか」

「次俺も見てください!」

「順番な」


(まさか言伝は言伝でも、コッチだったとは)

 俺の予想通り言伝だったが、智彰宛の言伝を俺が頼まれるのではなく、俺宛の言伝を頼まれただけだったのである。しかも言伝を頼んだ相手は男子バスケ部の後輩たちだ。たまたま職員室へ用事があるという女子に頼んだらしい。


「紛らわしい!」

「えっ、俺何か間違ってますか!?」

「あー。脇があきすぎだ、それじゃ狙い定まんなくてシュート入んねぇぞ」

「うっす」

 どうせ俺にはこんな言伝ばっかだよ、とどこか開き直りつつ、後輩たちのシュート練を見てやる。だが、変にフォームがクセづいているのか、ひとりだけなかなか入らないままだった。


「ったく。ほら、俺が支えてやるから、そのままボール掴んでいろよ」

 仕方なくそいつの後ろから体を支えるように両腕を回し、ボールを構える腕を固定する。


「牧野先輩って、思ったより背が高いんですね」

「はぁー? そりゃ、ついこの間まで中学生のやつと比べられてもなぁ」

 驚いたような声を出した後輩の言葉を、ハイハイと流しながらフォームの調整をしていく。完全に後ろから抱きしめている状態だが、こうしないと仕方ないだろう。


「はっ。これが体に教えるってやつか……?」

「えぇー、気持ち悪いこと言わないでくださいよぉ」

「気持ち悪いだとぉ!?」

「それだったら俺、女の先輩がいいです! 後ろから抱きしめられた時にこう、おっぱいがーとかってロマンじゃないですか」

「よぉし、そこまで言うなら特別に俺の胸をお前の背中に押し付けてやる――」

「桜汰」

 ある意味男子高校生らしい会話と後輩とのじゃれ合いをしていた時、その場に俺の名前が響く。その鋭い、そしていつもより低い声に驚いた俺が慌てて振り向くと、いつの間にかサブコートまで来ていた智彰が苛立ったようにヅカヅカと大股で近付いてきた。そして俺の腕を掴む。


「あれ、どうしてここが……」

「廊下から見えた。俺たち受験までもう時間ねぇんだぞ、わかってんのか」

「え? いや、それはまぁわかってるけど」

「だったら帰るぞ。勉強みてやる約束だし、俺たちは一緒に帰る約束だってしてんだから」

「お、おう」

 正確には帰る約束はしていない。だが、どこか苛立ちを孕んだ声色に呆気にとられた俺は、ただ頷くしかできなかった。


(まぁ、壁と言うか恋人の任務として一緒に帰るつもりだったし、あながち間違いでもないな)

 うんうんと自分の中で答えを見つけ、頷きながら後輩たちに手を振る。後輩たちも唖然とした様子ではあったが、怒ってはいなさそうだったのでほっとした。

 むしろ怒っているのは智彰である。


「えーっと、先生からダメ出しでもされた?」

「バッチリの太鼓判貰った」

「わ、わー、おめでとう! さすが智彰――なら、なんでそんなに機嫌悪いんだ?」

 待っていると思っていた俺が扉の前にいなかったから?

 いや、その程度で怒るようなやつではないし、今までだってトイレだとかジュース買いにだとか自由にしてきた。ならば何に不満を持っているのか、全く心当たりがなくてますます首を傾げてしまう。


 そんなわかっていない俺の気配を察したのか、下駄箱の近くまで俺の腕を引っ張りながら歩いていた智彰が突然足を止めた。


「何、してたんだ?」

「え? なんか後輩たちがシュート練習見て欲しいって言って来たから」

「それで、抱きしめるのか?」

「……え」

 抱きしめるのか、と聞かれ、今度は俺がフリーズする。まさか、これってヤキモチ?

(いやいやいや、ないだろ。だって偽装だぞ? 恋人だけど、偽装の恋人!)


 智彰の言葉を完全に自分に都合のいいような解釈をしかけ、慌ててそんな考えを頭の片隅へ追いやる。だが、そんな俺の混乱を無視し、智彰が掴んでいた俺の腕を離し、そのまま手を繋いできた。しかも俺が失敗した恋人繋ぎである。


「――ッ!」

 ドキッと痛いくらい心臓が跳ね、思わず息を詰める。智彰が何を考えているのかわからず、だがこの手を離したくないとも思った。


「手は、こうやって……右手と左手で繋ぐもんだ」

「お、おう」

「……」

「……」

 微妙な沈黙にいたたまれない。じわりと手汗が滲み、それを気持ち悪いと思われないかが気になった。手汗を誤魔化すような、そして沈黙を破るような話題を探す。このままだと、俺は智彰が本当にヤキモチを妬いているんじゃないかと勘違いしそうだった。


「そっ、そういえば、職員室に女の子入ってきただろ!? その子がその、呼びに来てくれてさぁ、それでその――以上かも!」

「女の子?」

 完全に話題の選択ミスだと項垂れそうになる。

 告白されるのかと勘違いした、は言わない方がいいし、その子からの言伝でさっきの状態になった、なんてことはもっと言わない方がいい。


 すっかり続きの言葉を失った俺だったが、俺の言った女の子に心当たりがなかったのか、一瞬考え込んだ智彰が小さく「あ」と漏らした。


「あー、職員室の中には入ってこなかったけど、女子はいた、な……」

 歯切れの悪い言い方に今度は俺が眉をひそめる。これは、続きを知っている。


「なるほど。職員室の用事じゃなくて、職員室に入っていく智彰への用事だったのか」

(これ、完全に告白されとる!)

 いつものパターンか、と辟易しつつ、壁のはずが完全にディフェンスを抜かれたことに気付きため息を吐いた。モテすぎだ。


「悪かったな、壁になってやれなくて」

「いや。断るくらいは俺がするから桜汰が気にすることじゃない。お前は、ただ俺の側にいてくれたら、それだけでいいから」

「……ん」

(ヤキモチかと思ったけど)


 壁が消えて、再び告白された上に、その間契約相手はバスケ部の後輩と遊んでいたのだ。

 それは確かに不機嫌にもなるだろう。


「繋ぎ方も教えてくれてありがと。いや、これくらいは知ってたけどさ。ほんと、マジで」

「あ、あぁ」

 俺の言葉を合図に、繋がれた手が離される。あれだけ手汗が気になっていたのに、いざ解放されると、さっきまで繋がれていた手が物足りなさを感じたのだった。

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