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7.いつも通りの、初デート

 智彰と偽装の恋人になってから早一か月。まだまだ残暑が厳しい十月の三週目の木曜日は、智彰の推薦入試の日だった。


 公募制推薦は普通の入試ではなく、小論文と面接で決まることが多いらしいが、智彰の目指している大学はかなりの名門ということもあってか、学科試験もあるらしい。

(それでもあれだけ自信満々なんだから凄いよな)

 そして俺も、智彰が落ちるようなイメージだけは全くなかった。


 試験後は学校に寄ると聞いていたので、その日授業を終えた俺もそのまま校内に残り、まるで自分の受験のようにハラハラしながら時計とにらめっこする。


 落ちるとは思えない。落ちるとは思えないけれど――

「緊張してヘマしてねぇといいけど……!」

「してねぇわ」

「うおっ!?」

 ポコン、と空のペットボトルで後頭部を軽く叩かれ、慌てて立ち上がる。目の前には、しっかりやりきったのか、自信あり気に口角を上げた智彰がいた。


「どうだった!?」

「この表情見てわかんねぇ?」

「わかる、けど! 心配はするだろっ」

 思わずムスッとした俺が唇を尖らせると、いつものようにふはっ、と吹き出した智彰に頬をつねられる。


「なにすんだよ」

「別に?」

 だが、力加減がされているので痛くはなかった。それどころか、まるで頬の感触を楽しむようにふにふにと弄んでくるんだからたちが悪い。


(女の子にしろよ)

 男の、それも高三にもなった男子の頬なんて柔らかくもなんともないだろう。それでも楽しそうにしている智彰の意味がわからなかったが、けれど、今日は智彰が頑張った日だから、と俺はされるがままになってやることにした。


 ――本当は、こうやって触れられることが少し嬉しかったのだ。


 ◇◇◇


「じゃあ、今日は帰るか!」

 暫くそのままでいた俺だったが、さすがに段々と恥ずかしくなりそう提案する。

 その言葉を聞いた友彰が、片側だけ口角をあげ、どこか意地悪そうな笑みを浮かべた。コイツのファンの女子たちに見せてやりたいような黒い笑みである。


「残念だけど、桜汰は今から図書館だ」

「は?」

「お前の受験はまだまだだからな」

「えっ!」

 言われた内容は至極全うだったが、今日は友彰の試験が終わった日。俺はともかく、友彰は今日くらい休めばいいのに、と思ったが、何故か楽しそうなので文句は言えず俺はただ頷いた。


(ま、勉強見てくれるって言ってるんだから別にいいか)

 俺としてはありがたいことこの上ない、というやつだったので、大人しく筆記用具だけを手に持つと、友彰が首を振る。


「図書室じゃねぇぞ」

「え?」

「図書館って、言ったんだ」

「えっ」


 確かに俺たちの住む市にも図書館はあるが、正直田舎だからか品揃えはぶっちゃけ多くない。正直、高校生のために用意されている高校の図書室と変わらないレベルで、そして図書館もだろうが図書室にだってクーラーは効いている。

(図書室で十分だと思うんだけど)


 そんな疑問が俺の表情に出ていたのだろう。そのままくるりと俺に背を向けた友彰が、気恥ずかしそうに自身の髪をかき上げた。


「……デート、してないから。道中だけでも、その、下校デートってやつ、しようぜ」

「デッ!?」

 言われた内容が想定外すぎて思わず声が上ずった。その俺の反応に、完全にムスッとしてしまった友彰が、さっきの俺のように唇を尖らせる。


「何。不満なわけ」

「いや、不満っていうか」

「じゃあ何?」

「だって、その。俺って、友彰が公募制推薦に集中するための壁だと思ってたから」


 友彰の推薦入試は今日で終わったし、てっきり偽装の恋人役は今日で終わりだと思っていたのだ。それとも、ちゃんと結果が出るまではこの役目を続けるということなのだろうか?

(俺、まだ友彰の恋人でいてもいいのかな)


「桜汰だって受験なんだから、このままでいいだろ」

「え、じゃあ、俺の受験が終わるまで?」

「……途中で別れたら周りから勘繰られたりするから卒業までで」

 確かに智彰の言うことはもっともで、どうして別れたの、だとか聞かれるのは面倒くさい。

 正直に『女子からのアプローチが面倒だったから』なんて言うわけにもいかず、適当な理由も思い付かないし、定番の遠距離になることを理由にするには付き合いはじめたことにした時期が遅すぎた。


(それに、別れたのに友達としてべったり、ってのも変だしな)

 元々の距離感が近かった俺たちだ。だったら変に別れたことにするより、このままが確かに正解かもしれない。


(卒業までは恋人でいられるのか)

 距離感は友達と一緒でも、自分の恋人が好きな人だという響きはくすぐったく、俺の気持ちを浮上させる。まぁ、〝偽装〟とつく時点で浮かれても仕方ないのだが。


「じゃあ、行こうぜ」

「おう」

「今日からビシバシしごいてやるから大船に乗ったつもりでいろよ」

「あははっ、オッケー、期待してるわ」

 何事にも全て自信満々な智彰に思わず吹き出しつつ、歩き出す彼の隣に駆け寄る。この距離感が許されるのだから、それでいい。


(元々友達としてしか側にいられないと思ってたんだ)

 これが人生のボーナスステージ。そう思いながら、下校デートをスタートしたのだった。



 ――とは言っても、やってることはいつもと何も変わらない。部活を引退してからは基本的に途中まで一緒に帰っていたし、引退する前でも、帰り時間がたまたま同じだった時はこうやって並んで帰っていた。

 他の人から見ても特別珍しい光景でもないだろう。別に恋人になったということを周知する必要はなく、自然と牽制、もしくは智彰が明確に〝断る〟ための理由でいることだけだからだ。


(公募制推薦の準備が、なんて言い訳はもうできないし……結局俺が理由でいればいいってこと、なんだよな?)

 つまり、ただいつも通り過ごせばいい。


 友達というカテゴリーからは外れたが、それは俺にとっては嬉しいことだし、それにすでに彼氏をはじめて一ヶ月。このままあと五ヶ月くらいあっという間だろう。


 ならば特別難しいことではないな、なんて気軽に考えた俺は、好きな人の恋人という地位だけでなく、受験に対する絶対的な味方を得たことにただ機嫌をよくした。 


 まさか、この気楽な考えが全くの見当違いで、実際はかなり難しい役割だっただなんて、この時の俺は全く気付いていなかったのである――……

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