下校デートという名目で図書館で勉強した日以来、智彰からデートに誘われることが多くなった。
とは言っても、デートの内容は全て勉強がメインでついてくるのだが、それでも今まで以上に好きな人と、それも恋人として過ごせるというのは楽しく、心が躍ってしまう。
(まぁ、受験勉強、かなりスパルタなんだけどな)
毎日の復習はもちろん、受験対策のプリントまで自作してくれるのだから文句なんてあるはずもない。正直担任よりも先生をしている図が少し面白くもあるが、それらを作るのもかなり時間がかかるだろう。
もしかしたら睡眠時間も削っているかもしれない。
「緊張、かな」
智彰はいつも自信満々だし、俺のためにと頑張ってくれているのももちろん本心からだろうが、ここまで教える側である智彰が追い詰められている理由はひとつ。
今週の金曜日が、智彰の受けた公募制推薦の結果発表日だからである。
こんな時、もし本当の恋人なら側にいて支えるのだろう。自覚・無自覚関係なく、不安が晴らせないなら一緒に抱えることだってできる。
(でも、俺は偽装の恋人なんだよな)
智彰が結果発表間近という緊張や不安から、いつもの冷静さを失っていることは気付いているのに、理由なく側にいる権利がない。そのことに頭を悩ませながら、教室で智彰を待つ。
生徒会の引継ぎで確認があるとかで急遽呼ばれた智彰を、今日もどこかで勉強する予定になっていたからだ。
「つか、今頃なんの引継ぎだっつの」
この時間も、折角智彰があんなに頑張って協力してくれているのだから、ただ待っているのではなく自主勉のひとつでもしておけばいいのに智彰のことが気になって手につかない。一向にノートの上に何かを書くことなく、シャーペンをくるくると回しながら真っ白なノートに影を落としながら、俺はそんなことを呟いた。
「智彰、疲れてそうなのにな……」
生徒会も、部活の引退と同じく夏までの任期で後輩に引き継いでいるはず。今日はもう十一月、引継ぎが終わってもう二か月以上たつのに一体何があったんだろう、おいうところまで考えた俺は、ふとあることに気付き、ガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
「告白!」
いくら智彰が推薦狙いでもう終わっているのだとしても、絶賛受験の追い込み中のこの時期に今更の引継ぎや確認があるはずがない。
あったとしても、その場で確認を取って終わりくらいの簡単なものだろう。
(だって、少なくとも二か月は今の生徒会メンバーでやれてんだから!)
そのことを察し、慌てて教室を飛び出す。もちろん目的地は生徒会室だ。
もうすぐ推薦入試の結果が出るというこの繊細な時期に、億劫だと言って男の恋人を偽装するほどだったのだ。
そして俺は、色んなアプローチに辟易としている智彰の側で守ってやるはずだったのに!
生徒会室は同じ階だが隣の棟にあるので、渡り廊下を通らなければならない。その渡り廊下を目指し、放課後は人通りが少ないことをいいことに全力ダッシュしていた俺は、窓ガラス越しに智彰が渡り廊下を歩いていることに気が付いた。
「智彰!」
「……えっ、桜汰?」
俺が駆け込んできたのを見てその切れ長の目を僅かに見開く。顔色は相変わらずあまりよくはない。
「大丈夫、だったか?」
「え? もしかして心配して来てくれたのか?」
ふふ、と苦笑を漏らす智彰は、まるで何事もなかったように振る舞っている。だが、それでも六年近くも一緒にいたのだ、無理をしているかどうかなんて俺には一目瞭然だ。
(そもそも、俺がいつもどれだけ必死にお前のことを見てきたと思ってんだよ)
「当たり前だろ」
ハッキリ断言すると、また驚いたように智彰が目を軽く見開き、そして柔らかく目を細めた。
(断るって、すごい疲れるにきまってる)
俺に経験があるわけではないが、人ひとりの想いをぶつけられ、そしてそれを拒絶するのだ。それがどれだけしんどいことなのか、俺でもそれくらいのことはわかる。
本当なら俺が、せめて推薦入試の結果がわかるまでだけでも壁になってやらなきゃいけなかったのに。そう思うと自分の不甲斐なさがやるせなくて歯噛みした。
「……帰ろうぜ」
ぼそりとそれだけ呟き、智彰の服の袖を引く。
早く誰もいないところに行かせてやりたい。ひとりにしてやる方がいいのかもしれないが、この少し不安定でいつもの智彰らしくない彼をひとりにするのも不安で――何より俺が、側にいてやりたくて。
いつもはこのあと図書館やファーストフード店へ行くことが多かったが、今日は別の場所を指定することにした。
「智彰の家、行ってもいいか」
付き合い出してはじめての、彼氏の家の訪問、というやつである。
◇◇◇
「う、うわぁ! 何回来ても広いな、この、げ、玄関ホール! エレベーターも二基あるのか、わぁ、すっげぇ!)
完全に浮いている。初めて都会に出てきた田舎者か、なんて自分にツッコみながらも止められないのは、これが俗にいう『まだ、帰りたくないの』状態だということに気付いてしまったからだった。
(なんか、大胆なことしちまったよな!?)
別に下心があったわけではない。
ただ智彰の側にいてやりたかっただけで、別に恋人らしい何かをしたくて誘ったわけじゃないし家までおしかけたわけでもない。
というかそもそも俺たちはただの偽装カップルで、周りの目もないふたりきりの時まで恋人を装う必要はないのだから、いままで通りの〝友達〟として訪問すればいいだけの話だ。
「それなのに、なんか照れくさい~~~!」
「なんだそりゃ。今までだって来たことあっただろ」
俺の心の嘆きを聞いた智彰が、くつくつと笑みを溢しながらエレベーターのボタンを押す。他の誰かと被らなかったからか、智彰の住む七階までは止まることなくあっさりと目的階に到着した。
当たり前のように鍵を取り出し、部屋へと入る智彰に続いて玄関へと入る。
「お邪魔します」
そんな俺の声に、返事する人は相変わらずいない。
親子仲が悪いとは聞いていない、というかむしろいい方だとすら聞いているが、とにかくご両親が忙しいのだ。
東京の大学で教授をしている智彰の父親は、月に一回どこかの週末で帰ってくるだけだし、母親もバリバリのキャリアーウーマンとして色んな場所を飛び回り残業もしているという。お手伝いさんがいるとはいえ、一人っ子の智彰は、そんな環境でずっと独りでいたのだ。
(そりゃ、誰かに頼るのも苦手だよな)
単純に智彰がなんでもできるタイプだから、というのもあるだろうが、それは逆に言えばひとりでやらざるをえなかったとも言う。
そう思うと、胸の奥が締め付けられた。
「飲み物、お茶でいいか?」
「おう」
「他に炭酸もあるけど」
「サイダー?」
「炭酸入れる機械あるんだよね」
「それ、芸能人以外で普段使いしてる人、いたんだ……」
智彰の言葉に絶句しつつ、リビングの入り口で待っていると、これが育ちの良さなのか、トレイにペットボトルのお茶と、ガラスコップを二個乗せて戻ってくる。
(俺なら小脇にペットボトル抱えてるな)
そんなことに感心しつつ、智彰の部屋へと足を踏み入れた。
「相変わらず綺麗な部屋だな」
「そうか?」
「整理整頓されてるわ、俺とも姉ちゃんとも違う」
「秋奈さんも桜汰と同じタイプなんだ」
俺の家に何度も遊びに来た関係で、すっかり姉を名前で呼ぶようになった智彰に少しムッとしつつ、部屋を見回す。
本棚の一角には相変わらず天体の本や図鑑が並び、机の端には小さな地球儀のようなものが置いてある。初めて来たときはあれは地球儀なのかと思っていたが、今では地球を中心とした星座や恒星の位置を描いた天球儀だということをもう知っていた。
他にも、俺との写真がコルクボードに貼られていたり、一緒に陸上部の大会に出た時の参加証なんかもおいてある。
まるでどこか外国の少年の部屋のように洗練された部屋だが、ところどころに智彰がしっかりといる、俺はこの部屋が大好きだった。