三日間の昏迷のあと、目を覚ました時、私は病院のベッドの上にいた。
点滴の針が刺さった腕に視線を落とし、次の瞬間、反射的にお腹に手で触る。
……空っぽだ。赤ちゃんは、いない。
だから、あれは夢なんかではなかった。
私は慌てて体を起こし、周囲を見回す。
「私の子は? 私の赤ちゃんはどこ!?」
「死にたいのか? あなた、大量出血で死にかけてたのよ!」
入ってきた医者が厳しい口調で言った。
「先生……赤ちゃん……私の赤ちゃんは? 助けてくれたんですよね? どこにいるの?生きているの?」
私は目の前の見知らぬ医師の白衣を掴んで、必死に懇願する。
その医師は五十代くらいの女性で、マスク越しに覗く目は冷静で厳しい。
「……あなたの赤ちゃんは、生まれた時にはすでに息をしていなかった。今は、まず自分の体を大事にしなさい。」
「違う! あの子は生きてた……笑ってくれたのに……お願い、会わせて……一目でいいから……!」
すぐに腕に鎮静剤を注射され、私は涙を流し、意識はゆっくりと暗闇に沈んでいった。
三日後。
私はまだ、娘を失った悲しみから抜け出せずにいた。でも、生きなければならない。
まだ、息子がいるから。
看護師が自分のスマホを差し出してきた。
「運ばれてきた時は何も持ってなかったから、治療費も坂口教授が払ってくれましたので、ご家族にご連絡して返してください。」
私はスマホを受け取りながら、心の中で連絡先を探した。
お母さんは亡くなった。父は私が駆け落ちしたことで私を勘当した。
真司は、電話にすら出てくれない。
唯一の親友、佐倉凛音とも、天宮雪奈のせいで絶交した。
すべての人に見捨てられたみたいだ。
でも、最後に私は凛音に電話をかけた。
三十分後
凛音は息を切らせながら病室に駆け込んできた。
何も聞かずに、すべての入院費を払い終え、私の手を強く握って、涙を止めなかった。
「あなた、玉の輿に乗って、旦那さんに愛されて、可愛い息子もできたんじゃない……どうしてこんなボロボロになってるのよ……!?」
私は「ごめんなさい」と言いたかったけれど、一言も出てこなかった。
代わりに、止めどなく涙があふれた。
一週間後、私は退院した。
夫婦喧嘩して家を飛び出したと説明し、本当のことは、凛音には言えなかった。
彼女を巻き込みたくなかった。
一ヶ月後、体はようやく回復した。
私も、そろそろ家に戻らないと。
法律上、私はまだ真司の妻なのだから!
凛音の家を出て、タクシーで久しぶりの家へ戻った。
港の別荘
別荘の大きな扉を押し開けた瞬間、中から聞き慣れた女の声が聞こえてきた。
「真司、私のためにわざわざ料理してくれてありがとう。今まで食べた中で、一番美味しかったよ!」
……天宮雪奈!?
私の家にいるなんて、しかも、真司が彼女のために料理まで?
かつて、私は真司のために料理教室に通い、毎日違うメニューで、彼の好みに合わせて料理を作っていた。
でも、彼は一度も褒めてくれなく、見下ろし続けた。
私の突然の登場に、二人とも驚いた様子だった。
真司の顔に浮かんでいた優しい笑みは、私を見た瞬間に凍りついた。
「真司、ただいま!」
私は彼の前に歩み寄って、懸命に笑顔を作りながら言った。
だが、返ってきたのは鋭く冷たい視線。
まるで、目の前の私は仇敵ででもあるかのように。
「まだ死んでなかったのか?」
彼の声は、氷のように冷え切っていた。
私は込み上げてくる感情を抑えた。
「私は死ななかった。でも、私たちの娘は死んだ。」
まだ希望を抱いていた、少しでも動揺してほしかった。
……ほんの少しでも、悲しんでくれたら。
それだけでよかったのに——!
「あんな私生児、死んで当然だ!」
真司は鼻で笑いった。
「違う! あの子はあなたの娘よ、真司! 娘はちゃんと生まれたの。信じられないなら、DNA鑑定をして!」
私は感情を抑えきれず、声が震え始めた。
「……何だと?」
意外だったように、真司は少しだけ目を見開き、私の方を見た。
「お姉ちゃん……でたらめの事を言わないで、真司また怒るじゃない?DNA鑑定、もうとっくにしたでしょ? 忘れたの?」
雪奈がすぐに私の言葉を遮るように割り込んできた。
そうだ、思い出した。
妊娠中、彼は私に何も言わず、羊水からDNA鑑定を依頼していた。
でも……その結果は、私は見せてもらえなかった。
私は怒りに任せて、雪奈の頬を思い切り叩いた。
「やっぱりあんたね! 鑑定結果をすり替えたのは!あの子は真司の娘よ、真司の血を引いてるのよ!!」
私は雪奈に飛びかかり、感情のままに殴りかかった、お母さんと娘の仇を打ち返すように。
だが、雪奈は全く手を出さなかった。それどころか、弱々しく言い訳を繰り返す。
「違うよ……お姉ちゃん、私、そんなことしてないの……」
そして泣きながら、真司に助けを求めた。
「真司、早く説明して……」
最後、私は真司に突き飛ばされ、床に叩きつけられた。
見上げた先で、彼瞳の底に不安の色が見えた。
もちろん、私ではなく、天宮雪奈を心配していた。
「天宮雪乃、もういい加減にしろ!」
彼は怒りに満ちた目で私を睨みつけた。
私はゆっくりと起き上がった。
「……私の娘が死んだのよ。それでも、もういい加減にしろって言うとは……」
私はふっと笑みを浮かべて、黙ってキッチンへと向かった。
もう、我慢の限界だった。
私は包丁立てから一番鋭いナイフを抜き取り、彼女を殺す。
私はもう、狂っていた!
ナイフを振りかざして突進してくるのを見て、天宮雪奈は顔色を真っ青にし、真司の背中に隠れていた。
「天宮雪奈! 娘の命を返してもらいなさい!!」
ナイフを振りかざして叫んだその瞬間、腕を誰かに掴まれ、ナイフはもぎ取られ、私は再び突き飛ばされ、額がテーブルの角にぶつかった。
けれど、この程度の痛み、もう感じない。
難産の痛み、娘を亡くした痛み。
そんなものに比べれば、この程度はどうということはなかった。
私は顔を上げ、血が額からじわじわと流れる中で、真司を見上げた。
「真司、あの子はあなたの子!。本当なの。信じて!」
震える指先で、真司の胸元に隠れる天宮雪奈を指差す。
「全部、あの女の仕業よ!彼女は私に嫉妬してたの。あなたと結ばれなかったことを後悔して……だから、私を陥れるために、罠を仕掛けたの!」
真司は眉毛をひそめて、私を見つめいた。
突然、天宮雪奈が私のそばに駆け寄り、しゃがみ込み、私の手を握ってきた。
「お姉ちゃん……どうしちゃったの? どうして私をそんなふうに言うの?忘れたの? 真司を譲ったのは、私だったよ?」
彼女はまるで何も知らないかのように、無垢で無害な顔をしていた。
「……確かに、私は昔、真司のことが好きだった。それは、お姉ちゃんにも言った。でも、お姉ちゃんが「真司がいないと生きていけない」って泣いたから……お姉ちゃんは私のたった一人の姉だもん。だから、私は身を引いて、ずっと……我慢してきたのに……どうして、今になってそんなこと言うの?」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、彼女は絞り出すように言った。
「……お姉ちゃん、私……悲しいよ……」
この顔、この言葉。
綺麗な顔で、嘘を塗り固めて、全てを自分の都合の良いようにすり替えていく。
私はその首に手をかけた。
殺してやる!
あの夜、彼女が薬を仕込まなければ、私は真司と肉体関係を持つはずがなかった。その後、私が駆け落ちを選んだのも、全て彼女の策略!
その時、私の腹に強烈な痛みが走った。
真司が思い切り私の腹を蹴ったのだ。
私は呼吸が止まりそうになるほどの痛みに襲われ、思わず手を離した。
真司は雪奈を抱き寄せ、優しく彼女の背中を撫でていた。
「天宮雪乃……大人しくしろ。さもないと、容赦しない!」
その拳は今にも私に振り下ろされそうなほど、青筋を立てている。
雪奈はその腕の中で震えながら泣いていた。
「お姉ちゃん、どうしたの?まさか……精神障害? 真司、彼女を病院に連れて行った方がいいかな?」
真司は怒りで顔が真っ青だった。
「放っておけ!」
彼は雪奈を抱いたまま部屋を出た。
私はしばらくその場に座り込んで動けなかった、ようやく身体を引きずって階段を上がり、息子の蒼汰の部屋へ向かった。
……けれど、蒼汰は部屋にいない。
私は別荘の隅々まで必死に探した。でも、どこにも蒼汰はいない。
私の息子は……どこ?
まさか、彼たちに殺されたの?