崖っぷちに立ち。七月だというのに冷たい風が骨を刺す。
「どうやって信じるというの?」
私が問い詰めると、彼女は笑った。
「お姉ちゃん、他に選択肢なんてないでしょう?」
そう、私には選択肢などない。
凛音には申し訳ない。彼女はいつも私を想ってくれていた。最後、私のせいで死なせるわけにはいかない。
でも、本当に悔しい。
そしてよく分かっていた。私は彼女には敵わない。
真司だだけではない。彼女には天宮家という強い後ろ盾もある。
もう諦めた。この命で凛音を救えるのなら、それでもいい。
「天宮雪奈、もし約束を破ったら、鬼になっても許さない」
彼女は笑顔をおさめ、真剣にうなずいた。
「お姉ちゃん、安心してください。絶対に約束をお守ります」
私は振り返り、目下に広がる断崖絶壁を前に、息を深く吸い込む。
何度も訪れたこの場所が、まさか私の最期を迎える場所になるとは。
「ママ!」
飛び降りようとしたその瞬間、蒼汰の声が聞こえた。私は慌てて足を止め、振り返る。
間違いなく蒼汰だ。どこからか飛び出してきた彼は天宮雪奈にまっすぐ駆け寄り、彼女の脚を掴んだ。
胸が締めつけられた。あの「ママ」は私を呼んでいたのかと一瞬思った。
ところが彼は顔を上げ、私を見て叫んだ。
「ママ、早く逃げて! 早く!」
私は呆然とした、今のは確かに私のことを呼んでいる!
天宮雪奈は蒼汰を振りほどこうとした。
「この小僧、放せ!」
「この悪者!ママを殺すなんて、許せない! 絶対に許せない!」
蒼汰は服の中から小さなナイフを取り出し、天宮雪奈に突き刺した。
天宮雪奈が悲鳴をあげ、蒼汰を蹴り飛ばした。
私はすでに反応して、蒼汰を抱きしめた。
「蒼汰、大丈夫?どこ怪我した?どうしてここに?」
あまりにも突然すぎて、自分が何を言っているのかも混乱し、頭が追いつかない。
蒼汰は必死に私を押しのけた。
「ママ、早く行って!ここから離れて、二度と戻ってこないで!」
「ママが連れて行く!」
蒼汰を抱きかかえて立ちがると、周りはすでにボディーガードに囲まれていた。
天宮雪奈の脚は蒼汰に刺され、血が流れていた。彼女の目に狂気が宿っている。
「今日ここにいる者、誰一人逃がすな。まずこの小僧を崖から投げろ落とせ!」
天宮雪奈は蒼汰を指差して命じた。
ボディーガードが蒼汰を奪おうと手を出し、私は必死に子供を抱きしめ、全身で守っていた。
だが、何人ものボディーガードを前に、息子を守りきれるはずがない!
私はただ、彼らが蒼汰を私の腕から引き離すのを見つめ、心が引き裂かれるような悲鳴をあげた。
「約束する、私が死ぬ。お願いだから、息子だけは……」
「投げ落とせ!」
天宮雪奈は冷血な畜生のように命じた。
「天宮雪奈! 蒼汰に何かあれば、真司だって容赦しない!」
二人のボディーガードに押さえつけられ跪く中、私は叫んだ。
彼女は振り返り、私を嘲笑った。
「真司は誰よりも私を愛しているから、きっと責めたりはしないわ」
蒼汰が泣き叫びながら私を見つめる。
「ママ、大好きだよ。早く逃げて、ママ!」
その瞬間、私は完全に崩れた。
蒼汰は昔から役者になりたがって、家でよく一緒に役者ごっこをした。彼は本当に才能があって、三秒で涙を浮かび、次はすぐに笑顔を見せる……
なぜ気づかなかったんだろう。あの日、蒼汰は芝居をしていた、私に迷惑をかけないように、自由になれるように……!
絶望の中、突然パトカーのサイレンの音がはっきりと聞こえた。
天宮雪奈は明らかに動揺し、慌ててボディーガードを急かしながらその場から逃げ去った。
ボディーガードはまだ崖ぷっちに着いてない、そのまま斜面から蒼汰を投げ捨てた。
私は斜面を滑り降り、蒼汰を見つけた。彼は全身血まみれで、すでに意識を失った。
病院
蒼汰は病院に運ばれたが、救急室に入って二時間を経てもなお、命の危機から脱していない。
私はバカみたいに救急室の前で跪き、神々に祈り続けた。どうか蒼汰を助けてくださいと。
同時に、自責の無限ループに苛まれた。どうして息子が私を捨てるなんて信じられたのだろう?
私は力いっぱい自分の頬を何度も叩いた。
後悔の気持ちが胸が張り裂けそうだった。
後にわかった、蒼汰の怪我は浅かった。彼を危機に陥れたのは腎不全だった。
片方の腎臓は手術で取り除かれ、もう片方もすぐに機能停止するため、移植が必要だという。
私は呆然とした。蒼汰はこれまで健康にいた。
しかし、医師の説明によれば、長期間にわたる過剰な薬物摂取が腎不全を引き起こしたという。
なるほど、天宮雪奈はとっくに蒼汰を狙っていた!彼女が買ってきた栄養剤に腎不全を引き起こす薬を混入し、毎日私に飲ませるよう指示していた。私は愚かにも毎日、自らの手で息子に毒を盛っていた。
自責と後悔の念に溺れそうに、私は崩壊寸前だった。
必死で感情を抑え、腎臓移植の適格性検査を受けた。
病室に移った時、蒼汰は目を覚まし、弱々しく私の手を握りしめた。
「妹がいなくなっていたのを知っていた。ママ、きっとすごく悲しいよね」
私は涙が止まらず、声を震わせて答えた。
「ママにはまだ蒼汰がいる!」
彼は首を振った。
「ママ、パパはママのこと、もう愛してないよ。天宮雪奈を愛してるんだ。あの人は悪者、ママを殺そうとしてる。だらママ、早く逃げて、あの悪者に見つかれないで」
私は彼を強く抱きしめた。
「ママはどこにも行かない。蒼汰とずっと一緒にいるから。約束する、あの女が欲しがるものは全部譲る。蒼汰が良くなったら、一緒にここを離れて、静かで綺麗な場所で新しい生活を始めよう!」
蒼汰の目が輝いた。
「本当にそんな日が来るの?」
「来るよ。絶対に来る!」
息子のためにもしっかりして、強くならねばならない。
私は大金を払って凛音に弁護士を付け、何とか無罪を勝ち取れればと願って。
ほどなくして、適格性検査の結果が出た。
私の腎臓は適格しなかった。
その日のうちに病院から危篤の知らせを受けた。これ以上適格した腎臓が見つかるのを待っても、蒼汰の体では手術に耐えられないだろう。
私はすぐに真司に電話し、彼は即座に引き受けた。
医師によれば、蒼汰は父親と同じ血液型で、適合の確率は非常に高いという。
これほど真司の姿を待ち焦がれたことはなかった。夜になって、ようやく彼は現れた。
適格性検査を終え、蒼汰を見舞いに病室へ来た真司だったが、座る間もなく天宮雪奈からの電話で呼び戻された。
私は眠れず、適格性検査の結果が出るのを待っていた。
翌朝、真司が現れると私はすぐに立ち上がった。
「結果はどう? いける?」
彼は私の頬を叩いた、そして一検査結果を顔に叩きつけて怒鳴った。
「このゲス女! こいつすら俺の子じゃなかったか!」
その紙を拾い上げると、適格しないどころか、親子の血液型すら違う。
「そんなはずはない、蒼汰はあなたの子供よ!きっと天宮雪奈の仕業、そう、絶対に彼女が……!」
真司は私のえりを掴みあげた。
「その雑種が雪奈を傷つけたくせに、よくも彼女の悪口を言うとは!瀕死の様子でなければ、今すぐ始末してやった!」
そう言い残すと、彼はドアを蹴破って離れた。
追いかけてもう一度検査を懇願したが、彼は全く取り合わなかった。
その後、あらゆる手を尽くしても彼に会うことは叶わなかった。
三日後、病院から危篤の知らせを受けた。
蒼汰はすでに意識不明に陥った。今さら腎臓が見つかっても、もう間に合わない。
私は蒼汰を連れて病院を出ると、彼を生まれ育った家へ戻った。
夜明け前、蒼汰は永遠にこの世を去った。
私は一日中彼を抱きしめ続け、その夜、一生分の涙を流した。
蒼汰と妹を同じ場所に眠らせると、私は静かに大金で凛音を釈放に使った。
裁判の日、私は傍聴席にいた。凛音は無実であり、冤罪が認められてその場で釈放された。
しかし、彼女の足は永遠に不自由になった。
私は彼女に気づかれぬよう、出所の際に迎えにも行かなかった。
代わりに、最も鋭いナイフを一買って、黒巣山のてっぺんに身を隠した。
氷室真司と天宮雪奈は今日、ここで結婚写真を撮る予定。そして、天宮雪奈はすでに父を説得し、私を永遠に精神科の病院へ閉じ込める準備を整えたことも知っていた。
つまり、今日が最後の復讐の機会。
この家畜以下の夫婦を殺す。
ついに彼らが現れた。一人はスーツ、もう一人は真っ白なウェディングドレスを着ていた。
崖ぷっちに立ったその瞬間、私はナイフを手に飛び出した。
最初の一刀は真司へ向けた。私たちの子を死に追いやった男は、死ぬべきだ!
不意を突かれた真司は、心臓を狙った一撃をかわし、私は彼の腹からナイフを引き抜くと、振り返って天宮雪奈を刺す。
天宮雪奈はすでに慌てて逃げ出し、ボディーガードが一斉に押し寄せて私を囲めた。
もうチャンスがないと悟い、私は真司を嘲笑った。
「見なさい、氷室真司!あの女はもう逃げたよ!」
お前があれほど愛した女は、危機が迫れば真っ先に逃げ出すんだ!
「捕まえろ!」
出血中の腹を押さえながら、彼は命じた。
ボディーガードが一気にかかり。
私は後ろに下げ、崖から飛び降りた……
呪ってやる、氷室真司の死を、呪ってやる!
死ななくとも構わない。私はもう一つの道を用意してある。
本当にこの男の運がいい!
私の死後一ヶ月、真司のもとに私からの手紙が届いた。
そこにはある遺体を冷凍保存する会社の名前が記されていた。彼が手紙の指示通りに冷凍庫を開けると、見えたのは二体の遺体。
私の息子と娘。
手紙にはただ一言、書き記されていた。「あなたは自らの手で、自分の子どもを殺した。」
彼はDNA鑑定を行った。
結果が届いたその日、彼は完全に狂った。
地面に跪き、爪が剥がれるほど地面を叩きながら、狂ったように泣き叫んだ。
「天宮雪乃!戻れ!」