もうごまかせないと悟り、私はマスクを外し、堂々と氷室真司を見つめた。
彼は驚きと喜びの入り混じった目で私を見返す。
「行こう!」
そう言って、彼は私の手を取って車に乗せた。
車はとある茶屋の前で停まった。
個室で向かい合って座り、彼は私をじっと見つめた。
「汐里さんはお金に困ってるのか?」
私は笑いながら返す。
「この世にお金が必要ない人なんてないと思いますが?」
彼は少し不思議そうな顔をする。
「でも、君がお金に困るはずないだろう?」
相沢家は裕福だし、氷室将人は尚更言うまでもない。
今の私の立場で金に困っていると思う人はいないでしょう。
私はにっこりと笑った。
「実は、結構困ってるの」
どうせ信じてもらえないだろうけど。
「この前、両親を怒らせちゃって、カード全部取り上げられたの。しかも……私、結構お金を使う人だから、自分で稼ぐしかなくて」
私は明るく説明した。
「兄貴は何も言わないのか?」
彼は微笑んだ。
お湯が沸き、私は茶壺を手にお茶を入れる。
「彼は気前がいいよ。でも私は自分で稼ぎたい、それにまだ結婚してないわよ!」
茶壺を置きながら続ける。
「仮に結婚しても、私は経済的に自立していたいの!」
氷室真司はふっと笑った。
「せっかく頼れる相手がいるのに、もったいないと思わないのか?大勢の女性が夢にでも見たことなんだが」
私は淹れたお茶を彼の前に差し出す。
「他の人にとっては夢でも、私にとっては違うの」
氷室真司はお茶を手に取り、香りを楽しんでから一口飲む。
「汐里さんの考え、もう少し聞かせてよ」
私もお茶を一口飲み、カップを静かに置いた。
「私が求めているのは、自由と自分らしさ。それに、誇りを持って生きること。他人に頼る生活じゃ、自由も尊厳も手に入らないと思う」
私は彼の目と真剣に見つめ合う。
「誰かのおまけにはなりたくない。私は独立した存在でいたいの。人間としても、経済的にも。そうすれば、自分の好きなことを思いきりできるし、生活のために誰かに頼る必要もないから」
この言葉は、今の私への願いであり、過去の自分への語りかけでもある。
氷室真司は予想外だったでしょう、少し驚いた表情を表した。
上層社会では、多くの女性が男性の付属品として扱われる。家に飾られるだけの存在や、政略結婚の道具として生きる人も少なくはない。
多くのお嬢様や芸能人の夢は、財閥に嫁いで、上流社会の仲間入りを果たすこと。
かつての氷室真司からも、彼や彼の周囲の人がこの価値観に慣れきっていることが分かっている。
だから彼の中で、かつての私はただのおまけだったでしょう。
「兄貴は、君のこういった考えを知ってるのか?」
私は少し焦った。
「もちろん知らないよ。絶対に言わないで!もしバレたら、両親と合わせて私を連れ戻そうとするから」
氷室真司は私の慌てた顔に笑みを見せた。
「大丈夫、教えないから」
私はほっとして、お茶をゆっくり味わった。
「約束だからね……」
しばらく考えた後、ふと思いついた。
「ドラマで見たけど、ここでは指切りで約束するんでしょ?私たちもやりましょう?」
私は彼を見つめ、小指を差し出した。
本来、こした行為は今の私たちの立場からすれば少し失礼かもしれない。
でも、海外で育った私だと、これが理屈に合うと感じられた。
だが、氷室真司は意外にも小指を差し出さず、ただ笑いながら私を見る。
「どの青春ドラマを見てきたんだよ、それは子供の遊びだろう?」
私は一生懸命な目で訴える。
「でも誓約書を書かせる訳にもいかないし……このくらいの約束でいいでしょ?え、それとも約束を破るつもりなの?」
彼は私の真剣な表情を見て、柔らかな目つきになる。
私は小指をくいっと動かす。
彼は仕方なさそうに笑い、最後には小指を私の小指に絡めた。
私はやっと満足した。
「真司さん、ありがとう!」
氷室真司は手を離したが、それでも小指の先がじんわりとしびれるようだった。
彼の中で、彼女への印象が徐々に変わりつつある。
初めて会ったとき、彼は私を天宮雪乃と勘違いしていた。
その後も、外国のコネを使って彼女のことを徹底的に調べ上げ、何度も試すようなことをし、結局違う人と結論づけた。
彼女は天宮雪乃ではない。
けれど、今こうして目の前に座る彼女を見て、かつて初めて出会った頃の天宮雪乃を思い出したみたい。
あの頃の彼女は、若くて美しく、元気一杯だった。
豊かな家庭と高等教育が自信に満ちた個性を育て上げた。
あの頃、彼は確かに彼女に惹かれていた。
だが、その後彼女は変わり、さらに彼を裏切った……
「真司さん、何を考えてるの?」
私は彼がぼんやりしているのに気づき声をかけ、彼はやっと我に返った。
「えっと、どうやって君を助けようかと考えてた」
その言葉が本心ではないことに気づいていた。
きっと、彼は昔の私を思い出していたに違いない。
私は微笑んだ。
「大丈夫、自分のことは自分でできるから」
「本当に、助けはいらないのか?」
彼はじっと私を見つめ、私はうなずいた。
「うん、大丈夫」
「分かった。何かあれば、いつでも電話して」
「ありがとう!」
「もし時間があるなら、少し囲碁でもどう?」
やっぱり氷室真司は我慢できないんだなと、全部予想通り。
すぐにOKすると、彼は私を自分の囲碁クラブへ連れて行った。
彼が経営者だとは言わず、私も知らないふりをした。
その日、私たちは六時間も対局した。
上級者同士の勝負は実に面白かった。
氷室真司は心から楽しみ、私の実力にも驚いていた。
「この前、お義父さんの家での対局は本気じゃなかっただろう?」
「初対面だし、そっちだって本気じゃなかったでしょ?」
私は笑って答えたら、彼は大笑いした。
「こんなに笑ったのは久しぶりだよ」
彼はここ数年、感情を抑えて生きてきた。心の中はいつも苛立ちに満ち溢れて。でも今日、六時間も囲碁して、心からリラックスできたようだった。
それは、長年泥沼でもがきながらも死なず、でもずっと息苦しさを感じていた彼にとって、久々に自由に呼吸できたようなものだったでしょう。
だから、六時間が過ぎたころには、彼の私を見る目は確かにこれまでとは違い、私への敬意も感じれるようになった。
彼はまだ物足りなさそうだったが、私はもう限界で、これ以上一緒にいたくない。
帰り際、彼は私に声をかけた。
「今日は君の勝ちだ。賞金は振り込んでおくから、あとで口座を教えてよ」
私は笑いながら断った。
「今日は助けてくれたお礼だから、無料にしておくよ!」
バッグを肩に、私は帰ろうとする。
「次はいつ来る?」
私が振り返ると、「また今度ね」とだけ答えた。
具体的な約束はせず、彼が送ろうとするのも断った。
私は分かっていた。第一歩は成功した。私は彼の視界に入った。
天宮雪乃としてではなく、生まれ変わりの自分、相沢汐里として。
真司は遠ざかるタクシーをじっと見つめながら、次第にその目を鋭くした。
彼は電話を手に取りこう命じた。
「相沢汐里について調べてくれ。彼女の資産状況や普段の行動、よく行く場所も全部だ」