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第32話 やはり真司はダメだった

雪奈は真司の向かいに腰かけグラスで乾杯した。


「真司、今夜は本当に楽しかったわ」


雪奈は潤んだ瞳で彼を見つめて自分の嬉しさ隠せなかった。


「この数年君には苦労をかけたね……」


真司は優しいまなざしで応える。


「私たちは夫婦でしょ、苦労なんて言わないで」


二人は一口にワインを飲み干した。


「真司、私なんか酔っちゃったみたい、もう上がらない?」


雪奈はもう待ちきれない様子だった。


「うん」


真司は立ち上がり雪奈をそっと支えた。


その瞬間、きつい香水の香りがふっと鼻を突き、真司は眉を寄せた。


「香水つけたの?」


「うん、新しく買ったの。どう?気に入った?」


真司は軽くうなずいたが返事はしなかった。


本当は好きじゃない。

彼は自然な香りのほうが好き。


寝室に入ると雪奈は真司の首に腕を回し熱いキスを交わした。


真司はそのまま彼女をベッドに押し倒し、雪奈は急いで彼の服を脱がした。


男は妻のレースのキャミソールを乱暴に引き裂いた。

布はすぐに裂け、音を立てて破れた。


雪奈の美しい裸身が目の前に現れ、彼女は目を閉じ、待ち望んだ愛し合う瞬間を待つ……


だが真司は急に動きを止めてしまった。


雪奈は体が軽くなったのを感じ、目を開けると真司はもうベッドの端に座り直していた。


「真司……どうしたの?」


彼女はゆっくりと起き上がり真司を掴もうとした。


真司は深く息を吐き低い声で説明した。


「大事な書類がまだ処理してないのを急に思い出したから、先に休んで」


そう言うと彼は寝室を出て行った。


隣の書斎のドアが閉まる音がした瞬間、雪奈は悔しさに歯を食いしばり、枕を床に投げつけて涙が溢れた。


悔しい!本当に悔しい!


こんなに自分は綺麗でセクシーなのに、なぜ真司はダメなの?





書斎


真司は頭を抱え、今まで感じたことのないほどの落ち込みと劣等感に沈んでいた。


もう行けると思っていたのに、どうして急にダメになったの?


あの小屋でのことを思い出すとき、彼女の姿すら見ていないのに、背を向けているだけで反応してしまった。


つまり、自分は相沢汐里に反応したということか?


いやいやいや、ありえない、そんなはずはない!


出会って間もないのに、どうしてそんな気持ちになってしまう?


その夜、彼は一人で朝まで悩み続けた。





翌朝


食卓で、雪奈は何度もちらちらと真司の様子をうかがった。


雪奈は昨日何度も考え直した。最初は確かに彼が興奮しているのを感じ、確かに硬くなっていた。

でも、途中でなぜかダメになったか……


大事な書類なんての理由は信じていない。


結局、雪奈は一つの結論に至った。


子どもたちを見送った後、雪奈は真司にネクタイを締めながら、彼の耳元で囁いた。


「あの香水捨てちゃった、あまりいい匂いじゃなかったから」


「うん、また新しいのでも買えば?」


雪奈はますます確信した。原因はあの香水だったのだと。


ネクタイを締め終え、真司に書類カバンを渡しながら尋ねた。


「どんな香りが好き?」


氷室真司は一瞬考え、

「あっさりした……植物の香りかな」


相沢汐里から匂っていたのもきっとそんな香りと真司は思った。


雪奈はうなずいた。


「私も植物の香りが好き」


真司を見送ると雪奈はほっと息をついた。


やっぱり香水のせいだった。


すぐに身支度をして、新しい香水を買いに出かける準備をした。





会社


その朝、真司はどこか調子ではなかった。


凛音がノックして入ってきた。


「氷室社長、森のグリーンガーデンとの契約書ができあがりました。ご都合のいいときにご署名いただけますか?」


真司は深く息を吐いた。


「数日後にしよう」


しばらくは相沢汐里と会わないほうがいいと思う。


「かしこまりました。先方様に何と伝えましょうか?」


真司は顔をしかめる。


「そんなことまでいちいち俺に聞くのか?」


「申し訳ありません、社長。自分で対応いたします」


凛音は手に汗を握った。


オフィスを出ると、彼女は大きく息をついて自席に戻った。


氷室真司の様子から昨日森のグリーンガーデンで何かがあったのに間違いない。

雪奈に知らせなければ……


そう思い彼女は雪奈に電話をかけた。


「雪奈、お昼空いてる?ちょっと話したいことがあるの!」


雪奈はすぐに応じた。


「ちょうど買い物に出る予定なの、お昼に会社の下で会いましょう」





森のグリーンガーデン


私の予想では、今日午前中には氷室真司から契約の連絡が来るはずだった。


でも、十一時になっても何の音沙汰もない。


アシスタントを呼び、彼女に凛音へ電話をかけさせた。


スピーカーモードで凛音の冷静な声が響く。


「申し訳ありません。氷室社長は最近とても忙しく、契約は数日延期になりそうです……」


忙しい?そんな訳がない!


でもいくら考えても、氷室真司が突然こうなった理由はわからなかった。


まあ、どうせ自分は急がない。

彼の態度が明らかに変わったのは確かだ。

忙しいなら、私はそれ以上に忙しくしてやる。


「他の会社とも引き続き連絡は取りなさい。ただし、こちらから積極的に話を進めなくていい。契約の交渉も深く踏み込まないように。もし氷室社長から連絡があったら、私は出張中で帰る予定は未定だと伝えて」


指示を出し終えると私は家に帰って支度を始めた。


ずっと子どもたちのために供養をしたいと思っていて、最近ちょうど良いお坊さんと連絡がついた。


子どもたちが使っていた衣服を持って、私はお坊さんがいる聖なる地へと向かった。


飛行機に乗ると心はとても重くなった。

まるで心でつながっているように、目を閉じると蒼汰の幼い顔が浮かぶ。


そして、不思議なことにお腹がふと動いたような気がした。まるで娘がまだお腹にいるかのように……

手をお腹に当てると、涙が止まらなかった。娘が、お腹の中で元気に動いていた感覚が今でも鮮明なんだ。


目的地に近づくほど心が痛くなる。


昔の私は何も信じない無信仰者だった。

今は二人が安らかに眠れるようにと、神仏にすがることにした。


母親は、子どものためなら命さえ惜しまない。祈ることくらいなんてことはない。


お坊さんに会った瞬間、私は膝をついて泣き崩れた。

まるで、自分と子どもたちの苦しみを知ってくれている神様に出会ったような気がした。


お坊さんは何も言わず、ただ私の頭に手を置き、静かにお経を唱え始めた。


不思議なことに、心が少しずつ落ち着いていった。


本堂で、私は両手を合わせて中央にひざまずいた。


お坊さんたちが子どものためにお経を唱えてくれ、私は涙を流しながらも、心は次第に穏やかになった。


後に、禅堂で導きを受ける機会を得た。


「住職様、私の子どもたちは救われたのでしょうか」


「救いとは何でしょう。手放せた時こそが救いです。あなたは手放せましたか?」


彼は穏やかな顔で問いかけた。


私は答えられなかった。


私は手放せていない!


子どもへの罪悪感、氷室真司と天宮雪奈への憎しみ、どれも手放せずにいる。


お坊さんは静かに口を開いた。


「子どもにとっては、この世での時間がどれほど短くても、旅が終わる日は必ず来ます。手放せないのは、生きている者だけ。」


その言葉に私は拳を握りしめ、目が赤くなる。


「住職様、子どもを奪われた恨み、そう簡単に消せません!」


「流れに任せればいい。何事も無理に手放そうとしなくて大丈夫。どうしても手放せないなら、そのままでいい。自分の道をしっかり歩みなさい。それがあなたの人生です」


私はうなずいた。


「住職様、私はまた子どもたちと会えますか?」


彼は目を閉じ静かに言った。


「ご縁があればまた巡り会う、なければ会えない。すべては自然のままに、それが一番良いことです」


その日、私は仏前で願いをかけた。


もう一度あの子たちの母になれるなら、今度こそ絶対に守り抜くと。


そして、私が不在の間、氷室真司と天宮雪奈はニューヨークへと旅立った。


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