将人から電話がかかってきたのは、私が山から下りてきたばかりの時だった。
「どこに行ってたんだ?」
低い声でそう尋ねられる。
私は正直に答えると、電話の向こうはしばらく沈黙が続いた。
「ボス!」
なんか怒っているのが伝わってきた。
「ここ最近、何日も俺に連絡していないのは自覚しているか?」
やはり不機嫌そうな口調だった。
そういえば、最近は忙しくて、何日も彼に報告していないと思い出し、慌てて謝った。
「ごめんなさい、ボス。会社を立ち上げたばかりで、いろいろと忙しくて……今後は絶対そんなことを起こらないようにします。」
向こうは少し黙ったまま。顔は見えないけど、圧迫感がすごい。
「次はない。何があっても、必ず一番に俺に報告しろ。」
それを聞いて、私はほっとした。
「はい、ご安心ください。ちゃんと覚えておきます」
「最近、氷室真司とはどうだ?進展は?」
彼が聞いてきた。
「今はたぶん、私に好意はあると思います。でも、彼の中で何か迷いがあるのか、最近は自分から会いに来なくなりました。だから、私も主張にしたんです。」
私はそう説明した。
「距離感をしっかり保て、あまり積極的になるな。男は簡単に手に入るものを大事にしない。分かってるな?」
私はうなずいた。
「はい、分かっています。」
たぶん、昔の私は簡単に手に入る存在だったのだろう。
「彼はニューヨークに行ったのを知ってるか?」
「知らなかったです。何しにニューヨークへ?」
なんとなく、今回のニューヨーク行きは普通ではない気がした。将人がわざわざ聞くくらいだから。
そして将人の声には少し皮肉してるように響いた。
「彼の診療記録をメールで送った。あとで自分で見ろ。」
「はい!」
「雪乃……最近、あいつはきっとあんたに会いたがるだろう。でも、絶対にすぐに応じるな。ちゃんと主導権を持て。いつも自分を刀を握る方にしろ!」
「はい、肝に銘じます!」
電話を切ると、すぐにメールを開いた。
診療記録を見てかなり驚いた。
氷室真司——性的不能?
ニューヨークに行ったのは、男性機能障害の治療のためだったとは、何とも言えない気持ちになった。
ざまあみろ!
天宮雪奈は必死に幸せを装っていたけど、実は私が死んだ後、五年間もずっと性生活を送らなかった。
ふふ……
少し胸がすっとした。
岡江市に戻った時、氷室真司と自分の会社で会ってからすでに十日以上が過ぎた。
会社に着くと、アシスタントがすぐに報告してきた。
「相沢社長、山徳グループから何度も連絡が来ていて、契約はいつ締結できるのかと聞かれています。どうやら、他社とも話をしていると聞いたみたいです。」
私はオフィスチェア腰を下ろした。
「副社長に、私の代理で山徳グループとの契約を進めるように伝えて。」
アシスタントはすぐに部屋を出た。
私はカジュアルな服に着替えて、花畑へ向かった。
山徳グループ
ニューヨークから帰国した真司の気分は複雑だった。
良かったのは、特に病気持ちではなかったこと。
悪かったのは、病気じゃないのに、夜の生活ができないまま。
医者によると心理的な要因らしい。
そして、彼自身が一番混乱したのは、相沢汐里に対してだけ反応があったことだった。
ここ数日相沢汐里に連絡を取っていないのに、毎日のように彼女のことを考えていた。
帰国してすぐに、凛音に連絡を取らせて、相沢汐里と契約を進めさせた。
でも返ってきた返事は、社長が出張中だというもの。
人は会いたいのに会えない時ほどもどかしくなるもの。
けれど、その葛藤がピークに達するともう我慢できなくなる。
今の彼はこれまでになく相沢汐里に会いたくてたまらなかった。
凛音がノックして入ってきた。
「氷室社長、森のグリーンガーデンの方が今日契約できると連絡がありました。もう向かっているそうです。」
真司はようやく心が落ち着いた。
「分かった、会議室で会おう。」
凛音は彼をチラッと見た。
「社長自ら契約されるんですか?」
本来なら契約は営業部長でも十分。
「ああ、俺が行く。」
そう言うと氷室真司はさらに続いた。
「昼はレストランで席を取っておいてくれ。相沢社長を招待したい」
「かしこまりました。」
二十分後
凛音が再びノックする。
「氷室社長、先方がもう会議室に到着しています。」
真司はすぐに立ち上がり、スーツを着てオフィスを出た。
その足取りには、どこか焦りが感じられた。
部下が会議室のドアを開けると、氷室真司は中へ入ったが、思わず立ち止まった。
そこに相沢汐里の姿はなかった。
「氷室社長、はじめまして。森のグリーンガーデン副社長の藤本です……」
「相沢社長は?」
氷室真司は低い声で問う。
藤本は笑いながら答えた。
「相沢社長はつい先ほど出張から戻られましたが……」
「今どこにいる?」
真司はイライラして、両拳を握りしめ、なんとか感情を抑えていた。
「私が出てくる時は、会社にいらっしゃいましたが。」
氷室真司はすぐに会議室を出た。
「氷室社長!」
凛音がすぐ呼び止めたが、彼は全く気に留めなかった。
「申し訳ありません、藤本副社長。氷室社長は急用で、契約は改めて伺います。」
そう言い残し凛音も後を追った。
エレベーター前でようやく真司に追いついた。
「氷室社長、どちらに行かれるんですか?」
「君が契約しておけ。」
「もしかして、相沢社長のところへ?」
凛音はじっと彼を見つめる。
「それは君の知ったことじゃない。」
「氷室社長、あなたにはもう奥様がいらっしゃいます!」
「俺に警告するつもりか?佐倉凛音、自分の立場を忘れるな。俺が重用しているからと言って、私生活まで口出しできると思うな。」
真司は凛音を鋭く見下ろし、冷たく言い放った。
「そんなつもりはありません。ただ……」
「ならいい。これからは自分の仕事だけ集中しろ!」
エレベーターが到着し真司は乗り込んだ。
凛音は外で扉が閉まるのを見送りながら、深く息をついた。
本当に相沢汐里を探しに行ったのか彼女にはわからなかった。
その日、凛音は雪奈と食事の約束をした。
森のグリーンガーデンの社長が相沢汐里であること、そして現在両社が提携交渉をしていることをすべて伝え。
雪奈は賢いから、その言葉の裏にある意味も察したはず。
真司は自分で車を運転し、森のグリーンガーデンまで向かった。
けど相沢汐里はすでに会社を出たと言われた。
彼女に電話をかけてもつながらない。
仕方なく帰ろうとしたが、花畑の前に来るとふと足を止め、なぜか小さな丘を越え、ナツメの木の前に立った。
彼女の植えた木の土は湿っていて、ちょうど水をやったばかりの証拠。
隣の木はもうしおれている。
つまり、彼女は自分の木にだけ水をやった。
実は、私は小屋の中にいた。
氷室真司がナツメの木の前に長く立ち尽くしているのをずっと見て、彼が一体何を考えているのかは分からなかった。
距離があって、表情ははっきり見えなかった。
私はそっと彼の姿をスマホで撮って、将人に送った。
将人:あと一、二日我慢しろ。絶対に自分から会いに行くな。
私は携帯をしまい、もう一度外を見ると、彼の姿はもうなかった。
その夜家に帰ると、彼の車が私が住んでる家の近くに停まっていた。
車とすれ違ったが、彼は私の車を知らない。
彼から何度も電話がかかってきたが、一度も出なかった。
その後、彼は何日も雲際囲碁クラブとチャンピオン囲碁クラブを行ったり来たりして、私に会えるのを期待していたらしい。
そろそろだ……
弓はすでに限界まで引き絞られ、彼と合わせる時が来た。