天宮雪奈はひざまずいた。
「お義父様、すべて私に責任があります。私が子どもをちゃんとしつけられませんでした。千歳は何も悪くありません。彼女は幼い頃に両親を亡くし、不憫な子なんです。どうか彼女を追い出さないでください、これからは必ず良い子に育て上げます。」
ほかの人は知らないが、私は彼女がなぜ泣くのか分かっている。
千歳は彼女の実子。
しかも、他の男性との間にできた子。
五年前、その事実を知っていたせいで、死に追い詰められた。ここ最近再びその男の正体を調べ始め、いずれ氷室真司にも愛する人に裏切られる苦しみを味あわせる!
天宮雪奈は床にひざまずいたまま、必死で尚人さんに許しを請う。
彼女か視線を逸らし、振り返って蒼汰の写真に向き、お線香に火をつける。お香を供えようと、香炉の中には灰もなければ、燃えかすもない。
つまり、あの女は蒼汰に一度もお香を供えなかった。
供え物の果物にも目をやると、思わず微笑んだ。そこにはマンゴーと桃が並んでいる。
蒼汰は過敏性体質で、小さい頃からマンゴーと桃にアレルギーがあると検査で判明され、ほんの少しでも触れれば大変なことになる。
本当に笑える。
天宮雪奈、今日という日はきっと、あなたにとって忘れられない思い出になるでしょう。
「お義父様、千歳は普段は良い子です。最近は思春期で少し反抗的なだけで、小さい頃から育ててきたからもう家族の一員です。どうかもう一度だけチャンスを与えてください。これから雪奈としっかりしつけますから!」
このとき、氷室真司も口を開いてとりなそうとし、尚人さんはようやく許そうとした。
「これが最後のチャンスだ。もし次があれば、すぐに出て行ってもらう。」
天宮雪奈はすぐさま頭を下げた。
「ありがとうございますお父様、ありがとうございます!」
氷室真司が彼女を立ち上がらせ、「台所を見てきてくれ」と促し、この場から遠ざけた。
「汐里、おじさんの隣に座りなさい。今日は嫌なところを見せてしまったな」
私は微笑みながら隣に座った。
「家族ですから、そんなこと気にしないでください。それに、子どもは皆やんちゃなものですから」
氷室真司が感謝してるようにこちの方を見た。
そこで私は周囲を見回した。
「とても素敵なお家ですね、中を見て回ってもいいでしょうか?」
「ご自由にどうぞ」
「そうだ、ワシもちょうど真司と話すことがあるから、汐里は好きなだけ見てきなさい。」
彼らの言葉に応じて、席を立ち家の中を歩き回る。
実は数日前、以前住んだ別荘に行って、蒼汰の遺品がすべてなくなっていたと気づき、きっと氷室真司が持ち出したのだろうと推測した。
今の彼が蒼汰にそれほどこだわっているなら、遺品はここにあるはず。
私はゆっくりと歩き、二階の角部屋の前で足を止めた。
ドアには風車模様の鈴がかかっていて、これは昔蒼汰と一緒に作ったもの。
そっとドアを開けて中へ入ると思わず涙がこぼれた。
部屋の中はかつて一緒にいた時とまったく同じ。小さな枕も、掛け布団も、あの頃のままだ。
私はベッドに腰かけて、息子の小さな枕を抱きしめた。眠っているときの愛らしい顔が、昨日のことのように脳裏に浮かぶ。
もし、もう一度会えるのなら……
お母さんは、蒼汰に会いたいよ。
「お義父様、真司、ご飯できたよーー」
階段の下、雪奈が台所から出てきて声をかける。
尚人がうなずき、真司が彼を支えて立ち上がった。そして蒼汰の写真に目をやり、尚人はゆっくりと歩み寄る。
「今日は蒼汰の誕生日か」
「はい、どうです。」
「そうか、孫のためにワシもお香を供えよう」
そう言って三本の線香を取り出した。
「そうだ真司、ご飯だと汐里を呼んできなさい」
真司は応じて階段を上がった。
階段を一歩一歩のぼり、昨日相沢汐里をキスしたシーンを思い出す。
柔らかな唇や植物の香り……
いくつか部屋を探しても見つからず、最後に風車模様の鈴がかかった部屋の前に立った。
ここは彼が誰にも入らせない部屋だ。
眉を寄せドアを開けると、目に入ったのは窓辺に座って、真剣に画集を見る女性の姿。光に浴びて、横顔は柔らかで母性に満ちていた。さっき不愉快の気持ちも、不思議と消えていく。
私は蒼汰のスケッチブックを手に、夢中でページをめくっていて、氷室真司が入ってきたことにも気づかなかった。
「それは蒼汰が描いたんだ。」
彼は小さい声で話かける。
涙がにじみ、どこか頼りなげな表情で顔を上げて彼を見る。
氷室真司は思わず息を呑む。
「どうしたんだ?」
「いや、本当に優秀な子だと……もう亡くなったなんて惜しいなと……」
「ああ、本当にいい子だった……さあ、下に行こう。食事の時間だ」
彼は途中気持ちを整え、そして手を差し伸べた。
私は断って、手で支え立ち上がろうとしたが、長く座っていたせいで足がしびれてしまい、思わずよろけた。
氷室真司がすかさず私の腰を支える。
とっさに彼を押し返し、彼はすぐに手を離した。
けれど、足がまだしびれているせいで倒れそうになる。
今度、彼は何も言わずに私を抱き上げベッドまで運び、息を荒げながら私を見下ろす。
「俺が悪かった、もう怒らないで。ね?」
私は唇をかみしめて黙ったまま。
彼はさらに優しく囁く。
「お願いだ、どんな罰でも受けるから、だから……」
私は手に持っていたスケッチブックで彼を叩き、一枚の紙がそこからはらりと落ちた。
彼の視線がそれに引き寄せられ、私はその紙を拾い上げ、中身も見ずに彼に渡した。彼がそれを見ると、途端に顔色を変わった。
その後、氷室真司と一緒に一階へ降りていくと、天宮雪奈が不審そうに聞く。
「どうして一緒に降りてきたの?」
私は笑顔で返った。
「少し家の中を見て回っていたら、真司さんが探しに来てくれたの」
妬いてるようで、彼女はぎこちなく笑った。
「そうですか。さあ、席に着きましょう」
尚人さんはメインの座に、氷室真司と天宮雪奈は左側、私は右側に、菜々は天宮雪奈の隣に座り、千歳はまだ降りてこない。
食卓には尚人さんの好物がずらりとび、機嫌を直したようで、何事もなかったように時折会話を交わしながら食事が進む。
そして、私はさりげなくあることを尋ねた。
「蒼汰くんの供え物は雪奈さんが用意したの?」
彼女は誇らしげに頷く。
「はい。こういうことは私が直接やってます。蒼汰の実の母ではありませんが、この子のことは小さい頃からずっと見守ってきたので、可愛くて仕方なかったの。」
「雪奈さんは本当に良いお母さんですね。蒼汰くんの好みも一番よくご存じでしょうし、きっと喜んでくれると思います」
そう言い終わって、氷室真司にちらりと視線を送り、やはり顔は沈んだ。憐れなことに、天宮雪奈はまだ何も気づいていない。
さっき氷室真司が見たのは、蒼汰がマンゴーと桃にアレルギーがあると判明された検査結果。
私がそれを画集に挟んでおいた!
「お姉ちゃん、普段どんな香水を使っているんですか?とても素敵な香りがしますね~」
きっと彼女は気づいただろう、自分の夫から匂う香りと私の香りが同じだと。
「私は香水を使っていません。その匂いがあまり好きではないので……」
彼女は少し驚いた。
「じゃあ、その香りは体の自然な香りなんですか?」
私はとぼける。
「あら、私に香りがするの?自分では気づいてないけど、お花を育てるのが好きだから、花や木の香りが移ったのかもね。」
彼女は唇をかみ、真司が「植物の香水を買ってきて」と言っていたのを思い出した。
そこまでにして、次は氷室真司と視線を合わした。
「真司さん、そこ怪我したようですね……大丈夫ですか?」
氷室真司の唇には私が噛んだ跡が残っていて、今も少し腫れている。
思わね問いかけに、彼は少し緊張したようで耳が赤くなった。
さらに、冗談するように問いかけつつけた。
「まさか、雪奈さんに噛まれたんじゃないでしょうね?」