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第39話 二人で苗木を守る夜

氷室真司が車に乗り込むと、車は静かに発進した。


バックミラー越しに天宮雪奈が、私たちの方を眺め立ち尽くしているのが見える。


同じ女性として、彼女の戸惑いをすぐにでも察した。


彼女は怯えている。

私のことを、恐れている。

でも、まだ始まったばかりだよ、親愛なる妹。


「相沢社長はそのまま家に帰るですか?」


氷室真司が急に低い声で尋ねて、私は視線を前に戻した。


「いいえ、会社まで送ってください」


家に帰らないと聞いて、彼は首を傾けてくる。


「こんな遅い時間に植物の面倒を見に行くのか?」


「今夜は大雨になるみたい。ナツメの苗木が持たないかもしれないから、準備しておきたいの」


窓越しに空を見上げると、雨が降りそうな様子。


氷室真司はふっと真剣な顔に変わった。


「じゃあ、俺の苗木は?面倒見てくれるの?」


「しません。」


「どうして?」


私は真剣な表情で彼を見る。


「自分で植えた苗木は、自分で大事にするべきじゃないですか。子どもを育てるのと同じで、氷室社長は誰かに世話を任せたいんですか?」


そして小さい声でさらに突っ込んだ。


「私はその子の母親でもないし」


その時、氷室真司のハンドルを握る手がかすかに震えたのが見えた。


「じゃあ、兄貴が植えた苗木だったら?」


私はその質問に答えなかった。


気まずい空気の中、彼は深く息を吸い込んで、ぽつりと「一緒に行ってもいい?」と囁いた。


私は黙ったまま。


「どうした?嫌なのか?」


「今さら思い出したって、その子はもう枯れてるかもしれませんよ」


私は彼を睨んだ。


彼は私が怒っているのに気づき苦笑いした。


「ごめん、俺が悪かった。だけど、相沢社長はプロでしょ?植物の命をもっと大事にするかと思ってたよ」


「それはもちろんのこと。まさか私があなたと同じだと思っていないよね?」


突然、彼は私の顔をじっと見つめる。


「じゃあ、自分の苗木だけ水をやるの?」


「どうして知ってるの?いつ来たの?」


わざと驚いているふりして、彼は思わず口にした。


「契約をする日、君が来なかったから探しに行って……その時見かけた」


「契約する時私がいなくてもいいでしょう、なんでわざわざ探しに行ったの?」


その瞬間、時が止まったかのようだった。彼は答えず、私もそれ以上は言わなかった。どこか曖昧な空気だが流れていた。


それから車は中に入り、門をくぐると、色とりどりの植物が目に飛び込み、一気に植物の王国に迷い込んだように。

囲碁とは違い、植物は人に癒しと喜びを与えてくれる。


社員たちは皆帰っていて、残っているのは大雨に備えて点検する園芸のスタッフだけ。


駐車場に車を止め、氷室真司が先に降り、私は助手席に座ったまま動かなかった。


彼はわざわざ助手席まで回り、ドアを開けてくれた。


「もうすぐ雨が降る。」


「今日は送ってくれてありがとう。もうすぐ雨だから、氷室社長は早く帰った方がいいですよ」


車を降り、彼は自分の手を握りしめた。


「何か準備が必要なら手伝うよ」


私は少し戸惑いながら彼を見た。


「自分で植えた苗木は、ちゃんと世話しないとな」


「じゃあ、一緒に来て」


私は微笑んで歩き出すと、彼も後ろからついてきた。





彼を倉庫に案内した。


「ここの山の斜面は高いけど、土が流れやすいから、不織布とシートで苗の周りをカバーしないといけない。あと、周りに防水の土手も作らないとね」


説明している間に、氷室真司は必要な道具をすぐに揃えてくれ、私に尋ねる。


「なら、強風で苗が倒れないように補強も必要なのか?」


「氷室社長、さすがです!」


彼は少し照れたように笑った。


「こんな風に褒められるの、久しぶりだな」


地位が高くなると、誰もがへりくだってばかりで、こんな素直な言葉をかけてくれる人はいないのでしょう。

だからこそ、こんな些細な一言でも、特別に感じるかもしれない。


私は笑いながら返した。


「褒め言葉が普通すぎてつまらなかったでしょう?」


「いや、すごく嬉しかった。」


やっと色々と準備を終えた。


「急ごう。雨が降る前に終わらせないと!」


彼は重いスコップや三脚支柱を持ってくれて、私はロープやシートなど軽いものを持つ。


中は車が入れないから、二人で歩いて向かった。


作業員たちは点検が終わるとすぐに帰り、ここには私たち二人だけ。


彼は歩きながら何度も私の方へ振り返った。


「慌てなくていい、転ばないで」


「大丈夫、転んだりしないので」


私の肩の荷物を見て声をかけてきた。


「ほら、俺が持つよ」


「大丈夫。あなたが来なかったとしても、全部自分で持てますから」


「全部自分で?」


「そうよ」


これらは重くて持ちにくいし、まして高い丘を越えなきゃいけない。


「社員に手伝わせればいいのに」


「これは私の苗木だから、社員の仕事ではない。それに、自分で植えて、世話して、収穫するのが好きなんだ。」


ふと笑顔でを見せた。


「少しずつ成長して、やがて花が咲いて実がなる。その過程がたまらなく嬉しくて、幸せなんだ。だから、辛いとか全然わからない!」


彼が私を見つめる目がまた少し変わった。


「そんなに奇妙ななものなのか?」


「氷室社長も一度やってみれば?」


私は期待を込めて彼を見つめ、彼はうなずいた。


「ぜひ、でも相沢社長に教えてもらわないと……」


「いいですよ。でも、ちゃんと指示通りにしてくださいね」


彼は一瞬きょとんとしてうなずいた。耳が少し赤くなっていた。


たった一言で彼を照れさせるとは……

きっと、昔の天宮雪奈は私よりもっと上手に彼の心を掴んでいた。


このとき、空はすでに分厚い雲に覆われ、あたりは真っ暗。


もし街路灯がなければ、お互いの顔も見えなかったと思う。





丘を越えると、やっと私たちの苗木が見えた。


風が強くなり、苗木は今にも折れそうなくらい揺れている。


まるでかつての私のように。

嵐の中で命を落としかけたあの時を思い出し、思わずぼんやりしていた。


突然、強い風が吹いて立っていられなくなった瞬間、腰にしっかりと腕が回され、低い声が頭上から聞こえた。


「今にも風に飛ばされそうだな」


私はすぐに気を取り直した。


「もうすぐ大雨が来る、急ぎましょう!」


「本当に大丈夫か?」


彼は心配そうに尋ねる。


「大丈夫、私はそんなに弱くない」


そう言って、彼の腕から離れて竹の棒を取りに行った。


崖から飛び降りても生きていたのだから、これくらいなんでもない。


「まずは支柱を固定しましょう」


氷室真司と二人で苗木をしっかりと支え、次に不織布を使って土を補強し、さらに防水の土手を作った。


しかし、作業が終わる前に、激しい雨が降り出した。


私たちは一瞬で全身ずぶ濡れになり、作ったばかりの防水土手も、あっという間に流されてしまった。


「これじゃダメだ。石やレンガを運んでくる!」


そう言って私は材料置き場に走ろうとしたけど、彼に手を引かれた。


「俺が行く。君はここで待ってて」


そう言って、彼は素早く走り行った。


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