氷室真司は一瞬固まり、まさか私がそんなことを言うとは思わなかったらしく、私のことをじっと見つめいた。
「そんなに俺のことを信じるのか?」
「信じちゃいけないの?」
私は逆に聞き返した。
彼の視線はまるで私の心の奥まで覗き込むようで、やがて低い声で呟く。
「もちろん信じていいよ。」
そう言うと、彼はゆっくりと背を向けた。
薄暗い照明の下、私は濡れた服をゆっくりと脱いだ。
壁にはしなやかな身体のラインが映し出され、くびれもメリハリもあって、女らしさが際立つ。
氷室真司の息遣いが荒くなり、唾を飲み込む音さえ聞こえる。
私は服を全部脱ぎ、胸が小さく震え……
彼の手はゆっくりと握りしめられていく。
死ぬほど緊張していた。彼が突然振り向き、獣のように襲いかかってくるかもしれない。
もしそうなれば、面倒な手間をかけず、その場で彼の人生を壊すことができる。
有名な社長が自分の兄貴の彼女を襲うなど、世間に知れれば人生はお終いになり、刑務所行きも免れない。
彼の背後には氷室尚人がついているが、私も将人に頼れるごとができる。だから、たとえ対抗することになっても怖くない。
けれど……本当はとても怖い。
将人から何度も「無茶をするな」「自分を傷つけるな」と言われていた。氷室真司に触れさせることを許さないとわかっている。
でも、もう覚悟を決めた。たとえ自分が傷つこうと、すべてを賭けてもこの男を道連れにしてみせる!子どもたちのために復讐できるのなら、それでいい。
何を怖がることがある?
彼との駆け引きはまるで盤上の狩り。一歩一歩、私を裏切って手に入れた幸せを徐々に崩して見せる。それは興奮があり、どこか痛快でもある。
だが、彼に触れられることだけは、心の底から吐き気がする。愛していない男に近づかれるほど、不快なことはない。
氷室真司は結局最後まで振り向かず、我慢しながら着替え終わるのを待ち続けていた。
「終わったよ」
声をかけると、彼はようやく振り向いた。
その目はさっきよりもさらに熱くなり、遠慮がなかった。
「どうしたの?」
無邪気なふりをして尋ねると、彼はようやく意識を戻した。
「いや…なんでもない」
そして、私は彼のそこに視線を落とした。濡れたズボンが肌に張り付き、そこの膨らみは目を逸らせないほどはっきりと見える。
なるほど、問題はなかったのね。
つまり、天宮雪奈に対してだけ駄目になるのか?
彼も私の視線に気づいたのか、すぐに椅子に腰掛けてそこを隠した。
それに対し、私は何も知らないふりしてタオルで髪を拭いた。
「あなたも全身びしょ濡れね。でも、ここには男性の服はないけど……」
「大丈夫、そのうち乾く」
それ以上口を出さずにいた。どうせ風邪をひいたって私と関係ない。
外では雨が降り止ず、まるで私のために降っているようだ。
「どうしよう?雪奈さんがまだ家で待ってるでしょう?」
彼は一瞬戸惑い、ようやく天宮雪奈のことを思い出したみたい。
「大丈夫、待てなくなったら先に寝るだろう。」
私は知っている。叩かれた天宮雪奈はきっと泣いて氷室真司を慰め、何か約束をしたに違いない。
だから、今夜は絶対に眠らずに待っている。
「それなら先に帰ったら?」
「じゃあ、君は?」
私は目を伏せた。
「私はここで待つよ。明日の朝、雨がやんで社員たちが来てから病院に行く。」
彼の表情が暗くななった。
「君を一人ここに残すわけにはいかない!」
「でも、雪奈さんに知られたら、きっと私が責められるわよ?」
それを聞いて、彼は優しく返した。
「そんなことないさ、雪奈は優しい人だ。こんな状況で君を一人にしたら、俺の方が怒られる。」
「じゃあ、彼女に電話したら?」
まあ、わざと言ったけど、彼の電話が車の中にあるのを知っていた。
彼は服を探った。
「どうやらスマホは車に置きっぱなしだ」
私も自分の携帯を探すふりした。
「私も持ってきてなかった」
「こんな雨だと、取りに行っても壊れるだけだ」
「雪奈さん、誤解しないといいけど……」
彼に不安を語った。
「大丈夫。彼女はきっと分かるはず」
「雪奈さん、本当にいい人よね。だからそんなに彼女のことが愛しいだね」
氷室真司は何も言わなかったが、軽く笑顔をつくった。
「二人はどうやって知り合ったの?」
彼は少し考えてから答えた。
「昔、俺が病気のとき、彼女が助けてくれた」
「そうなんだ、じゃあ命の恩人なんだね。それから恋人になって結婚したってこと?まさに幼なじみみたいなものね」
私は彼の目を見つめるが、彼はそれを避け、質問に答えなかった。
「囲碁でもする?」
私はそれ以上追及せず、話題を変えた。
「ここに囲碁なんてあるの?」
「右側の引き出しにあるよ。安いやつなんだけど……」
取りに行くようと示すと、彼は嬉しそうに取りに行き、さらに折りたたみの小さなテーブルをベッドの上に出して、そこに囲碁盤を置いた。
「普段もここで囲碁するの?兄貴とか?」
その瞳にどこか嫉妬を感じた。
「彼はね、囲碁が好きじゃないの。暇なときにいつも一人でやっているんだ」
将人としていないと聞き、彼はようやくほっとしたように笑った。
その夜、私たちは一晩中囲碁を打った。
嵐は収まらず、空が白み始めるころ、私はついに眠り込んでしまった。
次に目覚めたとき、氷室真司の腕が私の腰に回っていて、彼もいつの間にか寝入っていた。身動きすると、彼も目を覚まし、慌てて腕を離した。
「ごめん」
「謝らなくてもいいの、わざとじゃないでしょう?」
彼は少し緊張した表情で外を見た。
「雨が止んだ」
「そうね、そろそろここを出ましょう」
そう言いながら床に足をつくと、「あっ!」と思わず声が出てしまった。
「まだ痛いのか?」
彼はすぐに振り返り心配そうに尋ねる。
私は頷いた。
「うん、痛い」
「俺が背負うよ」
彼は再び私の前でしゃがみこんだ。
「誰かに見られたら困るでしょう?」
「怪我してるから、見られても構わんない。ほら、病院まで送るよ。もう一晩も遅れたし、これ以上遅らせるわけにはいかない」
拒絶しにくい言い方で、やがて彼に身を預けた。
雨上がりの空はとても澄んでいた。防雨対策をしていたおかげで、嵐にも負けず、小さな苗木は健やかにいた。
「ほら見て、あなたの苗木ピンと立ってる!本当に元気だね。」
昨日しおれていた苗木も、今は緑の葉を太陽に向けて伸ばしている。
「本当だ」
氷室真司も嬉しそうに立ち止まって苗木を見た。
早番の社員たちはすでに仕事を始め、雨よけや足場を片付けていた。
私たち二人の姿は目立っていたらしく、みんなの視線が集まり、堂々と顔を上げ彼らにしっかり見せつける。
誰かがこっそりスマホで撮っているのを見て、私はより元気一杯の笑顔を見せた。
天宮雪奈、あなたの幸せな日々はもうすぐ終わることになる。
車に乗りと、氷室真司はそのまま私を病院まで送ろうと、車中彼の携帯が鳴った。
天宮雪奈だ。
昨日の夜、彼女は何度も自分の夫に電話をかけていたに違いない。
氷室真司がその電話を出ると、彼女の焦った声が聞こえた。
「真司、どこにいるの?なんで電話に出ないの?」
自動車電話なので、私にもはっきりと聞こえた。
「昨日はちょっとしたトラブルがあった。今は忙しいから、またあとで。」
とだけ言いすぐに電話を切った。
だが、電話を切った直後、天宮雪奈から再び電話がかかってきた。
……もう彼女怒れているようだね。